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【名勝負編】


[G1] 江夏の21球

 昭和54年11月4日、日本シリーズ第7戦、近鉄(3勝3敗)−広島(3勝3敗)、大阪球場  4-3で広島リード、9回裏近鉄の攻撃、広島の投手江夏、天候小雨 午後1時試合開始で2回から点灯

投球内容は S=空振りストライク、s=見逃しストライク、F=ファウル、B=ボール。


[G2] 江夏のオールスターゲーム9者連続奪三振

1971年(昭和46年)7月17日 第1戦(西宮球場) 全セの先発投手、江夏 豊(阪神)が、全パを相手に9者連続奪三振を記録。 投球内容は S=空振りストライク、s=見逃しストライク、F=ファウル、B=ボール。

1回裏
  有藤 道世(ロッテ)  BFBFS
  基 満男(西鉄)      FBBsS
  長池 徳二(阪急)    SsBs
2回裏
  江藤 慎一(ロッテ)  ssBBS
  土井 正博(近鉄)    FsS
  東田 正義(西鉄)    FBFBFS
3回裏
  阪本 敏三(阪急)    SBSFBS
  岡村 浩二(阪急)    sFS
  加藤 秀司(阪急)    SBFS
オールスターゲームは一人の投手は3イニングまでという規定なので、 これが究極の記録ということになる。 (以前は延長戦になった場合は、3イニングより長く投球することもあったが、 現在オールスターゲームでは延長戦を行なっていない) ただし、振り逃げがあれば9連続より多くなることも有り得る。

江夏は、この前年の第2戦の5打者、この試合の9打者、そしてこの年の第3戦の1打者 を連続して三振にとっており、オールスターゲーム15者連続奪三振の記録でもある。

なお、江夏はこの試合2回表の打席で3ランホームランを打っている。 オールスターでの投手のホームランは2本だけ。1度目は1960年(昭和35年)第3戦の 巽 一(国鉄)で、どちらも打たれた投手は米田 哲也(阪急)。

またこの試合、全セは江夏(阪神)-渡辺(巨人)-高橋(巨人)-水谷(中日)-小谷(大洋)と 継投し、全パをオールスターで唯一のノーヒットノーランにおさえた。


[G3] 1983年の日本シリーズについて

第1戦 10月29日 西武球場
G 000 003 000|3 ○松沼博(5 0/3)--永射(0/3)--S東尾(4)
L 150 000 00X|6 ●江川(2)--鹿取(2)--定岡(1)--加藤(3)
本塁打: 田淵1号(江川) 河埜1号(松沼博) 勝利打点: 大田1
最終打者 篠塚

第2戦 10月30日 西武球場
G 200 000 101|4 ●高橋(3)--松沼雅(3)--小林(2/3)--永射(1/3)--木村(1)--工藤(1)
L 000 000 000|0 ○西本聖
本塁打: 原1号(高橋) 勝利打点: 原1
第3戦 11月1日 後楽園球場
L 010 003 000 |4 槙原(5 1/3)--鹿取(2/3)--○加藤(3)
G 000 200 012X|5 杉本(3 1/3)--●東尾(5 1/3)--森(0/3)
本塁打: テリー1号(槙原) クルーズ1号(東尾) 勝利打点: 中畑1
9回裏二死から篠塚、原、スミス(同点打)、中畑(サヨナラ打)の4連打 篠塚、最終打者となるピンチを逃れ、巨人の逆転サヨナラ勝ち。

第4戦 11月2日 後楽園球場
L 001 020 031|7 江川(6)--鹿取(2/3)--●加藤(1 1/3)--定岡(1)
G 210 001 000|4 松沼博(1 0/3)--○松沼雅(6)--S森(2)
本塁打: 原2号(松沼博) 山倉1号(松沼博) 立花1号(加藤) 山崎1号(加藤)
勝利打点: 立花1
第5戦 11月3日 後楽園球場
L 000 200 000 |2 ○西本聖
G 000 000 203X|5 高橋(5 1/3)--永射(2/3)--東尾(1)--●森(1 2/3)
本塁打: 田淵2号(西本聖) 原3号(東尾) クルーズ2号(森) 勝利打点: クルーズ1
9回裏二死からスミス四球(二盗)、中畑四球後、クルーズのサヨナラ3ラン

第6戦 11月5日 西武球場
G 100 000 002 0 |3 杉本(9)--松沼雅(2/3)--○永射(1/3)
L 000 011 001 1X|4 槙原(6)--鹿取(1)--加藤(1)--西本聖(1)--●江川(2/3)
本塁打: 大田1号(槙原) 勝利打点: 金森1
8回を終わって2−1で西武リード。9回表は一死後、篠塚、原連続四球後、 スミス凡退。西武先発の杉本正があと一人抑えれば3勝3敗のタイ、という 場面で中畑清が逆転の2点タイムリー三塁打。スコアは3−2となり、巨人 はその裏からこのシリーズ絶好調の西本聖をマウンドに送りました。

9回裏は、まずテリー倒れて一死、しかし七番山崎がセンター前、代打の 片平がライト前に打ち返して一二塁、更に代打鈴木葉留彦がレフト前に 打って満塁でバッターは石毛。彼の打球は三遊間へ、一瞬併殺か! と思 ったものの転がった場所がよく、ショートの石渡は抑えるのが精一杯で どこにも送球できず内野安打で3-3の同点です。

10回表、巨人は二死二三塁とチャンスをつくるが、篠塚三振。その裏、 一死後、大田、テリー連打、山崎凡退後、金森永時が江川卓からサヨナラ タイムリー二塁打を放ったのでした。

第7戦 11月7日 西武球場
G 001 010 000|2 松沼博(4 2/3)--永射(0/3)--松沼雅(1 1/3)--○東尾(3)
L 000 000 30X|3 ●西本聖(7)--角(1)
本塁打: 山倉2号(松沼博) 勝利打点: テリー1
2-0と巨人リードで迎えた7回表、西本の安打とエラーなどで一死二三塁、 それから結局二死満塁となってバッターは原。カウント2-2から何と東尾 はブラッシュボール! 原はのけぞってよける。そして最後は教科書通りに 外角低めに投げ込んで三振。

この日の西武球場は雪が降るのではと思うばかりの寒さ。この回の長い攻 撃の間、ずっと塁上にいてすっかり肩が冷え切った西本は、それまでの好 調が嘘のようなピッチング内容になった。スティーブ中前安打、田淵四球、 大田の投ゴロ併殺打かと思われた打球は結局西本強襲安打となって三遊間 を抜けた。無死満塁からテリーの走者一掃の二塁打が出て逆転。このリー ドを東尾が守りきり西武優勝。最終打者はまたも篠塚。


[G4] 1988年 10.19 ロッテ対近鉄 ダブルヘッダー(川崎球場)


[G5] 1989年パ・リーグ終盤のペナント争い

まず、例のダブルヘッダーのスコアから: 平成元年10月12日 西武ライオンズ球場 西武−近鉄ダブルヘッダー

<第1試合> 西武−近鉄24回戦 西武13勝11敗

近 000 104 010|6  高柳、佐藤秀、池上、○加藤哲6勝2敗1S、S吉井5勝5敗20S−山下
西 130 010 000|5  郭、●渡辺久15勝11敗、石井−伊東、仲田

 本塁打:辻3号(2ラン 高柳)、ブライアント46号(ソロ 郭)、47号(満塁 郭)、48号(ソロ 渡辺久)

<第2試合> 西武−近鉄25回戦 西武13勝12敗

近 204 330 110|14  ○阿波野19勝8敗、木下−山下
西 200 000 020| 4  ●高山5勝4敗、西本、工藤、松沼博、山根−伊東、仲田、大久保

 本塁打:ブライアント49号(ソロ 高山)、リベラ24号(ソロ 高山)、鈴木19号(2ラン 西本)、20号(ソロ 工藤)、清原35号(2ラン 木下)

このダブルヘッダーの直前のゲーム差は次の通りです。以下、ゲーム差は 首位とのそれを表します。

10/12のダブルヘッダー直前まで
    試 勝 敗 引 勝率  勝 敗 ゲーム差
L  127 68 51  8 .571   0  0 ---
Bu 126 68 53  5 .562   0  0 1.0
Br 126 69 54  3 .561   0  0 1.0
実は、このダブルヘッダーの前にブレーブスが勝っていれば、この時点で ブレーブスは70勝53敗3分の勝率.569となり、ブレーブスにマジック4が点 灯していたのです。すなわち、残り4勝すれば西武全勝でも近鉄全勝でも 逆転できなくなっていました。

この後の試合日程は、

        10/12        10/13    10/14    10/15
西武  近鉄(ダブル)                     近鉄
近鉄  西武(ダブル)           ダイエー  西武
OX    ロッテ(ダブル) ロッテ            ダイエー
となってました。

10/12 のダブルヘッダーをライオンズ連勝(近鉄連敗)、ブレーブスが1勝1分の場合、

    試 勝 敗 引 勝率  勝 敗 ゲーム差
L  129 70 51  8 .579   2  0 ---
Br 128 70 54  4 .565   1  0 1.5
Bu 128 68 55  5 .553   0  2 3.0
となり、ライオンズの優勝でした。

また、このダブルヘッダーを西武連勝(近鉄連敗)、ブレーブス連勝としても、

    試 勝 敗 引 勝率  勝 敗 ゲーム差
L  129 70 51  8 .579   2  0 ---
Br 128 71 54  3 .568   2  0 1.0
Bu 128 68 55  5 .553   0  2 3.0
で、近鉄の優勝可能性はなくなり、西武にマジック1(形式的にはマジック1だ が、西武が最終戦の近鉄戦に引き分けるか、ブレーブスが1試合引き分けでも優 勝)が点灯します。

いずれにしても、ダブルヘッダーが始まる前、ブレーブスには自力優勝の目は なかったわけです。ブレーブスにとって最も望ましかったのは、西武−近鉄の ダブルヘッダーが近鉄の1勝1分で終わってくれることでした。その上でブレー ブスが連勝すれば、

    試 勝 敗 引 勝率  勝 敗 ゲーム差
Br 128 71 54  3 .568   2  0 ---
L  129 68 52  9 .567   0  1 0.5
Bu 128 69 53  6 .566   1  0 0.5
となり、マジック2が点灯していたはずなのです(マジック対象が西武でも近鉄 でも同じ)。

実際には、ダブルヘッダー終了後、

    試 勝 敗 引 勝率  勝 敗 ゲーム差
Bu 128 70 53  5 .569   2  0 ---
Br 128 71 54  3 .568   2  0 0
L  129 68 53  8 .562   0  2 1.0
で、近鉄にマジック2が点灯しました。次の日、ブレーブスがロッテに敗れた ので、近鉄のマジックが1となり、近鉄はダイエー戦に勝ってすんなり優勝 しました。

実際に優勝決定試合となった次の近鉄−ダイエー戦で、もし近鉄が敗れていれ ば、マジック1は消滅しませんが、

    試 勝 敗 引 勝率  勝 敗 ゲーム差
Bu 129 70 54  5 .565   2  1 ---
Br 129 71 55  3 .563   2  1 0
L  129 68 53  8 .562   0  2 0.5
となり、
近鉄○−●西武で、ブレーブスの勝敗に拘らず近鉄優勝
近鉄△−△西武で、ブレーブスが勝てばブレーブス優勝、引き分けか負けだと近鉄優勝
近鉄●−○西武で、ブレーブスが勝てばブレーブス優勝、引き分けか負けだと西武優勝
となっていました。

しかし、実際には近鉄がダイエーを破って優勝しました。 その後、近鉄は、消化試合となった最終戦の対西武戦で、5点差を追い付いて延 長戦に持ち込みながら、勝ち越し点を奪われ渡辺智に完投を許して敗れました。 それでも、ブレーブスが勝ったので、西武は3位に終わり、例の堤発言「やりた ければ、どうぞ」を招きました。

最終結果は次の通りです。

    試 勝 敗 引 勝率  勝 敗 ゲーム差
Bu 130 71 54  5 .568   3  1 ---
Br 130 72 55  3 .567   3  1 0
L  130 69 53  8 .566   1  2 0.5

この年のパリーグ優勝争いは

 オリックスにマジック8点灯→マジック消滅→オリックスにマジック6点灯
 →マジック消滅→近鉄にマジック2点灯→オリックス敗戦で近鉄マジック1
  →近鉄勝利で優勝
でした。

オリックスブレーブス球団創立以来開幕8連勝、西武がオリックスに11ゲーム差 から逆転首位、西武がダイエーに8−0から大逆転負け、と、実に面白いペナン トレースでした。