紫式部集
Last updated 11/24/2003
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-1-1)

紫式部集(実践女子大本)

  【一】
  早うより童友だちなりし人に、年ごろへて行き逢ひたるが、ほのかにて、十月十日のほど、月にきほひて帰りにければ
 めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬまに
 雲隠れにし夜半の月影

  【二】
  その人、遠き所へ行くなりけり。秋の果つる日きたるあかつき、虫の声あはれなり
 鳴き弱る籬の虫もとめがたき
 秋の別れや悲しかるらむ

  【三】
  「箏の琴しばし」と書いりける人、「参りて御手より得む」とある返り事に
 露しげき蓬が中の虫の音を
 おぼろけにてや人の訪ねむ

  【四】
  方違へにわたりたる人の、なまおぼおぼしきことありとて、帰りにけるつとめて、朝顔の花をやるとて
 おぼつかなそれかあらぬか明けぐれの
 そらおぼれする朝顔の花

  【五】
  返し、手を見分かぬにやありけむ
 いづれぞと色分くほどに朝顔の
 あるかなきかになるぞ侘しき

  【六】
  筑紫へ行く人の女の
 西の海を思ひやりつつ月見れば
 ただに泣かるるころにもあるかな

  【七】
  返し
 西へ行く月の便りにたまづさの
 かき絶えめやは雲のかよひ路

  【八】
  「遥かなる所に、行きやせむ、行かずや」と、思ひわづらふ人の、山里より紅葉を折りておこせたる
 露深く奥山里のもみぢ葉に
 かよへる袖の色を見せばや

  【九】
  返し
 嵐吹く遠山里のもみぢ葉は
 露もとまらむことのかたさよ

  【一〇】
  又、その人の
 もみぢ葉を誘ふ嵐は早けれど
 木の下ならで行く心かは

  【一一】
  もの思ひわづらふ人の、うれへたる返り事に、霜月ばかり
 霜氷り閉ぢたるころの水茎は
 えも書きやらぬ心地のみして

  【一二】
  返し
 行かずともなほ書きつめよ霜氷り
 水の上にて思ひ流さむ

  【一三】
  賀茂に詣うでたるに、「ほととぎす鳴かなむ」と言ふあけぼのに、片岡の木末をかしく見えけり
 ほととぎす声待つほどは片岡の
 森の雫に立ちや濡れまし

  【一四】
  弥生の朔日、河原に出でたるに、傍らなる車に法師の紙を冠にて、博士だちをるを憎みて
 祓へどの神のかざりの御幣に
 うたてもまがふ耳はさみかな

  【一五】
  姉なりし人亡くなり、又、人のおとと失なひたるが、かたみに行きあひて、亡きが代はりに思ひ交はさむと言ひけり。文の上に姉君と書き、中の君と書き通はしけるが、をのがじし遠きところへ行き別るるに、よそながら別れ惜しみて
 北へ行く雁の翼に言伝てよ
 雲の上がきかき絶えずして

  【一六】
  返しは、西の海の人なり
 行きめぐり誰れも都に鹿蒜山
 五幡と聞くほどのはるけさ

  【一七】
  津の国といふ所よりおこせたりける
 難波潟群れたる鳥のもろともに
 立ち居るものと思はましかば

  【欠】
  返し
(二行空白)

  【一八】
  筑紫に肥前といふ所より、文おこせたるを、いとはるかなる所にて見けり。その返り事に
 あひ見むと思ふ心は松浦なる
 鏡の神や空に見るらむ

  【一九】
  返し、又の年もてきたり
 行きめぐり逢ふを松浦の鏡には
 誰れをかけつつ祈るとか知る

  【二〇】
  近江の湖にて、三尾が崎といふ所に、網引くを見て
 三尾の海に網引く民の手間もなく
 立ち居につけて都恋しも

  【二一】
  又、磯の浜に、鶴の声々鳴くを
 磯隠れ同じ心に田鶴ぞ鳴く
 なに思ひ出づる人や誰れそも

  【二二】
  夕立ちしぬべしとて、空の曇りてひらめくに
 かき曇り夕立つ波の荒ければ
 浮きたる舟ぞしづ心なき

  【二三】
  塩津山といふ道のいとしげきを賤の男のあやしきさまどもして「なほからき道なりや」と言ふを聞きて
 知りぬらむ行き来にならす塩津山
 世にふる道はからきものぞと

  【二四】
  湖においつ島といふ洲崎に向かひて、わらはべの浦といふ入り海のをかしきを、口すさびに
 おいつ島島守る神やいさむらむ
 波も騒がぬわらはべの浦

  【二五】
  暦に初雪降ると書きたる日、目に近き日野岳といふ山の雪、いと深う見やらるれば
 ここにかく日野の杉むら埋む雪
 小塩の松に今日やまがへる

  【二六】
  返し
 小塩山松の上葉に今日やさは
 峯の薄雪花と見ゆらむ

  【二七】
  降り積みていとむつかしき雪をかき捨てて、山のやうにたなしたるに、人びと登りて、「なほ、これ出でて見たまへ」と言へば
 ふるさとに帰る山路のそれならば
 心やゆくと雪も見てまし

  【二八】
  年かへりて、「唐人見に行かむ」と言ひける人の、「春はとく来るものと、いかで知らせたてまつらむ」と言ひたるに
 春なれど白根の深雪いや積もり
 解くべきほどのいつとなきかな

  【二九】
  近江守の女、懸想すと聞く人の「二心なし」など、常に言ひわたりければ、うるさくて
 湖の友呼ぶ千鳥ことならば
 八十の湊に声絶えなせそ

  【三〇】
  歌絵に海人の塩焼く象を描きて、樵り積みたる投げ木のもとに書きて、返しやる
 四方の海に塩焼く海人の心から
 焼くとはかかる投げ木をや積む

  【三一】
  文の上に朱といふ物をつぶつぶと注きかけて、「涙の色」など書きたる人の返り事に
 紅の涙ぞいとど疎まるる
 移る心の色に見ゆれば
  もとより人の女を得たる人なりけり

  【三二】
  「文散らしけり」と聞きて、「ありし文ども、とり集めておこせずは、返り事書かじ」と、言葉にてのみいひやりければ、「みなおこす」とて、いみじく怨じたりければ、睦月十日ばかりのことなりけり
 閉ぢたりし上の薄氷解けながら
 さは絶えねとや山の下水

  【三三】
  すかされて、いと暗うなりたるに、おこせたる
 東風に解くるばかりを底見ゆる
 石間の水は絶えば絶えなむ

  【三四】
  「今はものも聞こえじ」と、腹立ちたれば、笑ひて、返し
 言ひ絶えばさこそは絶えめなにかその
 みはらの池を包みしもせむ

  【三五】
  夜中ばかりに、又
 たけからぬ人数なみはわきかへり
 岸はらの池に立てどかひなし

  【三六】
  桜を瓶に挿して見るに、とりもあへず散りければ、桃の花を見やりて
 折りて見ば近まさりせよ桃の花
 思ひ隈なき桜惜しまじ

  【三七】
  返し、人
 桃といふ名もあるものを時の間に
 散る桜にも思ひ落とさじ

  【三八】
  花の散るころ、梨の花といふも、桜も夕暮れの風の騒ぎに、いづれと見えぬ色なるを
 花といはばいづれか匂ひなしと見む
 散り交ふ色の異ならなくに

  【三九】
  遠き所へ行きにし人の亡くなりにけるを、親はらからなど帰喚て、悲しきこと言ひたるに
 いづかたの雲路と聞かば訪ねまし
 列離れけむ雁がゆくへを

  【四〇】
  去年より薄鈍なる人に、女院崩れさせたまへる春、いたう霞みたる夕暮れに、人のさし置かせたる
 雲の上ももの思ふ春は墨染めに
 霞む空さへあはれなるかな

  【四一】
  返し
 なにかこのほどなき袖を濡らすらむ
 霞の衣なべて着る世に

  【四二】
  亡くなりし人の女の、親の手書きつけたりけるものを見て、言ひたりし
 夕霧にみ島隠れし鴛鴦の子の
 跡を見る見る惑はるるかな

  【四三】
  同じ人、「荒れたる宿の桜のおもしろきこと」とて、折りておこせたるに
 散る花を嘆きし人は木のもとの
 寂しきことやかねて知りけむ
  「思ひ絶えせぬ」と、亡き人の言ひけることを思ひ出でたるなり

  【四四】
  絵に、もののけ憑きたる女の醜き象描きたる後ろに、鬼になりたる元の妻を、小法師の縛りたる象描きて、男は経読みて、もののけ責めたるところを見て
 亡き人にかごとはかけてわづらふも
 をのが心の鬼にやはあらぬ

  【四五】
  返し
 ことわりや君が心の闇なれば
 鬼の影とはしるく見ゆらむ

  【四六】
  絵に、梅の花見るとて、女、妻戸押し開けて、二三人ゐたるに、みな人びと寝たるけしき描いたるに、いとさだ過ぎたるおもとの、つらづゑついて眺めたる象あるところ
 春の夜の闇の惑ひに色ならぬ
 心に花の香をぞ染めつる

  【四七】
  同じ絵に、嵯峨野に花見る女車あり。なれたる童の、萩の花に立ち寄りて折りたるところ
 さ雄鹿のしか慣らはせる萩なれや
 立ち既るからにおのれ折れ伏す

  【四八】
  世のはかなきことを嘆くころ、陸奥に名ある所どころ描いたるを見て、塩釜
 見し人の煙となりし夕べより
 名ぞ睦ましき塩釜の浦

  【四九】
  門叩きわづらひて帰りにける人の、つとめて
 世とともに荒き風吹く西の海も
 磯辺に波は寄せずとや見し

  【五〇】
  と恨みたりける返り事
 かへりては思ひ知りぬや岩角に
 浮きて寄りける岸のあだ波

  【五一】
  年返りて、「門は開きぬや」と言ひたるに
 誰が里の春の便りに鴬の
 霞に閉ねる宿を訪ふらむ

  【五二】
  世の中の騒がしきころ、朝顔を人のもとへやるとて
 消えぬ間の身をも知る知る朝顔の
 露と争ふ世を嘆くかな

  【五三】
  世を常なしなど思ふ人の、幼き人の悩みけるに、唐竹といふもの、瓶に挿したる女ばらの祈りけるを見て
 若竹の老いゆく末を祈るかな
 この世を憂しと厭ふものから

  【五四】
  身を思はずなりと嘆くことの、やうやうなのめにひたぶるのさまなるを思ひける
 数ならぬ心に身をばまかせねど
 身にしたがふは心なりけり

  【五五】
 心だにいかなる身にかかなふらむ
 思ひ知れども思ひ知られず

  【五六】
  初めて内裏わたりを見るにも、もののあはれなれば
 身の憂さは心のうちに慕ひきて
 いま九重ぞ思ひ乱るる

  【五七】
  まだいと初々しきさまにて、古里に帰りてのち、ほのかに語らひける人に
 閉ぢたりし岩間の氷うち解けば
 をだえの水も影見えじやは

  【五八】
  返し
 深山辺の花吹きまがふ谷風に
 結びし水も解けざらめやは

  【五九】
  正月十日のほどに、「春の歌たてまつれ」とありければ、まだ出で立ちもせぬ隠れがにて
 み吉野は春のけしきに霞めども
 結ぼほれたる雪の下草

  【六〇】
  弥生ばかりに宮の弁のおもと、「いつか参りたまふ」など書きて
 憂きことを思ひ乱れて青柳の
 いと久しくもなりにけるかな

  【六一】
  返し
 つれづれと長雨降る日は青柳の
 いとど憂き世に乱れてぞ経る

  【六二】
  かばかり思ひぞぬべき身を、「いとがたうり上衆めくかな」と言ひける人を聞きて
 わりなしや人こそ人と言はざらめ
 みづから身をや思ひ捨つべき

  【六三】
  薬玉おこすとて
 忍びつる根ぞ現はるる菖蒲草
 言はぬに朽ちてやみぬべければ

  【六四】
  返し
 今日はかく引きけるものを菖蒲草
 わがみ隠れに濡れわたりつる

  【六五】
  土御門殿にて三十講の五巻、五月五日に当たれりしに
 妙なりや今日は五月の五日とて
 五つの巻のあへる御法も

  【六六】
  その夜、池の篝火に護明かしの光りあひて、昼よりも底までさやかなるに、菖蒲の香いまめかしう匂ひ来れば
 篝火の影も騒がぬ池水に
 いく千代澄まむ法の光ぞ

  【六七】
  公事に言ひ紛らはすを、向かひたまへる人は、さしも思ふことものしたまふまじきかたち、ありさま、よはひのほどを、いたう心深げに思ひ乱れて
 澄める池の底まで照らす篝火の
 まばゆきまでも憂きわが身かな

  【六八】
  やうやう明け行くほどに、渡殿に来て、局の下より出づる水を高欄を押さへて、しばし見ゐたれば、空のけしき、春秋の霞にも霧にも劣らぬころほひなり。小少将の隅の格子をうち叩きたれば、放ちて押し下ろしたまへり。もろともに下り居て眺めゐたり
 影見ても憂きわが涙落ち添ひて
 かごとがましき滝の音かな

  【六九】
  返し
 一人居て涙ぐみける水の面に
 浮き添はるらむ影やいづれぞ

  【七〇】
  明かうなれば入りぬ。長き根を包みて
 なべて世の憂きに泣かるる菖蒲草
 今日までかかる根はいかが見る

  【七一】
  返し
 何ごとと菖蒲は分かで今日もなほ
 袂にあまる根こそ絶えせね

  【七二】
  内裏に水鶏の鳴くを、七八日の夕月夜に、小少将の君
 天の戸の月の通ひ路鎖さねども
 いかなる方に叩く水鶏ぞ

  【七三】
  返し
 槙の戸も鎖さでやすらふ月影に
 何を開かずと叩く水鶏ぞ

  【七四】
  夜更けて戸を叩きし人、つとめて
 夜もすがら水鶏よりけに泣く泣くぞ
 槙の戸口に叩き侘びつる

  【七五】
  返し
 ただならじ戸ばかり叩く水鶏ゆゑ
 開けてはいかに悔しからまし

  【七六】
  朝明のをかしきほどに、御前の花ども色々に乱れたる中に、女郎花いと盛りなるを、殿御覧じて、一枝折らせさせたまひて、几帳の上より、「これただに返すな」とて、賜はせたり
 女郎花盛りの色を見るからに
 露の分きける身こそ知らるれ

  【七七】
  と書きつけたるを、いととく
 白露は分きても置かじ女郎花
 心からにや色の染むらむ

  【七八】
  久しく訪れぬ人を思ひ出でたる折
 忘るるは憂き世の常と思ふにも
 身をやる方のなきぞ侘びぬる
(四行空白)

  【七九】
  返し
 誰が里も訪ひもや来るとほととぎす
 心のかぎり待ちぞ侘びにし

  【八〇】
  都の方へとて鹿蒜山越えけるに、呼坂といふなる所のわりなき懸け路に、輿もかきわづらふを、恐ろしと思ふに、猿の木の葉の中より、いと多く出で来たれば
 ましもなほ遠方人の声交はせ
 われ越しわぶるたごの呼坂

  【八一】
  湖にて伊吹の山の雪いと白く見ゆるを
 名に高き越の白山雪なれて
 伊吹の岳を何とこそ見ね

  【八二】
  卒塔婆の年経たるが、まろび倒れつつ人に踏まるるを
 心あてにあなかたじけな苔むせる
 仏の御顔そとは見えねど

  【八三】
  人の
 け近くて誰れも心は見えにけむ
 言葉隔てぬ契りともがな

  【八四】
  返し
 隔てじとならひしほどに夏衣
 薄き心をまづ知られぬる

  【八五】
 峯寒み岩間凍れる谷水の
 行く末しもぞ深くなるらむ

  【八六】
  宮の御産屋、五日の夜、月の光さへことに隈なき水の上の橋に、上達部、殿よりはじめたてまつりて、酔ひ乱れののしりたまふ。盃の折にさし出づ
 めづらしき光さしそふ盃は
 もちながらこそ千世をめぐらめ

  【八七】
  又の夜、月の隈なきに若人たち、舟に乗りて遊ぶを見やる。中島の松の根にさしめぐるほど、をかしく見ゆれば
 曇りなく千歳に澄める水の面に
 宿れる月の影ものどけし

  【八八】
  御五十日の夜、殿の「歌詠め」とのたまはすれば
 いかにいかが数へやるべき八千歳の
 あまり久しき君が御世をば

  【八九】
  殿の御
 葦田鶴の齢しあらば君が代の
 千歳の数も数へとりてむ

  【九〇】
  たまさかに返り事したりける、後に又も書かざりけるに、男
 折々に書くとは見えてささがにの
 いかに思へば絶ゆるなるらむ

  【九一】
  返し、九月つごもりになりにけり
 霜枯れの浅茅にまがふささがにの
 いかなる折に書くと見ゆらむ

  【九二】
  何の折にか、人の返り事に
 入る方はさやかなりける月影を
 上の空にも待ちし宵かな

  【九三】
  返し
 さして行く山の端もみなかき曇り
 心も空に消えし月影

  【九四】
  又、同じ筋、九月、月明かき夜
 おほかたの秋のあはれを思ひやれ
 月に心はあくがれぬとも

  【九五】
  六月ばかり、撫子の花を見て
 垣ほ荒れ寂しさまさる常夏に
 露置き添はむ秋までは見じ

  【九六】
  「ものや思ふ」と、人の問ひたまへる返り事に、長月つごもり
 花薄葉わけの露や何にかく
 枯れ行く野辺に消え止まるらむ

  【九七】
  わづらふことあるころなりけり。「貝沼の池といふ所なむある」と、人のあやしき歌語りするを聞きて、「心みに詠まむ」と言ふ
 世にふるになぞ貝沼のいけらじと
 思ひぞ沈む底は知らねど

  【九八】
  又、心地よげに言ひなさむとて
 心ゆく水のけしきは今日ぞ見る
 こや世に経つる貝沼の池

  【九九】
  侍従宰相の五節の局、宮の御前いとけ近きに、弘徽殿の右京が、一夜しるきさまにてありしことなど、人びと言ひ立てて、日蔭をやる。さし紛らはすべき扇など添へて
 多かりし豊の宮人さしわきて
 しるき日蔭をあはれとぞ見し

  【一〇〇】
  中将、少将と名ある人びとの、同じ細殿に住みて、少将の君を夜な夜な逢ひつつ語らふを聞きて、隣の中将
 三笠山同じ麓をさしわきて
 霞に谷の隔てつるかな

  【一〇一】
  返し
 さし越えて入ることかたみ三笠山
 霞吹きとく風をこそ待て

  【一〇二】
  紅梅を折りて里より参らすとて
 埋もれ木の下にやつるる梅の花
 香をだに散らせ雲の上まで

  【一〇三】
  卯月に八重咲ける桜の花を、内裏にて
 九重に匂ふを見れば桜がり
 重ねて来たる春の盛りか

  【一〇四】
  桜の花の祭の日まで散り残りたる、使の少将の挿頭に賜ふとて、葉に書く
 神代にはありもやしけむ山桜
 今日の挿頭に折れるためしは

  【一〇五】
  睦月の三日、内裏より出でて、古里のただしばしのほどにこよなう塵積もり荒れまさりにけるを、言忌みもしあへず
 改めて今日しもものの悲しきは
 身の憂さやまたさま変はりぬる

  【一〇六】
  五節のほど参らぬを、口惜しなど、弁宰相の君ののたまへるに
 めづらしと君し思はば着て見えむ
 摺れる衣のほ管過ぎぬとも

  【一〇七】
  返し
 さらば君山藍の衣過ぎぬとも
 恋しきほどに着ても見えなむ

  【一〇八】
  人のおこせたる
 うち忍び嘆き明かせばしののめの
 ほがらかにだに夢を見ぬかな
  七月朔日ころ、あけぼのなりけり

  【一〇九】
  返し
 しののめの空霧りわたりいつしかと
 秋のけしきに世はなりにけり

  【一一〇】
  七日
 おほかたに思へばゆゆし天の川
 今日の逢ふ瀬はうらやまれけり

  【一一一】
  返し
 天の川逢ふ瀬はよその雲井にて
 絶えぬ契りし世々にあせずは

  【一一二】
  門の前より渡るとて、「うちとけたらむを見む」とあるに、書きつけて返しやる
 なほざりのたよりに訪はむ人言に
 うちとけてしも見えじとぞ思ふ

  【一一三】
  月見る朝、いかに言ひたるにか
 横目をもゆめと言ひしは誰れなれや
 秋の月にもいかでかは見し

  【一一四】
  九月九日、菊の綿を上の御方より賜へるに
 菊の露若ゆばかりに袖触れて
 花のあるじに千代は譲らむ

  【一一五】
  時雨する日、小少将の君、里より
 雲間なく眺むる空もかきくらし
 いかにしのぶる時雨なるらむ

  【一一六】
  返し
 ことわりの時雨の空は雲間あれど
 眺むる袖ぞ乾く世もなき

  【一一七】
  里に出でて、大納言の君、文賜へるついでに
 浮き寝せし水の上のみ恋しくて
 鴨の上毛にさへぞ劣らぬ

  【一一八】
  返し
 うち払ふ友なきころの寝覚めには
 つがひし鴛鴦ぞ夜半に恋しき

  【一一九】
  又、いかなりしにか
 なにばかり心尽くしに眺めねど
 見しに暮れぬる秋の月影

  【一二〇】
  相撲御覧ずる日、内裏にて
 たづきなき旅の空なる住まひをば
 雨もよに訪ふ人もあらじな

  【一二一】
  返し
 挑む人あまた聞こゆる百敷の
 相撲憂しとは思ひ知るやは
  雨降りて、その日は御覧とどまりにけり。あいなの公事どもや

  【一二二】
  初雪降りたる夕暮れに、人の
 恋ひわびてありふるほどの初雪
 消えぬるかばぞ疑はれける

  【一二三】
  返し
 経ればかく憂さのみまさる世を知らで
 荒れたる庭に積もる初雪

  【一二四】
  小少将の君の書きたまへりしうちとけ文の、物の中なるを見つけて、加賀少納言のもとに
 暮れぬ間の身をば思はで人の世の
 哀れを知るぞかつは悲しき

  【一二五】
 誰れか世に永らへて見む書き留めし
 跡は消えせぬ形見なれども

  【一二六】
  返し
 亡き人を偲ぶることもいつまてぞ
 今日のあはれは明日のわが身を

  本云
   以京極黄門定家卿筆跡本不違一字至于行賦字賦隻紙勢分如本今書写之于時延徳二年十一月十日記之
           癲老比丘判
   天文廿五年夾鐘上澣書写之

【校訂】
校訂01 書い(底本「かひ」は「かい」の仮名遣い誤写と認めて改める)(戻)
校訂02 思ひぞ(底本「思う(う$そ)」は「う」をミセケチにして「そ」と改める)(戻)
校訂03 ける(底本「けり」、諸本によって改める(戻)
校訂04 初雪(底本「はつつき」、諸本によって改める(戻)