First updated 09/20/1996(ver.1-1)
Last updated 05/06/2015(ver.3-1)
渋谷栄一校訂(C)

  

玉 鬘

玉鬘の筑紫時代と光る源氏の太政大臣時代三十五歳の夏四月から冬十月までの物語

 [主要登場人物]

 光る源氏<ひかるげんじ>
呼称---光る源氏・大臣・大臣の君・殿、三十五歳
 夕霧<ゆうぎり>
呼称---中将・中将の君、光る源氏の長男
 紫の上<むらさきのうえ>
呼称---対の上・殿の上・上・女君・君、源氏の正妻
 玉鬘<たまかづら>
呼称---若君・姫君・御方・君・西の対・藤原の瑠璃君、内大臣の娘
 内大臣<ないだいじん>
呼称---内の大臣・父大臣・大臣・父君・中将殿
 花散里<はなちるさと>
呼称---東の御方・夏の御方・御方
 明石の御方<あかしのおほんかた>
呼称---明石の御方・北のおとど・明石
 末摘花<すえつむはな>
呼称---末摘
 乳母<めのと>
呼称---御乳母・祖母おとど・おとど・母おとど・老い人、玉鬘の乳母
 豊後介<ぶんごのすけ>
呼称---介・兵藤太、玉鬘の乳母子
 大夫監<たゆうのげん>
呼称---大夫監・監、玉鬘への求婚者
 右近<うこん>
呼称---右近、紫の上付きの女房
 三条<さんじょう>
呼称---三条、玉鬘付きの女房

第一章 玉鬘の物語 筑紫流離の物語

  1. 源氏と右近、夕顔を回想---年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を
  2. 玉鬘一行、筑紫へ下向---母君の御行方を知らむと、よろづの神仏に申して
  3. 乳母の夫の遺言---少弐、任果てて上りなむとするに、遥けきほどに
  4. 玉鬘への求婚---聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ消息がる
第二章 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出
  1. 大夫の監の求婚---大夫監とて、肥後国に族広くて
  2. 大夫の監の訪問---三十ばかりなる男の、丈高くものものしく太りて
  3. 大夫の監、和歌を詠み贈る---下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ
  4. 玉鬘、筑紫を脱出---次郎が語らひ取られたるも、いと恐ろしく
  5. 都に帰着---「かく、逃げぬるよし、おのづから言ひ出で
第三章 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅
  1. 岩清水八幡宮へ参詣---九条に、昔知れりける人の残りたりけるを
  2. 初瀬の観音へ参詣---「うち次ぎては、仏の御なかには、初瀬なむ
  3. 右近も初瀬へ参詣---これも徒歩よりなめり。よろしき女二人
  4. 右近、玉鬘に再会す---からうして、「おぼえずこそはべれ。筑紫の国に
  5. 右近、初瀬観音に感謝---日暮れぬと、急ぎたちて、御燈明の事ども
  6. 三条、初瀬観音に祈願---国々より、田舎人多く詣でたりけり
  7. 右近、主人の光る源氏について語る---明けぬれば、知れる大徳の坊に下りぬ
  8. 乳母、右近に依頼---「かかる御さまを、ほとほとあやしき所に
  9. 右近、玉鬘一行と約束して別れる---参り集ふ人のありさまども、見下さるる方なり
第四章 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語
  1. 右近、六条院に帰参する---右近は、大殿に参りぬ。このことをかすめ聞こゆる
  2. 右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る---大殿籠もるとて、右近を御脚参りに召す
  3. 源氏、玉鬘を六条院へ迎える---かく聞きそめてのちは、召し放しつつ
  4. 玉鬘、源氏に和歌を返す---正身は、「ただかことばかりにても
  5. 源氏、紫の上に夕顔について語る---上にも、今ぞ、かのありし昔の世の物語
  6. 玉鬘、六条院に入る---かくいふは、九月のことなりけり
  7. 源氏、玉鬘に対面する---その夜、やがて大臣の君渡りたまへり
  8. 源氏、玉鬘の人物に満足する---めやすくものしたまふを、うれしく思して
  9. 玉鬘の六条院生活始まる---中将の君にも、「かかる人を尋ね出でたるを
第五章 光る源氏の物語 末摘花の物語と和歌論
  1. 歳末の衣配り---年の暮に、御しつらひのこと、人々の装束など
  2. 末摘花の返歌---皆、御返りどもただならず。御使の禄
  3. 源氏の和歌論---「古代の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』

【出典】
【校訂】

 

第一章 玉鬘の物語 筑紫流離の物語

 [第一段 源氏と右近、夕顔を回想]

 年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を、つゆ忘れたまはず、心々なる人のありさまどもを、見たまひ重ぬるにつけても、「あらましかばと、あはれに口惜しくのみ思し出づ。

 右近は、何の人数ならねど、なほ、その形見と見たまひて、らうたきものに思したれば、古人の数に仕うまつり馴れたり。須磨の御移ろひのほどに、対の上の御方に、皆人びと聞こえ渡したまひしほどより、そなたにさぶらふ。心よくかいひそめたるものに、女君も思したれど、心のうちには、

 「故君ものしたまはましかば、明石の御方ばかりのおぼえには劣りたまはざらまし。さしも深き御心ざしなかりけるをだに、落としあぶさず、取りしたためたまふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列にこそあらざらめ、この御殿移りの数のうちには交じらひたまひなまし」

 と思ふに、飽かず悲しくなむ思ひける。

 かの西の京にとまりし若君をだに行方も知らず、ひとへにものを思ひつつみ、また、「今さらにかひなきことによりて、我が名漏らすなと、口がためたまひしを憚りきこえて、尋ねても訪づれきこえざりしほどに、その御乳母の男、少弐になりて、行きければ、下りにけり。かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは行きける。

 [第二段 玉鬘一行、筑紫へ下向]

 母君の御行方を知らむと、よろづの神仏に申して、夜昼泣き恋ひて、さるべき所々を尋ねきこえけれど、つひにえ聞き出でず。
 「さらばいかがはせむ。若君をだにこそは、御形見に見たてまつらめ。あやしき道に添へたてまつりて、遥かなるほどにおはせむことの悲しきこと。なほ、父君にほのめかさむ」
 と思ひけれど、さるべきたよりもなきうちに、

 「母君のおはしけむ方も知らず、尋ね問ひたまはば、いかが聞こえむ」
 「まだ、よくも見なれたまはぬに、幼き人をとどめたてまつりたまはむも、うしろめたかるべし」
 「知りながら、はた、率て下りねと許したまふべきにもあらず」

 など、おのがじし語らひあはせて、いとうつくしう、ただ今から気高くきよらなる御さまを、ことなるしつらひなき舟に乗せて漕ぎ出づるほどは、いとあはれになむおぼえける。

 幼き心地に、母君を忘れず、折々に、

 「母の御もとへ行くか」

 と問ひたまふにつけて、涙絶ゆる時なく、娘どもも思ひこがるるを、「舟路ゆゆし」と、かつは諌めけり。

  おもしろき所々を見つつ、

 「心若うおはせしものを、かかる路をも見せたてまつるものにもがな」
 「おはせましかば、われらは下らざらまし」

 と、京の方を思ひやらるるに、帰る浪もうらやましく心細きに、舟子どもの荒々しき声にて、

 「うらがなしくも、遠く来にけるかな」

 と、歌ふを聞くままに、二人さし向ひて泣きけり。

 「舟人もたれを恋ふとか大島の
  うらがなしげに声の聞こゆる」

 「来し方も行方も知らぬ沖に出でて
  あはれいづくに君を恋ふらむ」

 鄙の別れ、おのがじし心をやりて言ひける。

 金の岬過ぎて、「われは忘れず」ど、世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて、明かし暮らす。
 夢などに、いとたまさかに見えたまふ時などもあり。同じさまなる女など、添ひたまうて見えたまへば、名残心地悪しく悩みなどしければ、
 「なほ、世に亡くなりたまひにけるなめり」
 と思ひなるも、いみじくのみなむ。

 [第三段 乳母の夫の遺言]

 少弐、任果てて上りなどするに、遥けきほどに、ことなる勢ひなき人は、たゆたひつつ、すがすがしくも出で立たぬほどに、重き病して、死なむとする心地にも、この君の十ばかりにもなりたまへるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるを見たてまつりて、

 「我さへうち捨てたてまつりて、いかなるさまにはふれたまはむとすらむ。あやしき所に生ひ出でたまふも、かたじけなく思ひきこゆれど、いつしかも京に率てたてまつりて、さるべき人にも知らせたてまつりて、御宿世にまかせて見たてまつらむにも、都は広き所なれば、いと心やすかるべしと、思ひいそぎつるを、ここながら命堪へずなりぬること」

 と、うしろめたがる。男子三人あるに、

 「ただこの姫君、京に率てたてまつるべきことを思へ。わが身の孝をば、な思ひそ」
 となむ言ひ置きける。

 その人の御子とは、館の人にも知らせず、ただ「孫のかしづくべきゆゑある」とぞ言ひなしければ、人に見せず、限りなくかしづききこゆるほどに、にはかに亡せぬれば、あはれに心細くて、ただ京の出で立ちをすれど、この少弐の仲悪しかりける国の人多くなどして、とざまかうざまに、懼ぢ憚りて、われにもあらで年を過ぐすに、この君、ねびととのひたまふままに、母君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。

 [第四段 玉鬘への求婚]

 聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ消息がる、いと多かり。ゆゆしくめざましくおぼゆれば、誰も誰も聞き入れず。

 「容貌などは、さてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持たらむ」

 と言ひ散らしたれば、

 「故少弐の孫は、かたはなむあんなる」
 「あたらものを」

 と、言ふなるをくもゆゆしく、

 「いかさまにして、都に率てたてまつりて、父大臣に知らせたてまつらむ。いときなきほどを、いとらうたしと思ひきこえたまへりしかば、さりともおろかには思ひ捨てきこえたまはじ」

 など言ひ嘆くほど、仏神に願を立ててなむ念じける。

 娘どもも男子どもも、所につけたるよすがども出で来て、住みつきにたり。心のうちにこそ急ぎ思へど、京のことはいや遠ざかるやうに隔たりゆく。もの思し知るままに、世をいと憂きものに思して、年三などしたまふ。二十ばかりになりたまふままに、生ひととのほりて、いとあたらしくめでたし。

 この住む所は、肥前国とぞいひける。そのわたりにもいささか由ある人は、まづこの少弐の孫のありさまを聞き伝へて、なほ、絶えず訪れ来るも、いといみじう、耳かしかましきまでなむ。

 

第二章 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出

 [第一段 大夫の監の求婚]

 大夫監とて、肥後国に族広くて、かしこにつけてはおぼえあり、勢ひいかめしき兵ありけり。むくつけき心のなかに、いささか好きたる心混じりて、容貌ある女を集めて見むと思ひける。この姫君を聞きつけて、
 「いみじきかたはありとも、我は見隠して持たらむ」
 と、いとねむごろに言ひかかるを、いとむくつけく思ひて、
 「いかで、かかることを聞かで、尼になりなむとす」
 と、言はせたれば、いよいよあやふがりて、おしてこの国に越え来ぬ。

 この男子どもを呼びとりて、語らふことは、
 「思ふさまになりなば、同じ心に勢ひを交はすべきこと」
 など語らふに、二人は赴きにけり。

 「しばしこそ、似げなくあはれと思ひきこえけれ、おのおの我が身のよるべと頼まむに、いと頼もしき人なり。これに悪しくせられては、この近き世界にはめぐらひなむや」
 「よき人の御筋といふとも、親に数まへられたてまつらず、世に知らでは、何のかひかはあらむ。この人のかくねむごろに思ひきこえたまへるこそ、今は御幸ひなれ」
 「さるべきにてこそは、かかる世界にもおはしけめ。逃げ隠れたまふとも、何のたけきことかはあらむ」
 「負けじ魂に、怒りなば、せぬことどもしてむ」

 と言ひ脅せば、「いといみじ」と聞きて、中の兄なる豊後介なむ、

 「なほ、いとたいだいしく、あたらしきことなり。故少弐ののたまひしこともあり。とかく構へて、京に上げたてまつりてむ」

 と言ふ。娘どもも泣きまどひて、

 「母君のかひなくてさすらへたまひて、行方をだに知らぬかはりに、人なみなみにて見たてまつらむとこそ思ふに」
 「さるものの中に混じりたまひなむこと」

 と思ひ嘆くをも知らで、「我はいとおぼえ高き身」と思ひて、文など書きておこす。手などきたなげなう書きて、唐の色紙、香ばしき香に入れしめつつ、をかしく書きたりと思ひたる言葉ぞ、いとたみたりける。みづからも、この家の次郎を語らひとりて、うち連れて来たり。

 [第二段 大夫の監の訪問]

 三十ばかりなる男の、丈高くものものしく太りて、きたなげなけれど、思ひなし疎ましく、荒らかなる振る舞ひなど、見るもゆゆしくおぼゆ。色あひ心地よげに、声いたう嗄れてさへづりゐたり。懸想人は夜に隠れたるをこそ、よばひとは言ひけれ、さまかへたる春の夕暮なり。秋ならねども、あやしかりけり見ゆ。

 心を破らじとて、祖母おとど出で会ふ。

 「故少弐のいと情けび、きらきらしくものしたまひしを、いかでかあひ語らひ申さむと思ひたまへしかども、さる心ざしをも見せ聞こえずはべりしほどに、いと悲しくて、隠れたまひにしを、その代はりに、一向に仕うまつるべくなむ、心ざしを励まして、今日は、いとひたぶるに、強ひてさぶらひつる。
 このおはしますらむ女君、筋ことにうけたまはれば、いとかたじけなし。ただ、なにがしらが私の君と思ひ申して、いただきになむささげたてまつるべき。おとどもしぶしぶにおはしげなることは、よからぬ女どもあまたあひ知りてはべるを聞こしめし疎むななり。さりとも、すやつばらを、人並みにはしはべりなむや。わが君をば、后の位に落としたてまつらじものをや」

 など、いとよげに言ひ続く。

 「いかがは。かくのたまふを、いと幸ひありと思ひたまふるを、宿世つたなき人にやはべらむ、思ひ憚ることはべりて、いかでか人に御覧ぜられむと、人知れず嘆きはべるめれば、心苦しう見たまへわづらひぬる」

 と言ふ。

 「さらに、な思し憚りそ。天下に、目つぶれ、足折れたまへりとも、なにがしは仕うまつりやめてむ。国のうちの仏神は、おのれになむ靡きたまへる」
 など、誇りゐたり。

 「その日ばかり」と言ふに、「この月は季の果てなり」など、田舎びたることを言ひ逃る。

 [第三段 大夫の監、和歌を詠み贈る]

 下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ、やや久しう思ひめぐらして、

 「君にもし心違はば松浦なる
  鏡の神をかけて誓はむ
 この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひたまふる」

 と、うち笑みたるも、世づかずうひうひしや。あれにもあらねば、返しすべくも思はねど、娘どもに詠ますれど、
 「まろは、ましてものもおぼえず」
 とてゐたれば、いと久しきに思ひわびて、うち思ひけるままに、

 「年を経て祈る心の違ひなば
  鏡の神をつらしとや見む」

 とわななかし出でたるを、

 「待てや。こはいかに仰せらるる」

 と、ゆくりかに寄り来たるけはひに、おびえて、おとど、色もなくなりぬ。娘たち、さはいへど、心強く笑ひて、

 「この人の、さまことにものしたまふを、引き違へ、いづらは思はれむを、なほ、ほけほけしき人の、神かけて、聞こえひがめたまふなめりや」

 と解き聞かす。

 「おい、さり、さり」とうなづきて、

 「をかしき御口つきかな。なにがしら、田舎びたりといふ名こそはべれ、口惜しき民にははべらず。都の人とても、何ばかりかあらむ。みな知りてはべり。な思しあなづりそ」

 とて、また、詠まむと思へれども、堪へずありけむ、往ぬめり。

 [第四段 玉鬘、筑紫を脱出]

 次郎が語らひ取られたるも、いと恐ろしく心憂くて、この豊後介を責むれば、

 「いかがは仕まつるべからむ。語らひあはすべき人もなし。まれまれの兄弟は、この監に同じ心ならずとて、仲違ひにたり。この監にあたまれては、いささかの身じろきせむも、所狭くなむあるべき。なかなかなる目をや見む」

 と、思ひわづらひにたれど、姫君の人知れず思いたるさまの、いと心苦しくて、生きたらじと思ひ沈みたまへる、ことわりとおぼゆれば、いみじきことを思ひ構へて出で立つ。妹たちも、年ごろ経ぬるよるべを捨てて、この御供に出で立つ。

 あてきと言ひしは、今は兵部の君といふぞ、添ひて、夜逃げ出でて舟に乗りける。大夫の監は、肥後に帰り行きて、四月二十日のほどに、日取りて来むとるほどに、かくて逃ぐるなりけり。

 姉のおもとは、類広くなりて、え出で立たず。かたみに別れ惜しみて、あひ見むことの難きを思ふに、年経つる故里とて、ことに見捨てがたきこともなし。ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。

 「浮島を漕ぎ離れても行く方や
  いづく泊りと知らずもあるかな」

 「行く先も見えぬ波路に出して
  風にまかする身こそ浮きたれ」

 いとあとはかなき心地して、うつぶし臥したまへり。

 [第五段 都に帰着]

 「かく、逃げぬるよし、おのづから言ひ出で伝へば、負けじ魂にて、追ひ来なむ」と思ふに、心も惑ひて、早舟といひて、さまことになむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、危ふきまで走り上りぬ。響の灘もなだらかに過ぎぬ。

 「海賊の舟にやあらむ。小さき舟の、飛ぶやうにて来る」

 など言ふ者あり。海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにやと思ふに、せむかたなし。

 「憂きことに胸のみ騒ぐ響きには
  響の灘もさはらざりけり」

 「川尻といふ所、近づきぬ」

 と言ふにぞ、すこし生き出づる心地する。例の、舟子ども、

 「唐泊より、川尻おすほどは」

 と歌ふ声の、情けなきも、あはれに聞こゆ。
 豊後介、あはれになつかしう歌ひすさみて、

 「いとかなしき妻子も忘れぬ」

 とて、思へば、
 「げにぞ、皆うち捨ててける。いかがなりぬらむ。はかばかしく身の助けと思ふ郎等どもは、皆率て来にけり。我をしと思ひて、追ひまどはして、いかがしなすらむ」と思ふに、「心幼くも、顧みせで、出でにけるかな」
 と、すこし心のどまりてぞ、あさましき事を思ひ続くるに、心弱くうち泣かれぬ。

 「胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ

 と誦ずるを、兵部の君聞きて、

 「げに、あやしのわざや。年ごろ従ひ来つる人の心にも、にはかに違ひて逃げ出でにしを、いかに思ふらむ」
 と、さまざま思ひ続けらるる。

 「帰る方とても、そこ所と行き着くべき故里もなし。知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人もおぼえず。ただ一所の御ためにより、ここらの年つき住み馴れつる世界を離れて、浮べる波風にただよひて、思ひめぐらす方なし。この人をも、いかにしたてまつらむとするぞ」

 と、あきれておぼゆれど、「いかがはせむ」とて、急ぎ入りぬ。

 

第三章 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅

 [第一段 岩清水八幡宮へ参詣]

 九条に、昔知れりける人の残りたりけるを訪らひ出でて、その宿りを占め置きて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女、商人のなかにて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方行く先、悲しきこと多かり。

 豊後介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸に惑へる心地して、つれづれにならはぬありさまのたづきなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類に触れて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。

 住みつくべきやうもなきを、母おとど、明け暮れ嘆きいとほしがれば、

 「何か。この身は、いとやすくはべり。人一人の御身に代へたてまつりて、いづちもいづちもまかり失せなむに咎あるまじ。我らいみじき勢ひになりても、若君をさるものの中にはふらしたてまつりては、何心地かせまし」

 と語らひ慰めて、

 「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ。近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。かの国を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき。今、都に帰りて、かくなむ御験を得てまかり上りたると、早く申したまへ」

 とて、八幡に詣でさせたてまつる。それのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五師とて、早く親の語らひし大徳残れるを呼びとりて、詣でさせたてまつる。

 [第二段 初瀬の観音へ参詣]

 「うち次ぎては、仏の御なかには、初瀬なむ、日の本のうちには、あらたなる験現したまふと、唐土にだに聞こえあむなり。まして、わが国のうちにこそ、遠き国の境とても、年経たまへれば、若君をば、まして恵みたまひてむ」

 とて、出だし立てたてまつる。ことさらに徒歩よりと定めたり。ならはぬ心地に、いとわびしく苦しけれど、人の言ふままに、ものもおぼえで歩みたまふ。

 「いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ。わが親、世に亡くなりたまへりとも、われをあはれと思さば、おはすらむ所に誘ひたまへ。もし、世におはせば、御顔見せたまへ」

 と、仏を念じつつ、ありけむさまをだにおぼえねば、ただ、「親おはせましかば」と、ばかりの悲しさを、嘆きわたりたまへるに、かくさしあたりて、身のわりなきままに、取り返しいみじくおぼえつつ、からうして、椿市といふ所に、四日といふ巳の時ばかりに、生ける心地もせで、行き着きたまへり。

 歩むともなく、とかくつくろひたれど、足のうら動かれず、わびしければ、せむかたなくて休みたまふ。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三、四人、女ばらある限り三人、壺装束して、樋洗めく者、古き下衆女二人ばかりとぞある。

 いとかすかに忍びたり。大御燈明のことなど、ここにてし加へなどするほどに日暮れぬ。家主人の法師、

 「人宿したてまつらむとする所に、何人のものしたまふぞ。あやしき女どもの、心にまかせて」

 とむつかるを、めざましく聞くほどに、げに、人びと来ぬ。

 [第三段 右近も初瀬へ参詣]

 これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、男女、数多かむめる。馬四つ、五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、きよげなる男どもなどあり。

 法師は、せめてここに宿さまほしくして、頭掻きありく。いとほしけれど、また、宿り替へむもさま悪しくわづらはしければ、人びとは奥に入り、他に隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。軟障などひき隔てておはします。

 この来る人も恥づかしげもなし。いたうかいひそめて、かたみに心づかひしたり。
 さるは、かの世とともに恋ひ泣く右近なりけり。年月に添へて、はしたなき交じらひのつきなくなりゆく身を思ひなやみて、この御寺になむたびたび詣でける。

 例ならひにければ、かやすく構へたりけれど、徒歩より歩み堪へがたくて、寄り臥したるに、この豊後介、隣の軟障のもとに寄り来て、参り物なるべし、折敷手づから取りて、

 「これは、御前に参らせたまへ。御台などうちあはで、いとかたはらいたしや」

 と言ふを聞くに、「わが並の人にはあらじ」と思ひて、物のはさまより覗けば、この男の顔、見し心地す。誰とはえおぼえず。いと若かりしほどを見しに、太り黒みてやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見分かぬなりけり。

 「三条、ここに召す」

 と呼び寄する女を見れば、また見し人なり。

 「故御方に、下人なれど、久しく仕うまつりなれて、かの隠れたまへりし御住みかまでありし者なりけり」
 と見なして、いみじく夢のやうなり。主とおぼしき人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。思ひわびて、

 「この女に問はむ。兵藤太といひし人も、これにこそあらめ。姫君のおはするにや」

 と思ひ寄るに、いと心もとなくて、この中隔てなる三条を呼ばすれど、食ひ物に心入れて、とみにも来ぬ、いと憎しとおぼゆるも、うちつけなりや。

 [第四段 右近、玉鬘に再会す]

 からうして、

 「おぼえずこそはべれ。筑紫の国に、二十年ばかり経にける下衆の身を、知らせたまふべき京人よ。人違へにやはべらむ」

 とて、寄り来たり。田舎びたる掻練にど着て、いといたう太りにけり。わが齢もいとどおぼえて恥づかしけれど、

 「なほ、さし覗け。われをば見知りたりや」

 とて、顔さし出でたり。この女の手を打ちて、

 「あが御許にこそおはしましけれ。あな、うれしともうれし。いづくより参りたまひたるぞ。上はおはしますや」

 と、いとおどろおどろしく泣く。若き者にて見なれし世を思ひ出づるに、隔て来にける年月数へられて、いとあはれなり。

 「まづ、おとどはおはすや。若君は、いかがなりたまひにし。あてきと聞こえしは」

 とて、君の御ことは、言ひ出でず。

 「皆おはします。姫君も大人になりておはします。まづ、おとどに、かくなむと聞こえむ」

 とて入りぬ。
 皆、驚きて、

 「夢の心地もするかな」
 「いとつらく、言はむかたなく思ひきこゆる人に、対面しぬべきことよ」

 とて、この隔てに寄り来たり。気遠く隔てつる屏風だつもの、名残なくおし開けて、まづ言ひやるべき方なく泣き交はす。老い人は、ただ、

 「わが君は、いかがなりたまひにし。ここらの年ごろ、夢にてもおはしまさむ所を見むと、大願を立つれど、遥かなる世界にて、風の音にてもえ聞き伝へたてまつらぬを、いみじく悲しと思ふに、老いの身の残りとどまりたるも、いと心憂けれど、うち捨てたてまつりたまへる若君の、らうたくあはれにておはしますを、冥途のほだしにもてわづらひきこえてなむ、またたきはべる」

 と言ひ続くれば、昔その折、いふかひなかりしことよりも、応へむ方なくわづらはしと思へども、

 「いでや、聞こえてもかひなし。御方は、はや亡せたまひにき」

 と言ふままに、二、三人ながらむせかへり、いとむつかしく、せきかねたり。

 [第五段 右近、初瀬観音に感謝]

 日暮れぬと、急ぎたちて、御燈明の事どもしたため果てて、急がせば、なかなかいと心あわたたしくて立ち別る。「もろともにや」と言へど、かたみに供の人のあやしと思ふべければ、この介にも、ことのさまだに言ひ知らせあへず。われも人もことに恥づかしくはあらで、皆下り立ちぬ。

 右近は、人知れず目とどめて見るに、なかにうつくしげなるうしろでの、いといたうやつれて、卯月の単衣めくものに着こめたまへる髪の透影、いとあたらしくめでたく見ゆ。心苦しう悲しと見たてまつる。

 すこし足なれたる人は、とく御堂に着きにけり。この君をもてわづらひきこえつつ、初夜行なふほどにぞ上りたまへる。いと騒がしく人詣で混みてののしる。右近が局は、仏の右の方に近き間にしたり。この御師は、まだ深からねばにや、西の間に遠かりけるを、

 「なほ、ここにおはしませ」

 と、尋ね交はし言ひたれば、男どもをばとどめて、介にかうかうと言ひあはせて、こなたに移したてまつる。

 「かくあやしき身なれど、ただ今の大殿になむさぶらひはべれば、かくかすかなる道にても、らうがはしきことははべらじと頼みはべる。田舎びたる人をば、かやうの所には、よからぬ生者どもの、あなづらはしうするも、かたじけなきことなり」

 とて、物語いとせまほしけれど、おどろおどろしき行なひの紛れ、騒がしきにもよほされて、仏拝みたてまつる。右近は心のうちに、

 「この人を、いかで尋ねきこえむと申しわたりつるに、かつがつ、かくて見たてまつれば、今は思ひのごと、大臣の君の、尋ねたてまつらむの御心ざし深かめるに、知らせたてまつりて、幸ひあらせたてまつりたまへ」

 など申しけり。

 [第六段 三条、初瀬観音に祈願]

 国々より、田舎人多く詣でたりけり。この国の守の北の方も、詣でたりけり。いかめしく勢ひたるをうらやみて、この三条が言ふやう、

 「大悲者には、異事も申さじ。あが姫君、大弐の北の方、ならずは当国の受領の北の方になしたてまつらむ。三条らも、随分に栄えて、返り申しは仕うまつらむ」

 と、額に手を当てて念じ入りてをり。右近、「いとゆゆしくも言ふかな」と聞きて、

 「いと、いたくこそ田舎びにけれな。中将殿は、昔の御おぼえだにいかがおはしましし。まして、今は、天の下を御心にかけたまへる大臣にて、いかばかりいつかしき御仲に、御方しも、受領の妻にて、品定まりておはしまさむよ」

 と言へば、

 「あなかま。たまへ。大臣たちもしばし待て。大弐の御館の上の、清水の御寺、観世音寺参りたまひし勢ひは、帝の行幸にやは劣れる。あな、むくつけ」

 とて、なほさらに手をひき放たず、拝み入りてをり。

 筑紫人は、三日籠もらむと心ざしたまへり。右近は、さしも思はざりけれど、かかるついで、のどかに聞こえむとて、籠もるべきよし、大徳呼びて言ふ。御あかし文など書きたる心ばへなど、さやうの人はくだくだしうわきまへければ、常のことにて、

 「例の藤原の瑠璃君といふが御ためにたてまつる。よく祈り申したまへ。その人、このころなむ見たてまつり出でたる。その願も果たしたてまつるべし」

 と言ふを聞くも、あはれなり。法師、

 「いとかしこきことかな。たゆみなく祈り申しはべる験にこそはべれ」

 と言ふ。いと騒がしう、夜一夜行なふなり。

 [第七段 右近、主人の光る源氏について語る]

 明けぬれば、知れる大徳の坊に下りぬ。物語、心やすくとなるべし。姫君のいたくやつれたまへる、恥づかしげに思したるさま、いとめでたく見ゆ。

 「おぼえぬ高き交じらひをして、多くの人をなむ見集むれど、殿の上の御容貌に似る人おはせじとなむ、年ごろ見たてまつるを、また、生ひ出でたまふ姫君の御さま、いとことわりにめでたくおはします。かしづきたてまつりたまふさまも、並びなかめるに、かうやつれたまへる御さまの、劣りたまふまじく見えたまふは、ありがたうなむ。

 大臣の君、父帝の御時より、そこらの女御、后、それより下は残るく見たてまつり集めたまへる御目にも、当代の御母后と聞こえしと、この姫君の御容貌とをなむ、『よき人とはこれを言ふにやあらむとおぼゆる』と聞こえたまふ。

 見たてまつり並ぶるに、かの后の宮をば知りきこえず、姫君はきよらにおはしませど、まだ、片なりにて、生ひ先ぞ推し量られたまふ。

 上の御容貌は、なほ誰か並びたまはむと、なむ見えたまふ。殿も、すぐれたりと思しためるを、言に出でては、何かは数へのうちには聞こえたまはむ。『我に並びたまへるこそ、君はおほけなけれ』となむ、戯れきこえたまふ。

 見たてまつるに、命延ぶる御ありさまどもを、またさるたぐひおはしましなむやとなむ思ひはべるに、いづくかりたまはむ。ものは限りあるものなれば、すぐれたまへりとて、頂きを離れたる光やはおはする。ただ、これを、すぐれたりとは聞こゆべきなめりかし」

 と、うち笑みて見たてまつれば、老い人もうれしと思ふ。

 [第八段 乳母、右近に依頼]

 「かかる御さまを、ほとほとあやしき所に沈めたてまつりぬべかりしに、あたらしく悲しうて、家かまどをも捨て、男女の頼むべき子どもにも引き別れてなむ、かへりて知らぬ世の心地する京にまうで来し。
 あが御許、はやくよきさまに導ききこえたまへ。高き宮仕へしたまふ人は、おのづから行き交じりたるたよりものしたまふらむ。父大臣に聞こしめされ、数まへられたまふべきたばかり、思し構へよ」

 と言ふ。恥づかしう思いて、うしろ向きたまへり。

 「いでや、身こそ数ならねど、殿も御前近く召し使ひたまへば、ものの折ごとに、『いかにならせたまひにけむ』と聞こえ出づるを、聞こしめし置きて、『われいかで尋ねきこえむと思ふを、聞き出でたてまつりたらば』となむ、のたまはする」

 と言へば、

 「大臣の君は、めでたくおはしますとも、さるやむごとなき妻どもおはしますなり。まづまことの親とおはする大臣にを知らせたてまつりたまへ」

 など言ふに、ありしさまなど語り出でて、

 「世に忘れがたく悲しきことになむ思して、『かの御代はりに見たてまつらむ。子も少なきがさうざうしきに、わが子を尋ね出でたると人には知らせて』と、そのかみよりのたまふなり。
 心の幼かりけることは、よろづにものつつましかりしほどにて、え尋ねても聞こえで過ごししほどに、少弐になりたまへるよしは、御名にて知りにき。まかり申しに、殿に参りたまへりし日、ほの見たてまつりしかども、え聞こえで止みにき。
 さりとも、姫君をば、かのありし夕顔の五条にぞとどめたてまつりたまへらむとぞ思ひし。あな、いみじや。田舎人にておはしまさましよ」

 など、うち語らひつつ、日一日、昔物語、念誦などしつつ。

 [第九段 右近、玉鬘一行と約束して別れる]

 参り集ふ人のありさまども、見下さるる方なり。前より行く水をば、初瀬川といふなりけり。右近、

 「二本の杉たちどを尋ねずは
  古川野辺に君を見ましや
 うれしき瀬にも

 と聞こゆ。

 「初瀬川はやくのことは知らねども
  今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ」

 と、うち泣きておはするさま、いとめやすし。
 「容貌はいとかくめでたくきよげながら、田舎び、こちこちしうおはせましかば、いかに玉の瑕ならまし。いで、あはれ、いかでかく生ひ出でたまひけむ」
 と、おとどをうれしく思ふ。

 母君は、ただいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞ、たをやぎたまへりし。これは気高く、もてなしなど恥づかしげに、よしめきたまへり。筑紫を心にくく思ひなすに、皆、見し人は里びにたるに、心得がたくなむ。

 暮るれば、御堂に上りて、またの日も行なひ暮らしたまふ。
 秋風、谷より遥かに吹きのぼりて、いと肌寒きに、ものいとあはれなる心どもにはよろづ思ひ続けられて、人並々ならむこともありがたきことと思ひ沈みつるを、この人の物語のついでに、父大臣の御ありさま、腹々の何ともあるまじき御子ども、皆ものめかしなしたてたまふを聞けば、かかる下草頼もしくぞ思しなりぬる。

 出づとても、かたみに宿る所も問ひ交はして、もしまた追ひ惑はしたらむ時と、危ふく思ひけり。右近が家は、六条の院近きわたりなりければ、ほど遠からで、言ひ交はすもたつき出で来ぬる心地しけり。

 

第四章 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語

 [第一段 右近、六条院に帰参する]

 右近は、大殿に参りぬ。このことをかすめ聞こゆるついでもやとて、急ぐなりけり。御門引き入るるより、けはひことに広々として、まかで参りする車多くまよふ。数ならで立ち出づるも、まばゆき心地する玉の台なり。その夜は御前にも参らで、思ひ臥したり。

 またの日、昨夜里より参れる上臈、若人どものなかに、取り分きて右近を召し出づれば、おもだたしくおぼゆ。大臣も御覧じて、

 「などか、里居は久しくしつるぞ。例ならず、やまめ人の、引き違へ、こまがへるやうもありかし。をかしきことなどありつらむかし」

 など、例の、むつかしう、戯れ事などのたまふ。

 「まかでて、七日に過ぎはべりぬれど、をかしきことははべりがたくなむ。山踏しはべりて、あはれなる人をなむ見たまへつけたりし」

 「何人ぞ」

 と問ひたまふ。「ふと聞こえ出でむも、まだ上に聞かせたてまつらで、取り分き申したらむを、のちに聞きたまうては、隔てきこえけりとや思さむ」など、思ひ乱れて、

 「今聞こえさせはべらむ」

 とて、人びと参れば、聞こえさしつ。

 大殿油など参りて、うちとけ並びおはします御ありさまども、いと見るかひ多かり。女君は、二十七八にはなりたまひぬらむかし、盛りにきよらにねびまさりたまへり。すこしほど経て見たてまつるは、「また、このほどにこそ、にほひ加はりたまひにけれ」と見えたまふ。

 かの人をいとめでたし、劣らじと見たてまつりしかど、思ひなしにや、なほこよなきに、「幸ひのなきとあるとは、隔てあるべきわざかな」と見合はせらる。

 [第二段 右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る]

 大殿籠もるとて、右近を御脚参りに召す。

 「若き人は、苦しとてむつかるめり。なほ年経ぬるどちこそ、心交はして睦びよかりけれ」

 とのたまへば、人びと忍びて笑ふ。

 「さりや。誰か、その使ひならいたまはむをば、むつからむ」
 「うるさき戯れ事言ひかかりたまふを、わづらはしきに」

 など言ひあへり。

 「上も、年経ぬるどちうちとけ過ぎ、はた、むつかりたまはむとや。さるまじき心と見ねば、危ふし」

 など、右近に語らひて笑ひたまふ。いと愛敬づき、をかしきけさへ添ひたまへり。

 今は朝廷に仕へ、忙しき御ありさまにもあらぬ御身にて、世の中のどやかに思さるるままに、ただはかなき御戯れ事をのたまひ、をかしく人の心を見たまふあまりに、かかる古人をさへぞ戯れたまふ。

 「かの尋ね出でたりけむや、何ざまの人ぞ。尊き修行者語らひて、率て来たるか」

 と問ひたまへば、

 「あな、見苦しや。はかなく消えたまひにし夕顔の露の御ゆかりをなむ、見たまへつけたりし」

 と聞こゆ。

 「げに、あはれなりけることかな。年ごろはいづくにか」

 とのたまへば、ありのままには聞こえにくくて、

 「あやしき山里になむ。昔人もかたへは変はらではべりければ、その世の物語し出ではべりて、堪へがたく思ひたまへりし」

 など聞こえゐたり。

 「よし、心知りたまはぬ御あたりに」

 と、隠しきこえたまへば、上、

 「あな、わづらはし。ねぶたきに、聞き入るべくもあらぬものを」

 とて、御袖して御耳塞ぎたまひつ。

 「容貌などは、かの昔の夕顔と劣らじや」

 などのたまへば、

 「かならずさしもいかでかものしたまはむと思ひたまへりしを、こよなうこそ生ひまさりて見えたまひしか」

 と聞こゆれば、

 「をかしのことや。誰ばかりとおぼゆ。この君と」

 とのたまへば、

 「いかでか、さまでは」

 と聞こゆれば、

 「したり顔にこそ思ふべけれ。我に似たらばしも、うしろやすしかし」

 と、親めきてのたまふ。

 [第三段 源氏、玉鬘を六条院へ迎える]

 かく聞きそめてのちは、召し放ちつつ、

 「さらば、かの人、このわたりに渡いたてまつらむ。年ごろ、もののついでごとに、口惜しう惑はしつることを思ひ出でつるに、いとうれしく聞き出でながら、今までおぼつかなきも、かひなきことになむ。
 父大臣には、何か知られむ。いとあまたもて騒がるめるが、数ならで、今はじめ立ち交じりたらむが、なかなかなることこそあらめ。我は、かうさうざうしきに、おぼえぬ所より尋ね出だしたるとも言はむかし。好き者どもの心尽くさするくさはひにて、いといたうもてなさむ」

 など語らひたまへば、かつがついとうれしく思ひつつ、

 「ただ御心になむ。大臣に知らせたてまつらむとも、誰れかは伝へほのめかしたまはむ。いたづらに過ぎものしたまひし代はりには、ともかくも引き助けさせたまはむことこそは、罪軽ませたまはめ」

 と聞こゆ。

 「いたうもかこちなすかな」

 と、ほほ笑みながら、涙ぐみたまへり。

 「あはれに、はかなかりける契りとなむ、年ごろ思ひわたる。かくて集へる々のなかに、かの折の心ざしばかり思ひとどむる人なかりしを、命長くて、わが心長さをも見はべるたぐひ多かめるなかに、いふかひなくて、右近ばかりを形見に見るは、口惜しくなむ。思ひ忘るる時なきに、さてものしたまはば、いとこそ本意かなふ心地すべけれ」

 とて、御消息たてまつれたまふ。かの末摘花のいふかひなかりしを思し出づれば、さやうに沈みて生ひ出でたらむ人のありさまうしろめたくて、まづ、文のけしきゆかしく思さるるなりけり。ものまめやかに、あるべかしく書きたまひて、端に、

 「かく聞こゆるを、
  知らずとも尋ねて知らむ三島江に
  生ふる三稜の筋はえじを」

 となむありける。
 御文、みづからまかでて、のたまふさまなど聞こゆ。御装束、人びとの料などさまざまあり。上にも語らひきこえたまへるなるべし、御匣殿などにも、設けの物召し集めて、色あひ、しざまなど、ことなるをと、選らせたまへれば、田舎びたる目どもには、まして珍らしきまでなむ思ひける。

 [第四段 玉鬘、源氏に和歌を返す]

 正身は、
 「ただかことばかりにても、まことの親の御けはひならばこそうれしからめ、いかでか知らぬ人の御あたりには交じらはむ」
 と、おもむけて、苦しげに思したれど、あるべきさまを、右近聞こえ知らせ、人びとも、

 「おのづから、さて人だちたまひなば、大臣の君も尋ね知りきこえたまひなむ。親子の御契りは、絶えて止まぬものなり」
 「右近が、数にもはべらず、いかでか御覧じつけられむと思ひたまへしだに、仏神の御導きはべらざりけりや。まして、誰れも誰れもたひらかにだにおはしまさば」

 と、皆聞こえ慰む。
 「まづ御返りを」と、責めて書かせたてまつる。
 「いとこよなく田舎びたらむものを」
 と恥づかしく思いたり。唐の紙のいと香ばしきを取り出でて、書かせたてまつる。

 「数ならぬ三稜や何の筋なれば
  憂きにしもかく根をとどめけむ」

 とのみ、ほのかなり。手は、はかなだち、よろぼはしけれど、あてはかにて口惜しからねば、御心落ちゐにけり。

 住みたまふべき御かた御覧ずるに、
 「南の町には、いたづらなる対どもなどし。勢ひことに住み満ちたまへれば、顕証に人しげくもあるべし。中宮おはしますは、かやうの人も住みぬべく、のどやかなれど、さてさぶらふ人の列にや聞きなさむ」と思して、「すこし埋れたれど、丑寅の町の西の対、文殿にてあるを、異方へ移して」と思す。
 「あひ住みにも、忍びやかに心よくものしたまふ御方なれば、うち語らひてもありなむ」
 と思しおきつ。

 [第五段 源氏、紫の上に夕顔について語る]

 上にも、今ぞ、かのありし昔の世の物語聞こえ出でたまひける。かく御心に籠めたまふことありけるを、恨みきこえたまふ。

 「わりなしや。世にある人の上とてや、問はず語りは聞こえ出でむ。かかるついでに隔てぬこそは、人にはことには思ひきこゆれ」

 とて、いとあはれげに思し出でたり。

 「人の上にてもあまた見しに、いと思はぬなかも、女といふものの心深きをあまた見聞きしかば、さらに好き好きしき心はつかはじとなむ思ひしを、おのづからさるまじきをもあまた見しなかに、あはれとひたぶるにらうたきかたは、またたぐひなくなむ思ひ出でらるる。世にあらましかば、北の町にものする人の列には、などか見ざらまし。人のありさま、とりどりになむありける。かどかどしう、をかしき筋などはおくれたりしかども、あてはかにらうたくもありしかな」

 などのたまふ。

 「さりとも、明石の列には、立ち並べたまはざらまし」

 とのたまふ。なほ北の御殿をば、めざましと心置きたまへり。姫君の、いとうつくしげにて、何心もなく聞きたまふが、らうたければ、また、「ことわりぞかし」と思し返さる。

 [第六段 玉鬘、六条院に入る]

 かくいふは、九月のことなりけり。渡りまはむこと、すがすがしくもいかでかはあらむ。よろしき童女、若人など求めさす。筑紫にては、口惜しからぬ人びとも、京より散りぼひ来たるなどを、たよりにつけて呼び集めなどしてさぶらはせも、にはかに惑ひ出でたまひし騷ぎに、皆おくらしてければ、また人もなし。京はおのづから広き所なれば、市女などやうのもの、いとよく求めつつ、率て来その人の御子などは知らせざりけり。

 右近が里の五条に、まづ忍びて渡したてまつりて、人びと選りととのへ、装束ととのへなどして、十月にぞ渡りたまふ。
 大臣、東の御方に聞こえつけたてまつりたまふ。

 「あはれと思ひし人の、ものうじして、はかなき山里に隠れゐにけるを、幼き人のありしかば、年ごろも人知れず尋ねはべりしかども、え聞き出ででなむ、女になるまで過ぎにけるを、おぼえぬかたよりなむ、聞きつけたる時にだにとて、移ろはしはべるなり」とて、「母も亡くなりにけり。中将を聞こえつけたるに、悪しくやはある。同じごと後見たまへ。山賤めきて生ひ出でたれば、鄙びたること多からむ。さるべく、ことにふれて教へたまへ」

 と、いとこまやかに聞こえたまふ。

 「げに、かかる人のおはしけるを、知りきこえざりけるよ。姫君の一所ものしたまふがさうざうしきに、よきことかな」

 と、おいらかにのたまふ。

 「かの親なりし人は、心なむありがたきまでよかりし。御心もうしろやすく思ひきこゆれば」

 などのたまふ。

 「つきづきしく後む人なども、こと多からで、つれづれにはべるを、うれしかるべきこと」

 になむのたまふ。
 殿のうちの人は、御女とも知らで、

 「何人、また尋ね出でたまへるならむ」
 「むつかしき古者扱ひかな」

 と言ひけり。
 御車三つばかりして、人の姿どもなど、右近あれば、田舎びず仕立てたり。殿よりぞ、綾、何くれとたてまつれたまへる。

 [第七段 源氏、玉鬘に対面する]

 その夜、やがて大臣の君渡りたまへり。昔、光る源氏などいふ御名は、聞きわたりたてまつりしかど、年ごろのうひうひしさに、さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油に、御几帳のほころびよりはつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞおぼゆるや。
 渡りたまふ方の戸を、右近かい放てば、

 「この戸口に入るべき人は、心ことにこそ」

 と笑ひたまひて、廂なる御座についゐたまひて、

 「燈こそ、いと懸想びたる心地すれ。親の顔はゆかしきものとこそ聞け。さも思さぬか」

 とて、几帳すこし押しやりたまふ。わりなく恥づかしければ、そばみておはする様体など、いとめやすく見ゆれば、うれしくて、

 「今すこし、光見せむや。あまり心にくし」

 とのたまへば、右近、かかげてすこし寄す。

 「おもなの人や」

 とすこし笑ひたまふ。げにとおぼゆる御まみの恥づかしげさなり。いささかも異人と隔てあるさまにものたまひなさず、いみじく親めきて、

 「年ごろ御行方を知らで、心にかけぬ隙なく嘆きはべるを、かうて見たてまつるにつけても、夢の心地して、過ぎにし方のことども取り添へ、忍びがたきに、えなむ聞こえられざりける」

 とて、御目おし拭ひたまふ。まことに悲しう思し出でらる。御年のほど、数へたまひて、

 「親子の仲の、かく年経たるたぐひあらじものを。契りつらくもありけるかな。今は、ものうひうひしく、若びたまふべき御ほどにもあらじを、年ごろの御物語など聞こえまほしきに、などかおぼつかなくは」

 と恨みたまふに、聞こえむこともなく、恥づかしければ、

 「脚立たず沈みめはべりにけるのち、何ごともあるかなきかになむ」

 と、ほのかに聞こえたまふ声ぞ、昔人にいとよくおぼえて若びたりける。ほほ笑みて、

 「沈みたまひけるを、あはれとも、今は、また誰れかは」

 とて、心ばへいふかひなくはあらぬ御応へと思す。右近に、あるべきことのたまはせて、渡りたまひぬ。

 [第八段 源氏、玉鬘の人物に満足する]

 めやすくものしたまふを、うれしく思して、上にも語りきこえたまふ。

 「さる山賤のなかに年経たれば、いかにいとほしげならむとあなづりしを、かへりて心恥づかしきまでなむ見ゆる。かかる者ありと、いかで人に知らせて、兵部卿宮などの、この籬のうち好ましうしたまふ心乱りにしがな。好き者どもの、いとうるはしだちてのみ、このわたりに見ゆるも、かかる者のくさはひのなきほどなり。いたうもてなしてしがな。なほうちあはぬ人のけしき見集めむ」

 とのたまへば、

 「あやしの人の親や。まづ人の心励まさむことを先に思すよ。けしからず」

 とのたまふ。

 「まことに君をこそ、今の心ならましかば、さやうにもてなして見つべかりけれ。いと無心にしなしてしわざぞかし」

 とて、笑ひたまふに、面赤みておはする、いと若くをかしげなり。硯引き寄せたまうて、手習に、

 「恋ひわたる身はそれなれど玉かづら
  いかなる筋を尋ね来つらむ
 あはれ」

 と、やがて独りごちたまへば、「げに、深く思しける人の名残なめり」と見たまふ。

 [第九段 玉鬘の六条院生活始まる]

 中将の君にも、

 「かかる人を尋ね出でたるを、用意して睦び訪らへ」
 とのたまひければ、こなたに参うでたまひて、

 「人数ならずとも、かかる者さぶらふと、まづ召し寄すべくなむはべりける。御渡りのほどにも、参り仕うまつらざりけること」

 と、いとまめまめしう聞こえたまへば、かたはらいたきまで、心知れる人は思ふ。

 心の限り尽くしたりし御住まひなりしかど、あさましう田舎びたりしも、たとしへなくぞ思ひ比べらるるや。御しつらひよりはじめ、今めかしう気高くて、親、はらからと睦びきこえたまふ御さま、容貌よりはじめ、目もあやにおぼゆるに、今ぞ、三条も大弐をあなづらはしく思ひける。まして、監が息ざしけはひ、思ひ出づるもゆゆしきこと限りなし。

 豊後介の心ばへをありがたきものに君も思し知り、右近も思ひ言ふ。「おほぞうなるは、ことも怠りぬべし」とて、こなたの家司ども定め、あるべきことどもおきてさせたまふ。豊後介もなりぬ。

 年ごろ田舎び沈みたりし心地に、にはかに名残もなく、いかでか、仮にても立ち出で見るべきよすがなくおぼえし大殿のうちを、朝夕に出で入りならし、人を従へ、事行なふ身となればいみじき面目と思ひけり。大臣の君の御心おきての、こまかにありがたうおはしますこと、いとかたじけなし。

 

第五章 光る源氏の物語 末摘花の物語と和歌論

 [第一段 歳末の衣配り]

 年の暮に、御しつらひのこと、人びとの装束など、やむごとなき御列に思しおきてたる、「かかりとも、田舎びたることや」と、山賤の方にあなづり推し量りきこえたまひて調じたるも、たてまつりたまふついでに、織物どもの、我も我もと、手を尽くして織りつつ持て参れる細長、小袿の、色々さまざまなるを御覧ずるに、

 「いと多かりけるものどもかな。方々に、うらやみなくこそものすべかりけれ」

 と、上に聞こえたまへば、御匣殿に仕うまつれるも、こなたにせさせたまへるも、皆取う出させたまへり。
 かかる筋はた、いとすぐれて、世になき色あひ、匂ひを染めつけたまへば、ありがたしと思ひきこえたまふ。

 ここかしこの擣殿より参らせたる擣物ども御覧じ比べて、濃き赤きなど、さまざまを選らせたまひつつ、御衣櫃、衣筥どもに入れさせたまうて、おとなびたる上臈どもさぶらひて、「これは、かれは」と取り具しつつ入る。上も見たまひて、

 「いづれも、劣りまさるけぢめも見えぬものどもなめるを、着たまはむ人の御容貌に思ひよそへつつたてまつれたまへかし。着たる物のさまに似ぬは、ひがひがしくもありかし」

 とのたまへば、大臣うち笑ひて、

 「つれなくて、人の御容貌推し量らむの御心なめりな。さては、いづれをとか思す」

 と聞こえたまへば、

 「それも鏡にては、いかでか」

 と、さすが恥ぢらひておはす。

 紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿、今様色のいとすぐれたるとは、かの御料。桜の細長に、つややかなる掻練取り添へては、姫君の御料なり。

 浅縹の海賦の織物、織りざまなまめきたれど、匂ひやかならぬに、いと濃き掻練具して、夏の御方に。

 曇りなく赤きに、山吹の花の細長は、かの西の対にたてまつれたまふを、上は見ぬやうにて思しあはす。「内の大臣の、はなやかに、あなきよげとは見えながら、なまめかしう見えたる方のまじらぬに似たるなめり」と、げに推し量らるる、色には出だしたまはねど、殿見やりたまへるに、ただならず。

 「いで、この容貌のよそへは、人腹立ちぬべきことなり。よきとても、物の色は限りあり、人の容貌は、おくれたるも、またなほ底ひあるものを」

 とて、かの末摘花の御料に、柳の織物の、よしある唐草を乱れ織れるも、いとなまめきたれば、人知れずほほ笑まれたまふ。

 梅の折枝、蝶、鳥飛びちがひ、唐めいたる白き小袿に、濃きがつややかなる重ねて、明石の御方に。思ひやり気高きを、上はめざましと見たまふ。

 空蝉の尼君に、青鈍の織物、いと心ばせあるを見つけたまひて、御料にある梔子の御衣、聴し色なる添へたまひて、同じ日着たまふべき御消息聞こえめぐらしたまふ。げに、似ついたる見むの御心なりけり。

 [第二段 末摘花の返歌]

 皆、御返りどもただならず。御使の禄、心々なるに、末摘、東の院におはすれば、今すこしさし離れ、艶なるべきを、うるはしくものしたまふ人にて、あるべきことは違へたまはず、山吹の袿の、袖口いたくすすけたるを、うつほにてうち掛けたまへり。御文には、いとかうばしき陸奥紙の、すこし年経、厚きが黄ばみたるに、

 「いでや、賜へるは、なかなかにこそ。
  着てみれば恨みられけり唐衣
  返しやりてむ袖を濡らして」

 御手の筋、ことに奥よりにたり。いといたくほほ笑みたまひて、とみにもうち置きたまはねば、上、何ごとならむと見おこせたまへり。

 御使にかづけたる物を、いと侘しくかたはらいたしと思して、御けしき悪しければ、すべりまかでぬ。いみじく、おのおのはささめき笑ひけり。かやうにわりなう古めかしう、かたはらいたきところのつきたまへるさかしらに、もてわづらひぬべう思す。恥づかしきまみなり。

 [第三段 源氏の和歌論]

 「古代の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』かことこそ離れねな。まろも、その列ぞかし。さらに一筋にまつはれて、今めきたる言の葉にゆるぎたまはぬこそ、ねたきことは、はたあれ。人の中なることを、をりふし、御前などのわざとある歌詠みのなかにては、『円居』離れぬ三文字ぞかし。昔の懸想のをかしき挑みには、『あだ人』といふ五文字を、やすめどころにうち置きて、言の葉の続きたよりある心地すべかめり」

 など笑ひたまふ。

 「よろづの草子、歌枕、よく案内知り見尽くして、そのうちの言葉を取り出づるに、詠みつきたる筋こそ、強うは変はらざるべけれ。
 常陸の親王の書き置きたまへりける紙屋紙の草子をこそ、見よとておこせたりしか。和歌の髄脳いと所狭う、病去るべきところ多かりしかば、もとよりおくれたる方の、いとどなかなか動きすべくも見えざりしかば、むつかしくて返してき。よく案内知りたまへる人の口つきにては、目馴れてこそあれ」

 とて、をかしく思いたるさまぞ、いとほしきや。
 上、いとまめやかにて、

 「などて、返したまひけむ。書きとどめて、姫君にも見せたてまつりたまふべかりけるものを。ここにも、もののなかなりしも、虫みな損なひてければ。見ぬ人はた、心ことにこそは遠かりけれ」

 とのたまふ。

 「姫君の御学問に、いと用なからむ。すべて女は、立てて好めることまうけてしみぬるは、さまよからぬことなり。何ごとも、いとつきなからむは口惜しからむ。ただ心の筋を、漂はしからずもてしづめおきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかりける」

 などのたまひて、返しは思しもかけねば、

 「返しやりてむ、とあめるに、これよりおし返したまはざらむも、ひがひがしからむ」

 と、そそのかしきこえたまふ。情け捨てぬ御心にて、書きたまふ。いと心やすげなり。

 「返さむと言ふにつけても片敷の
  夜の衣を思ひこそやれ
 ことわりなりや」

 とぞあめる。

 【出典】
出典1 世の中にあらましかばと思ふ人亡きが多くもなりにけるかな(拾遺集哀傷-一二九九 藤原為頼泳(戻)
出典2 犬上の鳥籠の山なる名取川いさと答へよ我が名漏らすな(古今集墨滅歌-一一〇八 読人しらず)(戻)
出典3 いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも帰る浪かな(後撰集羈旅-一三五二 在原業平)(戻)
出典4 思ひきや鄙の別に衰へて海人の縄たき漁りせむとは(古今集雑下-九六一 小野篁)(戻)
出典5 ちはやぶる金の岬を過ぐるとも我は忘れず志賀の皇神(万葉集巻七-一二三四)(戻)
出典6 いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり(古今集恋一-五四六 読人しらず)(戻)
出典7 涼源郷井不得見 胡地妻児虚棄捐(白氏文集巻三-一四四)(戻)
出典8 初瀬川古川野辺に二本ある杉年を経てまたも逢ひ見む二本ある杉(古今集雑体-一〇〇九 読人しらず)(戻)
出典9 祈りつつ頼みぞ渡る初瀬川うれしき瀬にも流れ逢ふやと(古今六帖三-一五七〇)(戻)
出典10 かぞいろはいかにあはれと思ふらむ三年になりぬ脚立たずして(和漢朗詠下-六六 大江朝綱)(戻)

 【校訂】
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
校訂1 なるを--(/+なるを)(戻)
校訂2 堪へず--たら(ら/$へ<朱>)す(戻)
校訂3 来むと--こむ(む/+と<朱>)(戻)
校訂4 波路に--浪路と(と/$に<朱>)(戻)
校訂5 我を--我(我/+を)(戻)
校訂6 衣--きき(き<後出>/#<朱>)ぬ(戻)
校訂7 ならずは--なら(ら/+す)は(戻)
校訂8 観世音寺--観(観/+世)音寺(戻)
校訂9 残る--のこり(り/$る)(戻)
校訂10 いづくか--いつくる(る/$か)(戻)
校訂11 心どもには--心も(も/$)と(と/+も)には(戻)
校訂12 集へる--つとへ(へ/+る)(戻)
校訂13 筋は--すち(ち/+は)(戻)
校訂14 など--なとゝ(ゝ/#)(戻)
校訂15 おはします--おはし(し/+ます)(戻)
校訂16 渡り--(/+わたり)(戻)
校訂17 さぶらはせ--さふら(ら/+は<朱>)せ(戻)
校訂18 率て来--いて(て/+く)(戻)
校訂19 なるまで--なか(か/$る)まて(戻)
校訂20 なれば--なれる(る/#)は(戻)
校訂21 推し量らるる--をしは(は/+か)らるゝ(戻)
校訂22 蝶、鳥--てうう(う<後出>/$とり)(戻)

源氏物語の世界ヘ
ローマ字版
現代語訳
大島本
自筆本奥入