分離派建築博物館-各地の建築物

復興都市に花開くロマン -4-


霞橋と公衆便所

場所:神奈川県横浜市南区〜西区..............................設計:内務省復興局......................................建築年代:1928(昭和3)年....................................現存

   
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霞橋全景(1992年撮影)

霞橋下の公衆便所(1992年撮影)


 横浜でみつけた橋とそのたもとの小さな公衆便所。1992年の撮影である。いずれもコンクリートに
時代を感じさせるものがある。昭和初期の震災復興期頃のものと思われた。
 『横浜市近代土木・産業遺構調査報告』(横浜開港資料館,1983)によれば、霞橋は昭和3(1928)年に
復興局によって設計されたものであった。備考欄には「公衆便所設置」とも書かれていた。
 外観はモルタル吹付仕上げで装飾は見られず、曲面とアーチが際立つシンプルな橋であった。
 橋の下にある公衆便所も曲線とガラスブロックによる凝ったデザインであり、トイレとは思えぬ愛
らしさがある。また霞橋とも調和している。
                                (2001年記,2012年一部修正)

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煉瓦壁と門柱(2012年撮影)
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公衆便所(2012年撮影)

化粧直し後の霞橋(2012年撮影)


 2012年に撮影した写真。霞橋の外装は改修を受け、表面に石積みの目地が加えられていた。
 この橋は震災復興期に架けられた二代目の橋であり、大正2(1913)年に竣工した最初の橋の痕跡は
今も煉瓦の擁壁や門柱として残っている。

 コンクリート造の公衆便所については、霞橋と公衆便所が唯一というわけではなかった。横浜市内
のあちこちに設置されていたらしく、下に掲げたようなタイプの公衆便所が、特に橋詰め付近に多か
ったことを最近になって知った。
 そこで調べてみると、横浜では明治4年に居留外国人による衛生上の苦情をきっかけに公衆便所が
83箇所設置されたいうことであり、公衆便所普及の古い歴史を持つ。恐らくそうした事情がデザイン
的にも他の都市に抜きん出た公衆便所への発達につながったのではないかと推測する。
                                     (2012.12 追記)



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【参考】横浜市内に残る昭和初期風公衆便所
       
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弘明寺付近(2012年撮影)

一本橋付近(2012年撮影)
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鶴巻橋付近(2012年撮影)

八幡橋付近(2012年撮影)

 現在も残る公衆便所のうちのいくつか。その多くは三角屋根形のタイプであり、屋根の部分は鉄材
で組まれガラス屋根による天窓と換気口が設けられていた。ガラスブロックが用いられていること、
壁体がコンクリートであることはどれも共通する。
 しかし、(天窓のない)コンクリート屋根と曲線による、いわば「表現主義的」なデザインの公衆便
所はここ霞橋の公衆便所が唯一なのだろうか。同じデザインの公衆便所は他に見当たらない。
                                                                           (2012.12 追記)