八 漢字表記の語

  はじめに

 国語学者・築島裕氏は藤原定家が書写した写本に関して、

「漢字の用法について見ても、定家自筆本を忠実に転写したとされる三条西家本『伊勢物語』などで見ると、「人」「花」「月」などは、仮名で「ひと」「はな」「つき」と書いた例はきわめて少ない。「又」「宮」「松」「猶」「山」「世」「夜」「秋」「春」「神」「夏」「冬」「風」「河」「我」なども、同様に、大部分が漢字で書かれている。これらの多くは、仮名遣いと関係のない語が多いが、このように、漢字を用いて仮名を用いない語というものも、定めていたようだ。」(注1)
と述べていた。

 「極めて少ない」あるいは「大部分が」という表現ながら、藤原定家が「漢字を用いて仮名を用いない語というものも、定めていたようだ」という指摘に示唆を得て、以前に青表紙原本「花散里」と「柏木」及び「明融臨模本」(8帖)における、漢字表記の語「猶」「又」「許」について考察したことがある(注2)

 その後、青表紙原本の「行幸」と「早蕨」が原色カラー版で刊行され(注3)、さらに追加して考察すべき必要性が生じた。

 そこで、本稿では、青表紙原本「源氏物語」(4帖)における、漢字表記の語に関して、改めて考察する。そして、これまで考察してきた青表紙原本「源氏物語」の書写者たち、すなわち、藤原定家と別人甲、別人乙たちの漢字表記に関する書き癖について明らかにし、明融臨模本の親本の書写者について考えていく上での基礎的データとしたい。

(1)藤原定家「柏木(定家親筆部)」の漢字表記の語

 最初に、藤原定家の「柏木(定家親筆部)」における漢字表記の語から見ていこう。

 第1に、「柏木(定家親筆部)」において、すべて漢字で表記し、仮名の表記や仮名を混ぜた表記をしない語として、「猶」「又」「心地」「見」の語が挙げられる。なお、よく見ていけば、他にもあるかもしれないが、本稿では、以上の4語について考察する。
 第2に、同じく、漢字と仮名の両表記が見られる中でも、他の青表紙原本には見られない独特の漢字表記の語として、「許」(ばかり)が挙げられる。
 第3に、同じく、当て字表記の語として、「本上」(本性)「心月ー」(心づきなし)の2語が挙げられる。

 以下、具体的に見ていこう。

1.原則漢字表記する語

@「なほ」【猶】〔副詞〕
  漢字表記8例(1オ・2オ・3ウ・4オ・6オ・7オ・8ウ・10オ) 仮名表記ナシ(0)
A「また」【又】〔接続詞〕
  漢字表記4例(1オ・2ウ・8オ・11オ) 仮名表記ナシ(0)
 副詞「まだ」と差別化したのであろう。
B「ここち」【心地】〔名詞〕
  漢字表記4例(4ウ・7ウ・7ウ・9ウ) 仮名混ぜ表記ナシ(0)
C「みる(ゆ)」【見】〔動詞〕
  漢字表記11例(1オ・4オ・7オ・7オ・7ウ・8オ・8ウ・10オ・10オ・10ウ・11オ) 仮名表記ナシ(0)
 他の一音節語の「身」「御」などとの差別化を図ったものであろう。

 以上、「柏木(定家親筆部)」において、定家がすべて漢字表記して、仮名表記はしていない語について見てきた。しかし、これをもって絶対視することは危険である。あくまでも「柏木(定家親筆部)」においてという、限定付きの下である。よって、ここでは原則漢字表記する語として捉えておく。

2.独特の漢字表記語

@「ばかり」【許】〔副助詞〕
  漢字表記2例(3オ・4ウ) 仮名表記2例(8ウ・8ウ)
 仮名表記のうち1例は「とばかり」〔連語〕である。

 「花散里」は用例ナシ。
 「行幸」は、6例すべて仮名表記。
 「柏木(非定家筆部)」は、14例すべて仮名表記。
 「早蕨」は、4例すべて仮名表記。うち1例「いかばかり」〔副詞〕を含めた。

 「許」の語は、彼の日記『明月記』中に普通に使用されている語である。

3.当て字表記の語

@「ほんじゃう」【本性】〔名詞〕
  当て字「本上」(4ウ)と表記する。
A「こころづきなし」【心づきなし】〔形容詞〕
  当て字「心月なき」(5オ)と表記する。

(2)別人甲「行幸」の漢字表記の語

 次に、別人甲の「行幸」の漢字表記について見ていこう。

 第1に、「行幸」において、すべて漢字表記し、仮名表記や仮名混ぜ表記をしない語は、特にナシ。
 第2に、同じく、漢字と仮名の両表記が見られる中でも、他の青表紙原本には見られない独特の漢字表記の語として、「也」「御覧」の語が挙げらる。
 第3に、同じく、当て字表記の語として、「本上」(本性)「心月ー」(心づきなし)「女方」(女房)の語が挙げられる。

 以下、同様に具体的に見ていこう。

1.原則漢字表記する語

 特にナシ。

2.独特の漢字表記語

@「なり」【也】〔助動詞・動詞〕
  漢字表記3例(29ウ・30オ・36オ) 仮名表記30例(略)。

 「花散里」「柏木(定家親筆部)」「柏木(非定家筆部)」「早蕨」には漢字表記ナシ。すべて仮名表記である。

A「ごらんー」【御覧ー】〔動詞〕
  漢字表記「御覧」3例(22ウ・27ウ・37オ) 漢字仮名混ぜ表記「御らむー」1例(29ウ)。
 
 「柏木(非定家筆部)」は「御らむ」と漢字仮名混ぜ表記する(2例)。
 「花散里」「柏木(定家親筆部)」「早蕨」には用例ナシ。

3.当て字表記の語

@「ほんじゃう」【本性】〔名詞〕
  当て字「本上」2例(11オ・13オ)と表記する。
 定家「柏木(定家親筆部)」と同じ。
A「こころづきなし」【心づきなし】〔形容詞〕
  当て字「心月なし」(4ウ)と表記する。
 定家「柏木(定家親筆部)」と同じ。ただし「行幸」には他に「心つきなし」(11ウ)も1例あり。
 以上、@Aは定家とも共通であるが、以下のBCは「行幸」独特の当て字表記の語である。
B「にょうばう」【女房】〔名詞〕
  当て字「女方」(34ウ・35オ・37ウ)と表記する。
 「柏木(非定家筆部)」「早蕨」では、「女はう」と漢字仮名混ぜ表記する。
C「やまとうた」【大和歌】〔名詞〕
  当て字「山とうた」(37オ)と表記する。

4.漢字と仮名の両表記する語

 以下、定家が原則漢字表記した語について、「行幸」ではどのように表記しているか、その様相を見ておく。

@「なほ」【猶】〔副詞〕
  漢字表記「猶」2例(15オ・33オ)、仮名表記「なを」4例(7ウ・16ウ・31ウ・32オ)である。
 1:2の割合で仮名表記を多くする。
A「また」【又】〔接続詞〕
  漢字表記「又」13例(7オ・7ウ・11ウ・15オ・16オ・19オ・23ウ・25オ・26オ・30ウ・31オ・33ウ・34オ)、仮名表記2例「また」(6オ・33ウ)である。
 6:1弱の割合で漢字表記を多くする。
B「ここち」【心地】〔名詞〕
  漢字表記「心地」1例(4ウ)、漢字仮名混ぜ表記「心ち」9例(10オ・10オ・10ウ・11ウ・23オ・24オ・24ウ・26ウ・36ウ)である。
 1:9の割合で漢字仮名混ぜ表記を多くする。
C「みる(ゆ)」【見】〔動詞〕
  漢字表記「見」10例(1ウ・1ウ・1ウ・3オ・3ウ・4オ・4オ・4ウ・4ウ・25ウ)と仮名表記「み」40例(略)の両表記をする。
 さらに「見」を字母としても使用する。
 例えば、「衣を見た(乱)れきつゝ」(2ウ)・「なや(悩)見たまふ」(9オ)・「けしきば見たまふ」(21ウ)。3例ある。

 以上、別人甲「行幸」の漢字表記の特徴について、定家親筆との相異を中心に見てきた。

(3)別人乙「花散里」「柏木(非定家筆部)」「早蕨」の漢字表記の語

 次に、別人乙の「花散里」「柏木(非定家筆部)」「早蕨」の漢字表記について見ていこう。

 第1に、以上の3巻において、共通してすべて漢字表記し、仮名表記や仮名混ぜ表記をしない語は、特にナシ。ただし、「柏木(非定家筆部)」単独では、「又」の語がある。
 第2に、同じく、漢字と仮名の両表記が見られる中でも、他の青表紙原本には見られない独特の漢字表記の語として、3巻共通では無いが、2巻共通では、「哉」と漢字仮名混ぜ表記「女はう」、そして「柏木(非定家筆部)」単独では「候」の語が挙げらる。
 第3に、同じく、当て字表記の語として、3巻共通では無いが、2巻共通では、「木丁」(几帳)、そして「柏木(非定家筆部)」単独では「き丁」(几帳)「御丁」(御帳)「あい行」(愛敬)「す行」(誦経)「さい将」(宰相)などの語が挙げられる。
 以下、同様に具体的に見ていこう。

1.原則漢字表記する語

 別人乙(「花散里」「柏木(非定家筆部)」「早蕨」)3巻共通は、特にナシ。
 また、「柏木(非定家筆部)」「早蕨」共通も、特にナシ。

 「柏木(非定家筆部)」単独では、
@「また」【又】〔副詞〕
  漢字「又」13例(15オ・15ウ・16ウ・20オ・22オ・22ウ・23オ・24ウ・28オ・36オ・39ウ・48オ・48ウ)、仮名「また」ナシ(0)
 定家「柏木(定家親筆部)」と同じである。しかし、「早蕨」は漢字と仮名の両表記をし、別人乙としての統一性はない。

2.独特の漢字表記語

 定家「柏木(定家親筆部)」や別人甲「行幸」には見られない、別人乙(「花散里」「柏木(非定家筆部)」「早蕨」)3巻共通の独特の漢字表記としては、特にナシ。

 「柏木(非定家筆部)」と「早蕨」2巻共通では、
@「かな」【哉】〔終助詞〕
  「柏木(非定家筆部)」1例(13オ)、「早蕨」1例(14ウ)
A「にょうばう」【女房】〔名詞〕
  「女はう」と漢字仮名混ぜ表記
  「柏木(非定家筆部)」3例(12オ・34ウ・50オ)、「早蕨」1例(18オ)
 「行幸」では「女方」と当て字表記。「花散里」「柏木(定家親筆部)」には用例ナシ。

 「柏木(非定家筆部)」単独では、
B「さふろふ」【候】〔動詞〕
 「候」1例(21オ)
 がある。

3.当て字表記の語

 別人乙(「花散里」「柏木(非定家筆部)」「早蕨」)3巻共通は、特にナシ。

 「柏木(非定家筆部)」「早蕨」2巻共通では、
@「きちゃう」【几帳】〔名詞〕
  当て字「木丁」
 「柏木(非定家筆部)」3例(18オ・26オ・32オ)「早蕨」1例(13ウ)

 「柏木(非定家筆部)」単独では、5語ある。
A「きちゃう」【几帳】〔名詞〕
  当て字「き丁」 2例(14ウ・46ウ)
 「行幸」にも、「き丁」1例(37ウ)がある。
B「みちゃう」【御帳】〔名詞〕
  当て字「御丁」 1例(18オ)
C「あいぎゃう」【愛敬】〔名詞〕
  当て字「あい行」 2例(34オ・49オ)
D「ずきゃう」【誦経】〔名詞〕
  当て字「す行」 1例(37オ)
E「さいしゃう」【宰相】〔名詞〕
  当て字「さい将」 1例(38オ)

 「ちゃう」【帳】には「丁」を、「きゃう」【敬・経】には「行」を、そして「しゃう」【相】には「将」を当てている。

4.漢字と仮名の両表記する語

 以下、定家「柏木(定家親筆部)」が原則漢字表記した語について、別人乙の「花散里」「柏木(非定家筆部)」「早蕨」ではどのように表記しているか、その様相を見ておく。併せて、別人甲「行幸」との違いについても触れておこう。

 最初に、定家「柏木(定家親筆部)」が原則漢字表記する語に関して。

@「なほ」【猶】〔副詞〕
 「花散里」と「早蕨」は漢字と仮名の両表記をするが、「柏木(非定家筆部)」はすべて仮名表記する。

 「花散里」 漢字「猶」1例(3オ)、仮名「なを」1例(4オ) 1:1の割合である。
 「柏木(非定家筆部)」 漢字「猶」ナシ(0)、仮名「なを」21例(略) 定家「柏木(定家親筆部)と正反対である。
 「早蕨」 漢字「猶」3例(12オ・12ウ・15ウ)、仮名「なを」1例(22ウ) 3:1の割合で漢字表記を多くする。

 なお、別人甲「行幸」は、漢字と仮名の両表記であるが、その比率は1:2の割合で仮名表記を多くする。

A「また」【又】〔接続詞〕
 「花散里」は用例ナシ、「柏木(非定家筆部)」は定家「柏木(定家親筆部)」と同じく、すべて漢字表記、しかし、「早蕨」は漢字と仮名の両表記である。

 「花散里」 用例ナシ(0)
 「柏木(非定家筆部)」 漢字「又」13例(15オ・15ウ・16ウ・20オ・22オ・22ウ・23オ・24ウ・28オ・36オ・39ウ・48オ・48ウ)、仮名「また」ナシ(0) 定家「柏木(定家親筆部)」と同じ。
 「早蕨」 漢字「又」2例(5オ・7オ)、仮名「また」7例(3ウ・5ウ・6ウ・10オ・12オ・13オ・23オ)の両表記する。1:3強の割合で仮名表記が多い。

 別人甲「行幸」は、漢字と仮名の両表記であるが、その比率は6:1弱の割合で漢字表記を多くする。

B「ここち」【心地】〔名詞〕
 「花散里」は用例ナシ、「柏木(非定家筆部)」と「早蕨」は、すべて漢字仮名混ぜ表記する。

 「花散里」 用例ナシ(0)
 「柏木(非定家筆部)」 すべて漢字仮名混ぜ表記「心ち」15例(14ウ・14ウ・14ウ・18オ・22ウ・26オ・27オ・27ウ・30オ・31ウ・32ウ・33オ・34ウ・45ウ・48オ)
 「早蕨」  すべて漢字仮名混ぜ表記「心ち」5例(5ウ・7ウ・10オ・14オ・21ウ)

 別人甲「行幸」は漢字「心地」1例と漢字仮名混ぜ「心ち」9例の両表記である。

C「みる(ゆ)」【見る(ゆ)】〔動詞〕 「花散里」はすべて仮名表記、「柏木(非定家筆部)」と「早蕨」は漢字と仮名の両表記する。

 「花散里」 漢字「見」ナシ、仮名「みる(ゆ)」6例(2オ・2オ・3オ・3オ・3ウ・3ウ)
 「柏木(非定家筆部)」 漢字「見」7例(23オ・34オ・41ウ・42ウ・44オ・49ウ・50オ) 仮名「み」62例(略)
 「早蕨」 漢字「見」5例(2ウ・3オ・7ウ・9オ・22オ) 仮名「み」36例(略)

 別人甲「行幸」は漢字「見」10例と仮名「み」40例の両表記をし、さらに「見」を字母としても使用していた(3例)。

 まとめ

 以上、青表紙原本(4帖)における漢字表記について見てきた。定家筆の「柏木(定家親筆部)」と別人甲の「行幸」における漢字表記に関しては、それぞれ他の青表紙原本とは異なった独特の筆者特有の書き癖というものが窺えた。
 しかし、別人乙の「花散里」「柏木(非定家筆部)」「早蕨」は、「花散里」が小巻ということもあって、十分なデータが得られず、3巻共通の漢字表記に関する独特の筆者特有の書き癖というものは、窺うことができなかった。

 ただしかし、「柏木(非定家筆部)」「早蕨」2巻共通の漢字表記に関しては、独特の漢字表記語として、漢字表記「哉」と漢字仮名混ぜ表記「女はう」が見られ、当て字表記の語として「木丁」が見られ、漢字と仮名の両表記する語の中では、漢字仮名混ぜ表記「心ち」と「見(み)る(ゆ)」の5語が見られた。しかし、いずれもわずかな事例であって、強固な例とは言い難いものである。

 別人乙は、和歌の書式や字母とその使用傾向という点から見ると、それぞれに違いがある(注4)。そこにはそれぞれの親本の影響によるものもあろう。あるいはまた、「柏木」巻のように主人定家との寄合書きである場合と、単独書写の場合とでは、その書写条件も違ったものがあろう。さまざまな要因を考慮に入れておかねばなるまい。

 したがって、それぞれの違いをすべて書写者の相違に起因すると考えることもできないだろう。

 別人乙は、その筆跡も近似している。漢字表記に関しては、薄弱なデータながらも、現段階では別人乙ないしは別人乙グループとして捉えておきたい。

  

 (1)築島裕『歴史的仮名遣い その成立と特徴』(中公新書 昭和61年7月)
 (2)拙稿「明融臨模本「花宴」帖の親本の性格について――一面行数と和歌の書写様式及び用字表記を中心として――」「明融臨模本「桐壺」「帚木」「若菜上」「若菜下」帖の親本の性格について――一面行数と和歌の書写様式及び用字表記を中心として――」(『源氏物語本文のデータ化と新提言T・U』平成23・24年度科研報告書「源氏物語の研究支援大成の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」國學院大学豊島秀範研究室 2012年3月・13年3月)
 (3)藤本孝一編・解題『定家本源氏物語 行幸・早蕨』(八木書店 2018年1月)
 (4)拙稿「4 青表紙原本「源氏物語」の和歌の書写様式」「7 青表紙原本「源氏物語」の字母の種類と使用傾向」参照