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那須の殺生石  芭蕉も訪れた名跡


是より殺生石に行く。館代より馬にて送らる。この口付のをのこ、短冊得させよと乞。やさしき事を望み侍るものかなと、

野 を 横 に 馬 牽 き む け よ ほ と と ぎ す

殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒氣いまだほろびず。蜂、蝶のたぐひ、眞砂の色の見えぬほど、かさなり死す。



蕉は元禄二年の春に「奥の細道」へと旅立ち、那須高原にも立ち寄っている。九尾の狐の伝説もある殺生石を当然この時芭蕉も詠んでいるが、「奥の細道」にその句は載っていない。

河の関の手前、まだみちのくとも言えない那須高原に、芭蕉は江戸深川より一ケ月もかけて寄り道しながらたどり着いている。現在、高速に乗れば3時間弱で着く。あっという間だ。
口と出口、高速道路を使っての旅行には道中というものがないから味も素っ気もない。寂しいものだ。でも芭蕉のような旅に憧れようと、現代のテンポとスピードに慣れ親しんだ自分には例えお金と暇があっても模倣すらできないだろう。きっと余りにゆったりした時間の流れを持て余し、かえって息苦しさを感じてしまうかもしれない。
車場から殺生石まで岩がむき出しの賽の河原を少し歩くことになる。那須火山が噴出する亜硫酸ガスで植物も生えず、噴気孔の周りには黄色く硫黄が結晶している。私たちが行った時は濃霧が漂っていたので演出度満点。確かに冥界へ一歩踏み込んだ感じだ。

生石はその賽の河原地獄の最奥部にあった。九尾の狐伝説そのままの姿で、霧の向こう数メートル先に妖気を漂わせ、巨岩に変化した老狐は今でも周囲を威圧的ににらみつけているのだった。

石 の 香 や 夏 草 赤 く 露 暑 し      芭蕉

蕉が訪れた頃は噴気も多く殺生石の周囲はなおさら荒涼としていたらしい。芭蕉はどれ位の時間ここ佇みこの句を物にしたのだろう。殺生石を詠んだこの句は何故か「奥の細道」の本文からは外されている。俳句にうとくこの句の功拙など判らぬが、芭蕉には「奥の細道」に載せ得ない駄作なのだろうか。今でも句碑が殺生石の近くに寂しげに立っているが殆どの人は気にも止めずに通りすぎていく。

して現代人の私達には句碑はおろかこの伝説の巨岩すら単なる記念撮影の対象でしかない。じっくり俳句をひねることもなく、案内看板を読み飛ばし、記念撮影をして、そそくさと次の目的地に立ち去って行くだけなのだ。

子 を 肩 車 し て 殺 生 石 に 芭 蕉 思 う    重雄の心の俳句


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