第1節 親本が全文定家筆であろうと推定される巻――「桐壺」「花宴」「橋姫」(2021年4月22日稿)

  はじめに

 東海大学蔵「明融臨模本」(8帖)は、一般的には「明融本」という称呼で呼ばれているが、ツレの実践女子大学蔵「伝明融等筆本」と区別する意味で、「臨模」を加えた称呼を使用する。
 すなわち、青表紙原本の臨模本と考えられ、極めて重要な写本だからである。
 本稿では、その親本が全文定家筆であろう考えられる「桐壺」「花宴」「橋姫」の3帖について、定家の書記法・書き癖との一致性から述べていこう。

 定家の書記法・書き癖の特徴として、前章で考察した「柏木(定家筆)」のデータを再確認しておく。

 ①一面書写行数 21面中、8行書が14面(66.7%) 9行書が7面(33.3%)
 ②行頭字母の書き分け 行頭の同字7箇所中、異字母が7箇所(100%) 同字母ナシ(0)
 ③和歌書式 3首中、Ⅰ型A類2首 Ⅰ型B類1首
 ④付箋と奥入 付箋(6枚 和歌)と奥入(2項目 漢詩句と催馬楽題名)
 ⑤本文訂正跡 1箇所(直接重ね書き訂正)
 ⑥字母の種類と使用傾向 固有使用字母(伊・地・具・盈・亭・起・飛) 非使用字母(三) 多用字母(万)
 ⑦漢字表記語 原則漢字(猶・又・心地・見ー) 当て字等(本上・心月ー・許)

 これを補足すれば、

 ①一面書写様式では、定家は8行書と9行書を基本にし、8行書が9行書に約2対1の割合で勝る傾向であること。「字体が大ぶりの印象」(注1)とはこのことである。

 ②行頭字母の書き分けでは、行頭に同じ字が並んだ場合には、定家は原則、字母や字形を変えて書写すること。目移りによる誤写を避けるための配慮である。

 ③和歌書式では、和歌は地の文から改行して、1、2字下げて書き出し、上句と下句との間で改行し、下句の頭は地の文と同じ高さから書き、その末尾に地の文を直に続けて書く(Ⅰ型A類)か、あるいは1字程度の余白を設けて続ける書き方(Ⅰ型B類)をしていること。

 ④奥入と付箋の筆跡は、いずれも定家のそれではないので、この問題に直接的には関わらない。ここでは関連する事柄として取り上げる。
 定家は、注釈の仕方に関して、比較的短い和歌は本文中に付箋で、比較的長文に及ぶ漢詩文や歌謡等は巻末の奥入に注すという、仕分けを行っていること。
 なお、明融臨模本「柏木」によれば、青表紙原本の現状には漢詩句指摘の付箋1枚の剥落があったことがわかる。

 ⑤本文訂正に関しては、定家は誤写が極めて少ないこと。その訂正方法は、その文字の上に直接重ね書き訂正していること。また、定家の訂正方法は、紙面が汚くなるのも構わずに本文の正確さを優先させた訂正をしていること。

 ⑥定家が書記の際に使用する字母の種類とその使用傾向を見ると、他の青表紙原本の書写者たちとは異なった特有の字母の使用や逆に使用しない字母があること、また他の書写者たちとは異なった使用傾向の字母あること。

 ⑦定家の漢字表記語を見ると、原則漢字表記する語があり、当て字やまた特有の漢字表記語があること。

 以上、青表紙原本「柏本(定家筆)」という限られた中での特徴ではあるが、これら7条件をもとに3巻について見ていこう。

  一 「桐壺」

(1)一面書写行数について
 
 「桐壺」の一面書写行数は、最終面の35丁裏の約1、2行分を残した6行書の面は除いて、全69面中、8行書が33面(47.8%)、9行書が36面(52.2%)である。

 「柏木(定家筆)」と比較すると、8行書と9行書である点は同じ。ただその比率が拮抗しながらも、9行書がやや勝るという点が異なる。
 しかし、この程度ならば許容される範囲内のバリエーションといえよう。

 よって、一面書写様式から見た点では、定家筆の条件に適うと考えられる。

(2)行頭字母の書き分けについて

 「桐壺」における行頭の同字は、11箇所あるが、うち異なる字母が10箇所(90.9%)で、わずか1例が同じ字母である(9.1%)。

 その同じ字母とは「を」(字母「遠」)である。すなわち、

 ①「をきて多里…」(25ウ1)
 ②「をおほしわするゝ…」(25ウ2)

 1行目冒頭の「おぼし置(を)く」と2行目冒頭の格助詞「を」(目的格)である。
 前者は定家の仮名遣いではワ行「を」を使用し、後者はそのまま「を」を使用する。

 ところで、青表紙原本(5帖)の全体を見渡すと、「を」の字母としては、「遠」と「越」の2種類が使用されている。
 「柏木(定家筆)」でも「越」の事例が1例ある。

 ①「さても越本个なありて」(6ウ9)。

 定家は、形容詞「おほけなし」の「お」を、「越」と表記したものである。

 よって、「桐壺」のこの箇所においても、「越」を使用することが考えられるのだが、なぜ「越」を使用しなかったのか。

 明融臨模本「桐壺」では字母「越」が3例使用されている。

 ①「よせ越もくう多可ひなき」(2ウ8)
 ②「ミ那み越もて尓」(11ウ4)
 ③「あ遣越とりやと」(30ウ2)

である。すなわち、「重(おも)く」「表(おもて)」「劣(おと)り」の語で、いずれも「お」を「越」と表記したものである。

 ところで、定家は字母「越」の使用に関しては、特別な使い方をしていた。

 小松英雄氏は「「越」は「を」「お」のいずれに対しても補助字形として用いられている」と指摘する(注2)
 つまり字母「越」は、「を」にもまた「お」にも通用して用いられているのである。
 小松英雄氏は、さらに字母「乎」についても同様な事例を指摘している。

 つまり定家は、ワ行「を」の、他の字母「越」・「乎」に関しては、等価的な書き分け可能の字母としてではなく、ア行「お」とも通用して使用する字母として使っていたのである。
 定家においては、字母「越」は特殊な使用法なのである。

 もし、書き分けようとすれば、1行目「を」を「越」と表記することが可能であったはずである。しかしうっかり、「を」と書いてしまい、2行目冒頭の格助詞「を」は「を」と書かねばならない、となれば、1行目の「を」を訂正すべきとなる。だが、そのままに放置してしまったのではないか。

 この1例の例外をもって、この巻を定家筆に非ずとは決めつけられないだろう。

(3)和歌書式について

 「桐壺」の和歌書式は、9首中、定家筆Ⅰ型A類が5首、そしてⅠ型C類が4首である。
 「柏木(定家筆)」はⅠ型A類とⅠ型B類であった。
 「桐壺」では、B類がなく替ってC類が現れる。

 C類とは和歌の末尾で改行し、下に地の文を続けない形である。
 なぜ、和歌の末尾に地の文を続けずに、改行したのであろうか。

 その4首について検証すると、それぞれの意味があったことが考えられる。すなわち、

 ①「……露置き添ふる雲の上人
  かごとも聞こえつべくなむ、と言はせ給ふ…」(16オ8~16ウ1)

 桐壺更衣の母北の方の返歌と、それに添えた詞が続く。
 改行によって、母北の方の歌から詞に移る間合いと和歌の余情が現出されている。

 ②「……魂の在りかをそこと知るべく
  絵に描ける楊貴妃の容貌はいみじき絵師と」(19オ3~4)

 桐壺帝の独詠歌と歌中の魂の在りかに関連して、長恨歌中の楊貴妃を引き合いに出した叙述が続く。
 改行によって、物語場面からその語り手の解説へという展開が図られ、その間には大きな断絶がある。

 ③「……契る心は結び込めつや
  御心ばへありて驚かさせ給ふ」(31ウ6~7)

 桐壺帝の左大臣への贈歌と、それを聞いた左大臣の驚きを叙述した地の文が続く。
 改行によって、帝の歌とそれへに対する左大臣の反応の間合い、両者の呼吸がみごとに表現されている。

 またその文が、次の左大臣の返歌の直前の地の文ともなっている。

 ④「……濃き紫の色し褪せずは
  と奏して長橋より下りて…」(32オ1~2)

 左大臣の返歌と、次の動作すなわち長橋から庭に下りて拝舞へと続く箇所。
 改行によって、時間的間合いと場所移動がゆったりと図られている。

 以上、4例には、物語を書写し、また目で読む際の物語的効果が図られているようである。
 よって、Ⅰ型C類も十分に定家の所為らしさが看取されるものである。

(4)付箋と奥入について
 
 付箋と奥入は、その親本が定家筆であるか否かに直接的に関わる問題ではないが、関連する問題として取り上げた。

 明融臨模本「桐壺」には、本文中に付箋(和歌・漢詩句の9枚)と帖末の奥入(和歌・漢詩句・故事の11項目)、そして本文中の傍記(振り漢字・仮名の4語)がある。
 なお、明融臨模本「桐壺」の奥入はその冒頭部1枚程度切り取られた形跡があり、そこには和歌等が書かれていたものであろうことが推測される。

 「柏木」では、奥入に和歌は無く、それはすべて本文中に付箋で貼付され、きれいに仕分けられていた。

 ところが、「桐壺」では奥入に和歌があり、しかも現存する奥入の和歌が付箋の和歌と重複して記載されている。いわば、未仕分け的な状態である。
 こうした未仕分け的な状態は、「桐壺」ばかりでない。次の「帚木」でも同じである。しかも、そこには「自筆本奥入」に有るような、「伊行注」と記した「源氏釈」からは転記した旨の和歌が記されている。
 その次の「空蝉」「夕顔」等ではどうあったか不明であるが、青表紙原本が存在する「若紫」でも、和歌が奥入と付箋との両方に記されている。
 しかし、「花散里」では本文中に付箋で和歌が指摘されている。そして奥入に注記が無いのは、奥入に書かねばならないような長文の注記が「花散里」には存在しなかったからである。「行幸」では付箋と奥入できれいに注記が仕分けられている。

 とすると、青表紙原本の「源氏物語」の初めの方の巻では奥入と付箋との未仕分け状態であったようである。
 ここに、青表紙原本の作成過程における変貌の問題が指摘されよう。

 次の問題は、青表紙原本5帖では見られなかった本文中の振り漢字・振り仮名の傍記である。

 ①「鴻臚館」(「こうろくわん」23ウ2)
 ②「ムスメ」(「女」30ウ5)
 ③「淑景舎」(「しけいさ」35オ3)
 ④「修理職」(「すりしき」35オ5)

 本文一筆とはいえ、臨模本からでは限界がある。その筆跡から定家筆であるか、あるいは別人筆であるかは判じようがない。
 奥入や付箋と同様に別人が書き入れた可能性の方が高いが、まったく定家でないとも言い難いだろう。

(5)本文訂正跡について

 歌書や物語、仮名日記等を多数書写した藤原定家は速筆で字形も明瞭、誤写の少ない人であると考えられている。「柏木(定家筆)」は、まさしくそうした実例であった。

 明融臨模本「桐壺」における本文一筆と見られる本文訂正跡はわずか2箇所である。
 とはいえ、親本における本行本文上の訂正跡は、その訂正跡を本文として書写しているので、衍字や脱字等の行間に訂正した跡のものしか窺えないという限界もあるが。

 さて、その2例とは、

 ①「のそし里をも(も#も)えはゝからせ者す」(1ウ3)
 ②「かひある佐万尓とこそ(+わ多り)つれ」(18ウ4)

 ①は、漢字に近い字形の「も」を墨で抹消して、別の形の漢字に近い字形の「も」で行間に書き直したもの。いわば字形の修正、明瞭化である。
 ②は、丸印の補入符号(+)があって、「わ多り」と傍記したもの。脱字の補訂である。
 きちんと補入符号を書き入れて脱字を傍記するという仕方は、他の青表紙原本における訂正跡を見渡しても、定家らしからぬ訂正方法である。

 よって、誤写が少ないという点では定家筆を思わせるが、誤写とその訂正方法に関しては定家ではない別人の所為のようにも考えられる。

(6)字母の種類と使用傾向について

 明融臨模本「桐壺」における使用字母の種類とその使用傾向を見ると、定家のそれと合致するものが多い。たとえば、
 青表紙原本5帖において、他の書写者たちの用字表記法とは異なった定家固有の使用字母7文字のうち、「桐壺」では5文字が見られる。すなわち、( )は使用数。
 
  「伊」(10)・「盈」(1)・「亭」(1)・「起」(3)・「飛」(24)

 「盈」と「亭」は共に1例ずつの用例であるが、「伊」や「飛」などは有効な実数である。
 しかし、定家非使用の字母「三」は、「桐壺」では3例見られる。

 だが、字母「三」に関しては、以下に述べるように、やはりその親本が定家筆ではないかと推定される「花宴」や「橋姫」、さらにはその親本が定家と別人による寄合書ではないかと推測される「浮舟」の定家筆部を臨模したのではないか推定される箇所にも見られるので、むしろ「柏木(定家筆)」が例外、あるいは、たまたまそうであったのではないかと考えられるのである。

 次に、定家が多用する字母「万」に関しては、「桐壺」においても、

 「万」(197)―「末」(72)―「満」(52)

 というように、やはり第1位の使用率を占めている。

 よって、「桐壺」における字母の種類とその使用傾向はほとんど定家のそれに合致しているといえる。

(7)漢字表記語について

 定家は「柏木(定家筆)」において、4語を原則漢字表記していた。
 「桐壺」においてもそれは同じである。( )内の・を挟んで、左側が漢字、右側が仮名の事例数を示す。

 ①「猶」(10・0)
 ②「又」(7・0)
 ③「心地」(8・0) *「心ち」の漢字仮名交ぜ表記ナシ
 ④「見ー」(40・0) *複合語は冒頭に立つ「見」に限定した

 というように、定家の漢字表記語の方針にすべて合致する。実例数も有効値である。

 当て字については、「本性」(本上)と「心づきー」(心月ー)の事例はないが、副助詞「ばかり」(許)に関しては、「許」の事例が4例ある。また、仮名表記も3例ある。

  「許」(4・3)

 その仮名表記とは、

 ①「心地い可者可り可ハあり个む」(8ウ5)
 ②「月影者可りそやへむくら尓も」(11ウ2)
 ③「佐者可りお本し多れと」(21ウ7)

 ①は「いかばかり」という複合語、②は漢字表記に続いた箇所、③も「さばかり」という複合語の中での仮名表記である。

 定家は、副助詞「ばかり」に関して、「柏本(定家筆)」では、漢字表記2例と仮名表記2例の両表記をしていた。そこでの仮名表記は、

 ・「をくるへうやはと者可りあるを」(8ウ7)
 ・「个ふり者可りこそは」(8ウ8)

 という、いずれも副助詞としてのごく普通の箇所である。

 漢字表記と仮名表記の比率といい、さらに仮名表記の場合の「者可り」という字母の表記にも一致性が見られる。

 以上、明融臨模本「桐壺」は、付箋や奥入、本文中の振り漢字・振り仮名、本文訂正跡の筆跡については問題を残すが、本文の書記法・書き癖に関しては、定家のそれとほとんど合致するので、その親本が定家全文筆であったろうと考えられるのである。

  二 「花宴」

(1)一面書写行数について

 明融臨模本「花宴」の最終面の16丁表は、9行書きで余白なし。
 よって、それも含めて、一面書写行数は、全31面中、8行書が27面(87.1%)、9行書が4面(12.9%)である。

 「柏木(定家筆)」と比較すると、8行書と9行書である点は、「桐壺」と同様に同じ。その8行書は「柏木(定家筆)」の場合以上に勝るという特徴がある。

 したがって、一面書写様式から見た点では、定家筆の条件に十分に適うものである。

(2)行頭字母の書き分けについて

 「花宴」の行頭の同字は、3か所ある。
 すべて異なる字母字形で書き分けられていると目される。

 ①5ウ1「し」・2「志」
 ②11オ7「と」・8「と」
 ③12ウ2「を」・3「越」

 なお、②は、同じ字母「止」であるが、すなわち、「と」は普通の字形であるが、「と」は、2筆目の湾曲が途中で切れているので、3筆で書かれた「と」の字形である。よって、視覚的には区別される。
 明融臨模本からの判断ではあるが、このように字形を異にして書かれているのは、親本においてもそのように表記されていたものであろうと考える。もし、そうであれば、やはりすべて書き分けられているということができる。

(3)和歌書式について

 「花宴」の和歌書式は、全8首中、Ⅰ型A類が5首、Ⅰ型B類が1首、Ⅰ型C類が1首、さらに、Ⅱ型C類が1首ある。

 Ⅰ型C類は「桐壺」にも見られた型であるが、「花宴」では、新たに、Ⅱ型C類という和歌書式が出て来る。

 だが、特に問題となる書式ではないと考える。
 その理由は、Ⅱ型とは、改行された和歌の下句の位置が上句の位置と同じ高さから書かれるという型であるが、その型は「柏木(定家筆)」でこそ見られなかったが、例えば、天福本「伊勢物語」他に見られるように、定家の物語中の和歌書式としてはごく普通に見られるものだからである。

 よって、「花宴」の和歌書式は定家の定家の和歌書式に適うものである。

(4)付箋と奥入について

 青表紙原本の帖末の奥入と本文中の付箋は、「柏木」で見るとおり、いずれも定家筆ではなく、別人筆のものである。ここでも直接的には関係のない問題であるが、関連する問題として触れておきたい。。

 形態的に見れば、「花宴」の注釈は、「柏木(定家筆)」と同様に、本文中の付箋と帖末の奥入とに仕分けされている。

 すなわち、本文中の付箋4枚には、比較的短い注釈の和歌が指摘され、帖末の奥入には「なをあらしに」という語句とその出典となる「万葉集」の和歌が記され、さらに長文の催馬楽「貫河」と「石川」の歌詞が万葉仮名で記されている。

 ということは、青表紙原本では、「若紫」から「花宴」に至る間において、注記が付箋と奥入とに仕分けられたことが推測されるのである。

(5)本文訂正跡について

 「花宴」には、本文一筆の本文訂正跡が2箇所認められる。
 極めて数少ない誤写数である。
 しかし、その誤写内容は定家らしからぬ衍字と脱字の誤写である。

 ①「わひしと/わひしとおへる」(5ウ6)
 ②「や者ら可尓ぬる(+)者なくて」(10ウ5)

 ①は行の変わり目に生じた誤写、衍字「わびしとお」の文字上に細い線で削除している。
 ②は補入符号の丸印(+)を入れて、「夜」を補訂している。

 明融臨模本は親本の本文様態をそっくりそのままの形で臨模したものであるという前提に立って考えた場合、衍字という誤写と、それを細い削除線で抹消しているということ、脱字の補入の際にきちんと補入符号を入れて補訂していることは、定家筆らしからぬ感じがするのである。

(6)字母の種類と使用傾向について

 「花宴」における字母の種類とその使用傾向からも定家の特徴と多く一致する。
 定家の固有使用字母7文字のうち、5文字が見られる。すなわち、( )は使用数。

  「伊」(2)・「具」(3)・「盈」(2)・「起」(2)・「飛」(17)

 「桐壺」の場合と数の上では同数であるが、内容的には、「桐壺」では「亭」が有ったが、それに替って、「花宴」では「具」が有るのが異なり、「地」が見られないの両巻に共通である。

 なお、「柏木(定家筆)」では見られなかった字母「三」が「花宴」で見られることは既に「桐壺」で述べた。

 定家が多用する字母「万」に関しては、

  「万」(64)―「満」(45)―「末」(21)

 という順位である。「末」と「満」の順位が入れ替わっているという相違があるが、「万」がトップであるという点では変わらない。

(7)漢字表記語について

 「柏木(定家筆)」において、定家が原則漢字表記した4語について見ると、「花宴」でもその原則は守られているようである。( )内の左が漢字、右が仮名の事例数を示す。

 ①「猶」(1・1)
 ②「又」(0・0)
 ③「心地」(5・0) *「心ち」の漢字仮名交ぜ表記ナシ
 ④「見ー」(18・0) *複合語は冒頭に立つ「見」に限定した

 補足すれば、
 ①の「なを」はやや特殊な事例である。すなわち「なをあらじに」とする本文中の成語の一部で、定家はその語の出典として、奥入においてその本文を抄出して「萬葉集巻」第七の「黙然不有」という原文とその和歌を指摘しているからである。そのために敢えて仮名表記したことが考えられるからである。

 ②「花宴」には副詞「まだ」はあるが、接続詞「また」の用例はナシ。よって、不問とする。

 当て字については、「本性」(本上)と「心づきー」(心月ー)の事例はないが、副助詞「ばかり」(許)では、「許」の事例が2例ある。また、仮名表記も2例ある。「柏木(定家筆)」「桐壺」の場合と同じである。

  「許」(2・2)

 その仮名表記とは、

 ①「あふき者可りを」(6ウ8)
 ②「くる万み徒者可り」(8ウ7)

 その表記「者可り」という字母も、定家の用字法に同じである。

 以上、明融臨模本「花宴」は、「桐壺」の場合とは少し異なって、本行本文における衍字という誤写を冒し、それを細い削除線で削除していることや補入符号を記て脱語を補訂していることに疑念を残すが、それ以外の本文中の書記法や書き癖は、定家のそれに合致しているので、その親本は全文定家筆であったろう推定されるのである。

  三 「橋姫」

(1)一面書写行数について

 明融臨模本「橋姫」は、他の巻の書写様式とは異なって、裏面1ウ起筆である。最終面54オの3行書を除けば、全105面となる。

 その一面書写行数は、7行書が1面(1.0%)、8行書が42面(40.0%)、9行書が61面(58.0%)そして10行書が1面(1.0%)である。
 7行書と10行書がそれぞれ1面ずつあるが、それらは問題とはならないだろう。すると、8行書と9行書がそのほとんどである。そして、その比率においては「柏木(定家筆)」とちょうどその逆の関係である。

 とはいえ、定家筆の条件には十分に適うものであるといえよう。

(2)行頭字母の書き分けについて

 「橋姫」には、行頭に同字が19箇所並ぶ。そして19箇所すべて異なる字母で書かれていて(100%)、同じ字母の表記はない(0)。

(3)和歌書式について

 「橋姫」の和歌書式は、全13首中、Ⅰ型A類が9首、Ⅰ型C類が3首、そしてⅡ型C類が1首ある。
 Ⅱ型C類が見られるのは「花宴」の場合と同様である。

 よって、「橋姫」の和歌書式も定家の和歌書式に適っているものといえよう。

(4)付箋と奥入について

 「橋姫」には、本文中に付箋が4枚貼付され和歌が指摘され、条末の奥入には和歌・故事2項目が記されている。
 そして、本文中に「桐壺」と同様に、振り漢字と振り仮名の傍記が2箇所あり、さらに新たに行頭の欄外に、事書標記が23項目ある。

 まず、問題となるのは、奥入に和歌が記されていることである。
 しかし、その和歌は、

 「宇治河の浪の枕に夢さめて夜の橋姫いや寝ざるらむ」

 という和歌で、「源氏釈」が指摘した出典未詳歌である。
 定家は、初めこの和歌を「自筆本奥入」に引用する際に、第二句を「夢の枕に」と改め、さらに第四句を「夜は橋姫」と改めて引用したが、上欄外に「不可然」と記ていた。
 その後、青表紙原本では、第二句を再び「浪の枕に」に戻したが、

 「同時哥歟不可為証哥歟」

 と、その理由を注記した。このような和歌なので、付箋には引かれていない。
 定家は問題のある歌として、奥入に記し置いたのである。

 本文中の傍記の振り漢字、振り仮名とは、次の2例である。

  ①「宿徳」(「しうとく」18ウ1)
  ②「キ」(「義」42ウ9)

 「桐壺」の場合と同様である。

 ところで、事書標題とは、初めて出てきたものである。
 
 しかし、定家の日記「明月記」を見れば、極ありふれた記述なのである。定家の日記には、その日の重要な出来事を見出しのように「ー事」と首書にしているのである。

 事書標題とは、それと同じように、源氏物語においても、物語の内容を見出しとして、「ー事」と、紙面の上欄から行間に書き入れたものである。よって、私に「事書標題」と称したものである。なお、行間注記においても「ー事」という形式の注記がある。それと紛らわしい一面があるが、事書標題は、第1に上欄外に首書のように突き出して書かれていること。第2に内容的にも見出し的な要約文であることという特徴が認められる。

 「明月記」の首書は定家独特の判読し難い記述が多いが、明融臨模本「橋姫」の事書標題は比較的明瞭で読みやすい記述である。

  ①「八宮事」(「ふる宮おはしけり」1ウ2)
  ②「女君誕生事」(「女君のいとうつくしけなるむまれたまへり」2ウ4)
  ③「中君誕生事」(「このたひはおとこにてもなとおほしたるにおなしさまにてたひらかに」2ウ7)
  ④「北方逝去事」(「いといたくわつらひてうせ給ぬ」3オ1)
  ⑤「焼失事」(「かゝるほとにすみ給宮やけにけり」10ウ6)
  ⑥「移住宇治事」(「宇治といふところによしある山さともたまへりけるにわたり給」10ウ9)
  ⑦「阿闍梨参院事」(「このあさりは冷泉院にもしたしくさふらひて」12ウ3)
  ⑧「院遣状於宇治宮事」(「みかとの御ことるてにて」14ウ8)
  ⑨「宰相中将道心事」(「あさり中将の道心ふかけにものし給なとかたりきこえて」15ウ3)
  ⑩「宰相中将対面宮事」(「かたみに御せうそこかよひみつyからもまうて給けにきゝしよりもあはれに」17オ3)
  ⑪「中将与宮法談事」(「山のふかき心法文なとわさとさかしけにはあらて」18オ7)
  ⑫「中将向宮治事」(「中将のきみひさしくまいらぬかなと…おはしたり」20オ6)
  ⑬「中将聞比巴筝事」(「琵琶のこゑのひゝきなりけり」21ウ5)
  ⑭「見両息女事」(「すいかいのとをすこしをしあけて見たまへは」24オ3)
  ⑮「返日撥事」(「いる日をかへすはちこそありけれ」24ウ7)
  ⑯「姉宮通言事」(「なにことも思しらぬありさまにて」27ウ3)
  ⑰「弁対面事」(「おい人のいてきたるにそゆつりたまふ」28ウ7)
  ⑱「弁語出権大納言間事」(「御このかみの右衛門督にてかくれ給にしは」31ウ3)
  ⑲「遣状於姫君事」(「すゝりめしてあなたにきこえたまふ」35オ6)
  ⑳「贈物事」(「又の日かのみてらにたてまつり給」37ウ3)
  ㉑「語宇治宮事於三宮事」(「三の宮のかやうにおくまりたらむあたりの見まさりせんこそ」39オ7)
  ㉒「宮法談之次召楽器事」(「琴とりよせていとつきなくなりにたりや」43ウ3)
  ㉓「弁達故大納言遺言事」(「故大納言のきみの世とゝもに物を思つゝ」46オ8)

 ①の「八宮事」という記述だけでは「ふる宮」の注釈とも解しうるが、他の事書標題と一筆なので、掲出したものである。
 ⑫の「宮」は「宇」の誤りか。
 ⑰は標題の右上に細字で「老女」とあるが、これは後人の書き加えか。
 ⑱「~の間の事」という記述は、「明月記」の首書に頻出する書式である。

 事書標記は、本文の書写とは直接的には関係しないものではあるが、⑱の書式などはいかにも定家を想わせるものである。しかし、臨模本からでは判じようがない。

(5)本文訂正跡について

 「橋姫」には、本文一筆かと目される本文訂正跡が少なくとも12箇所見られる。さらにいずれとも判じ難い事例も2、3ある。
 「柏木(定家筆)」や「桐壺」「花宴」に比して、はるかに多い誤写数である。

 ①「まこと尓(+いとうつくしう)ゆゝしき万て」(4ウ4)
 ②「おいさきえてさきえて($)満多よくも」(8ウ1)
 ③「お(+も)ほしいてゝ」(14ウ1)
 ④「のちのきこ江やらむと($て)あなたのお1万へ者」(23ウ6)
 ⑤「わ可き($)わ可き女房との」(25オ6)
 ⑥「さやうの($ハ)わさとすゝむる」(28オ7)
 ⑦「このきみも($こえ)さするわ多り者」(40ウ6)
 ⑧「者や($)者て/\ハ万め多ちて」(41オ4)
 ⑨「こ連のみ($)こそけ尓…なり个れと」(45ウ3)
 ⑩「くちのか多をゆ日多る($)にかの御名」(52オ4)
 ⑪「御名の布うつき($)多り」(52オ⑤)
 ⑫「な尓可はしり尓($个り)とも」(54オ1)

 誤写の種類とその訂正方法を見ると、3つに分類される。

 脱字の補入
 ①③は補入符号ナシ

 誤字の削除
 ②⑤は衍字を傍線で削除。
 ⑧⑨⑪は斜線(2本)で削除。
 ⑩は2点ミセケチ符号を打って削除。

 誤字をミセケチして訂正
 ④は2点ミセケチ符号を打って、「く」を「て」と訂正。「く」は「て」(くニ似タ字形)誤写したものか。
 ⑥は2点ミセケチ符号を打って、「者」を「ハ」と訂正。用字表記の変更である。
 ⑦は2点ミセケチ符号を打って、「みも」を「こえ」と訂正。「きみも」では文意不通。「みも」は、「こえ」を「ミも」(もハ漢字体ニ近イ字形)と誤読したものか。
 ⑫は2点ミセケチ符号を打って訂正。過去助動詞「き」を同「けり」と訂正する。

 脱字の補入や誤字のミセケチ訂正は、別人によることも考えられるが、誤字の削除は書写者自身による訂正であることは明かである。
 再説すれば、②⑤⑪は衍字の削除だからである。
 ⑧は「者て」と書くべきところを「者や」と書いてしまって、削除した可能性が高いから。
 ⑨は係助詞「こそ」であるところを「なん」と誤ったのを削除したものであろうから。
 ⑪は格助詞「に」であるところを「を」と誤ったのを削除したものであろうから。
 いずれも本行本文上で訂正しているものである。

 これまでの、「柏木(定家筆)」や、「桐壺」「花宴」の書写態度と比較しても、「橋姫」の書写者はやや粗忽な書写態度であると評されよう。定家らしからぬ書写態度であるともいえそうである。

(6)字母の種類と使用傾向について

 「橋姫」における字母の種類とその使用傾向からも定家の特徴と一致する。
 定家の固有使用字母7文字のうち、4文字が見られる。すなわち、( )は使用数。

  「伊」(4)・「地」(2)・「起」(1)・「飛」(26)

 「桐壺」と「花宴」は5文字であったが、「橋姫」は4文字である。とはいえ過半数は共通して使用されている。

 定家が「柏木(定家筆)」では使用していなかった字母「三」は、「桐壺」「花宴」と同様に見られるから、「柏木(定家筆)」がむしろ例外的、あるいはたまたまということであったのだろう。

 定家が多用する字母「万」に関しては、

 「万」(362)―「末」(81)―「満」(47)

 という順位で、「桐壺」と同様の並び方である。

(7)漢字表記語について

 「柏木(定家筆)」において、定家が原則漢字表記した4語について見ると、次のとおりである。( )内の左が漢字・右が仮名の事例数を現す。

 ①「猶」(11・0)
 ②「又」(20・0)
 ③「心地」(7・5) *「心ち」の漢字仮名交ぜ表記
 ④「見ー」(38・15) *複合語は冒頭に立つ「見」に限定した

 ③「橋姫」では「ここち」の語の表記に関して、漢字表記「心地」が7例、それに対して漢字仮名交ぜ表記「心ち」が5例で、拮抗しているのが大きな相違である。
 ④「見」を「み」と仮名表記しているのは、次の15例である。
  「みすくし給」(3ウ6)
  「みはやし給」(5ウ6)
  「みたまひしかと」(7オ8)
  「みるへきほと」(17オ9)
  「みまほしう」(17ウ8)
  「みたてまつらまほしうて」(19オ8)
  「みえぬしけ木の」(20ウ3)
  「みえやしぬらんと」(26オ5)
  「みゆるかりきぬすかた」(30オ1)
  「みきこえさらん」(33ウ9)
  「み所ありて」(36ウ7)
  「みたまふ」(38ウ6)
  「みる事も」(42オ5)
  「みたてまつりそめし」(47ウ3)
  「みたまふに」(53ウ1)
 およそ、2:1弱の割合で仮名表記ある。「桐壺」の場合と比較しても、「桐壺」では仮名書き0であったの対して仮名書きが15もあるというのは異例である。

 当て字については、「本性」(本上)と「心づきー」(心月ー)の事例はないが、副助詞「ばかり」(許)では、漢字表記「許」の事例が3例ある。しかし一方で、仮名表記は22例ある。

  「許」(3・22)

 「橋姫」では、「心地」、「見」の表記法といい、さらに副助詞「ばかり」の漢字表記「許」の比率といい、「柏木(定家筆)」に比較して、かなり緩慢である。
 よって、漢字表記語に関しては、やや問題なしとは言い難い面がある。

  まとめ

 以上、明融臨模本「桐壺」「花宴」「橋姫」の3帖について、青表紙原本の「臨模本」という前提の下にその親本について考えてきた。

 (1)の一面書写行数、(2)の行頭字母の書き分け、(3)の和歌の書写様式、(6)の字母の種類と使用傾向、(7)の漢字表記語に関しては、定家の書記法や書き癖に合致していると考えられる。

 そうした中で、(4)の付箋と奥入に関しては、青表紙原本においても定家筆ではなく、すべて別人が書き記したものであるから、今は措く。
 また、本文中の振り漢字・振り仮名、さらに事書標題についても、「柏木(定家筆)」には見られないものなので、比較のしようがないから、これも措く。

 しかし、(5)の本文訂正跡に関しては、その誤写跡(衍字・誤字)の在り様や、その訂正方法跡(削除線・2点ミセケチ)等には、なんとも定家らしからぬものが感取される。
 殊に本行本文上の衍字などは書写者の誤写以外の何物でもない。

 「橋姫」にはそれが顕著に窺える。「花宴」の訂正跡(衍字と、その削除)も、数こそ少ないが、内容的には「橋姫」と変わらない。
 
 その一方でまた、(6)と(7)における、その人が使用する字母の種類や多用する傾向の字母、多く漢字表記する語といった、いわば個人の書き癖のようなものが通底しているいるのも重視しなければならないだろう。

 しかし、そうした中でも、「橋姫」の漢字表記語に関しては、定家の表記法や書き癖からはやや逸脱したものがある。

 定家の書写態度や書記法、書き癖というものをどう考えるべきか。また書写の際のさまざまな条件や状況等を考慮に入れて、そのバリエーションの範囲をどの程度まで許容して考えることができるのか。
 「柏木(定家筆)」を基準にして考えて来たのだが、青表紙原本は定家と別人たちとの協同作業によって、おそらく長時間に亙って制作されたであろうから、第1帖「桐壺」、第8帖「花宴」、そして第45帖「橋姫」が、まったく同じ条件下に書写されとものとは考え難い。そうした中で、通底するもの、変容するものが有って当然であろう。

 いくつかの問題点はありながらも、表記法・書き癖という点から見た場合、結論として、明融臨模本「桐壺」「花宴」「橋姫」の親本は、全文藤原定家筆であったろうと推定する。

 最後に、次の資料を補説としておこう。「源義弁引抄」に、

 「一華堂云、定家の青表紙を周防国守にて一覧せり、紙は備中のかいた也、外題は青表紙に定家の打付書也(略)、定家卿自筆は桐壺花宴橋姫の三冊也、余は俊成卿女なとの筆也、水尾尽巻うせしを逍遥院殿書たし給へり」(注3)

 という記事がある。

 一華堂乗阿の記憶には混乱があるようだが(注4)、「紙は備中のかいた也、外題は青表紙に定家の打付書」という記述は、かなり具体的である。
 乗阿が目にした年代と場所については問題があるにしても、「定家卿自筆は桐壺花宴橋姫の三冊也」という彼の印象は嘘ではないだろう。

 そして、それが真実「定家卿筆本」であったなら、それは明融臨模本「桐壺」「花宴」「橋姫」の親本であった可能性が高い。

  注

(1)石田穣二『源氏物語(明融本)Ⅱ』(「解題」710・716頁 東海大学出版会 1990年7月)
(2)小松英雄「藤原定家の文字づかい――「を」「お」の中和を中心として――」(『言語生活』第272号 昭和49年5月)
(3)『源氏物語大成巻七 研究資料篇』(68~69頁 中央公論社 昭和31年1月)
(4)伊井春樹『人がつなぐ源氏物語 藤原定家の写本からたどる物語の千年』(299~301頁 朝日選書 2021年2月)