第二章 明融臨模本「源氏物語」(東海大学蔵8帖)本文の再検討(2021年3月2日稿))
はじめに
青表紙原本の臨模本である「明融臨模本」(東海大学図書館桃園文庫蔵)が出現したのは、石田譲二氏によれば昭和26年(1951)であつたという(注1)。
池田亀鑑氏は『源氏物語大成研究資料編』に、次のように記されている。
「ところが、最近に至り明融(上冷泉為和の子)が原本を臨模した桐壺・帚木・花宴・花散里・若菜上・若菜下・柏木・橋姫・浮舟の九帖が発見された。これらは多少の相異はあるにしても、前記原本の諸条件を具備してゐる。特に柏木の巻を前田家蔵の原本と比較すると、殆ど寸分違はぬのみならず、原本の虫損不明の箇所が明らかにされる程、忠実な本である。これより推して他の帖も同様原本に準ずべきものと考へられる」(注2)
その後、明融臨模本は、平成2年(1990)に、石田穣二氏の「解題」を付して、モノクロ版ではあるが原寸大影印版の形で刊行された(注3)。
石田穣二氏は、その中で、「花宴」について、「本文の字体が一貫して大ぶりで、一面の行数もほぼ八行。臨模本からの推定は危険ではあるが、原本は一帖すべてが定家自身による書写であったかという印象がある」といい、また、「橋姫」についても、「本文の字体、ほぼ一貫して大ぶりな印象のある点、「花宴」に似る」「「花宴」と同じように、原本は全体が定家の自筆であったかという印象がある」(注4)と述べている。
青表紙原本(5帖)が、すべて定家筆というものではなく、「柏木」が定家筆と別人による寄合書で、その他はすべて別人筆であった。さらにその別人筆も、「行幸」の筆者と「若紫」や「花散里」「柏木(別人筆)」「早蕨」の筆者とはまた別人であることなどを、これまでに見てきた。
したがって、明融臨模本の親本に関しても、全文定家筆、定家と別人による寄合書、全文別人筆の3ケースが想定されるのである。
かつて、明融臨模本(8帖)について、巻毎に検討してきたが(注5)、その往時には、まだ青表紙原本「若紫」が知られていなかった。
そこで、本稿では、青表紙原本(5帖)の知見に立って、(1)親本が定家筆であろうと考えられる帖、(2)親本が定家と別人による寄合書であろうと考えられる帖、(3)親本が全文別人筆であろうと考えられる帖、という視点から検証していく。
なお、井上宗雄によれば、明融は永正10年(1513)頃の生まれ、天正10年(1582)8月没、「明融」の訓みについては、「ミョウユウ」と読むのがよいようである(注6)。
注
(1)石田譲二『源氏物語論集』(565頁 桜楓社 昭和46年11月)
(2)池田亀鑑『源氏物語大成研究資料篇』(66頁 昭和31年1月)
(3)『源氏物語(明融本)TU』(東海大学蔵桃園文庫影印叢書 東海大学出版会 平成2年(1990)6月・7月)
(4)『源氏物語(明融本)U』(「解題」710・716頁 東海大学出版会 平成2年(1990)7月)
(5)「明融臨模本「花宴」帖の親本の性格について――一面行数と和歌の書写様式及び用字表記法を中心にして――」(豊島秀範編『源氏物語本文のデータ化と新提言T』 所収17〜31頁 文部科学省研究費補助金 基盤研究(C)「源氏物語本文関係資料の整理とデータ化及び新提言に向けての再検討」課題番号[23520241]研究代表者豊島秀範 國學院大學文学部日本文学科 2012年3月)
「明融臨模本「橋姫」帖の親本の性格について――一面行数と和歌の書写様式及び用字表記法・訂正方法を中心にして――」(『高千穂論叢』第47巻第2号 1〜18頁 平成24年9月 高千穂大学)
「明融臨模本「浮舟」帖の親本の性格について――一面行数と和歌の書写様式及び定家仮名遣いを中心にして――」(『高千穂論叢』第47巻第3号 1〜24頁 平成24年11月 高千穂大学)
「明融臨模本「桐壺」「帚木」「若菜上」「若菜下」帖の親本の性格について――定家親筆と非定家筆との相違及び非定家筆本の差異性を中心にして――」(豊島秀範編『源氏物語本文のデータ化と新提言U』 所収60〜88頁 文部科学省研究費補助金 基盤研究(C)「源氏物語本文関係資料の整理とデータ化及び新提言に向けての再検討」課題番号[23520241]研究代表者豊島秀範 國學院大學文学部日本文学科 2013年3月)
「明融臨模本「源氏物語」の親本の性格について――本文一筆の本文訂正跡を中心にして――」(豊島秀範編『源氏物語本文のデータ化と新提言V』 所収72〜93頁 文部科学省研究費補助金 基盤研究(C)「源氏物語本文関係資料の整理とデータ化及び新提言に向けての再検討」課題番号[23520241]研究代表者豊島秀範 國學院大學文学部日本文学科 2014年3月)
(6)井上宗雄『しぐれてい』(第62号 平成9年10月20日)