五 付箋朱合点奥入傍記(2020年10月1日修正版)

 池田亀鑑氏は、『源氏物語大成 研究資料篇』(注1)に、青表紙本原本の形態に共通する特色として、次のような点を挙げていた。

「七、伊行の源氏釈その他の旧注を本文当該箇所に小紙片を以て掲げてゐること。
 八、句読点・声点等の朱筆は全く加へてゐないこと。
 九、帖末に勘物が存すること。(但し花散里・早蕨にはこれがない)」

 しかし、近年「行幸」「早蕨」、そして新出資料「若紫」の原寸カラー版が公刊された現在(注2)、これらの諸説は修正されなければならない。

 七の「小紙片」については、「源氏釈その他の旧注」ではなく、それは定家自身の注釈の内容であること。
 八は、大島本や河内本等に見られるような朱筆による「句読点・声点」を念頭においての記述なのであろうが、「朱筆」に関しては、本文中の引き歌等に関する語句に朱筆による合点が掛けられているので、朱筆が「全く加へてゐない」とはいえないこと。
 そして、「行幸」には、本文中に振り漢字が2例見られること。そのことは青表紙本原本の臨模本である明融臨模本(東海大学蔵)にも見られる巻が存することから、傍記が存在する巻があることも青表紙本原本の形態に関する特色の一つとして追加すべきである。
 そして、九の「花散里・早蕨にはこれ(奥入)がない」というのは、既に本文中に付箋で指摘しているから無いのである。定家は注釈に関して、短い和歌や漢詩句等は本文中の付箋に、一方比較的長文に亙る歌謡の詩句や故事等は帖末の奥入に仕分けて記載する、という注釈方針をとっていたのである。

(1)「源氏釈」と「自筆本奥入」及び「青表紙原本」の朱合点と奥入・付箋との関係

 初めに、藤原定家の「源氏物語」の注釈の淵源となっている「源氏釈」と定家の「自筆本奥入」及び「奥入」諸本、「青表紙原本」の朱合点と奥入・付箋との関係について一覧しよう。

 「異本奥入」は「神宮文庫蔵「源語古抄」」(注3)と「宮内庁書陵部蔵伝三条西公条筆異本「源氏物語奥入」」(紙焼資料)に拠った。
 「別本奥入」は「松平文庫本」(紙焼資料)他に拠った。

「若紫」    

 巻名   (朱合点)と語句  源釈   自奥   異奥   別奥   奥・箋    出 典
 若 紫@  そこのみる免も(6ウ3)   1   1   1   1  1 A  和歌(出典未詳)
     A  くらき尓いりても(16ウ8)   2   2   2    2  法華経
     B  とよらのてらの(23ウ8)   3   3   3    3     催馬楽「葛城」
     C  と者ぬハつらき(27オ3)   4   4   4   2    C  和歌(出典未詳)
     D  いのち堂尓とて(27ウ2)     5   5      D  古今387
     E   くら婦のやま尓(31ウ8)   5   6   6   3  4  後撰832
     F   お尓やと(39オ1)   6   7   7   4  5  古今732
     G  こひさらむと(42オ10)   7   8   8    6  後撰731
     H  ひ堂ちに者堂を(51ウ3)   8   9   9    7  風俗歌「常陸」
     I   むさしのといへハ(58オ2)   9  10  10      F  古六3507
     J  あしわ可の尓…(42オ4)    11  11      E  古六2543
     K  「なこひさらむ」(42オ10)再出    12  12    8  未勘
     L  「 くらふの」(31ウ8)再出    13  13      未勘
     M  くさのとさしに(46ウ6)    14  14      G  古六1377
     N  「ゆ本ひ可」(4オ7)      15    9  @  古六1527

(注)付箋Bは「帚木」付箋の竄入である。

 定家は、「自筆本奥入」において、先行注釈書「源氏釈」(第2次本系「前田家本」)の注記(1〜9)をすべてを引用し、それに自らの注記5項目(5・11〜14)を追加した。「異本奥入」では、さらに1項目(15)を追加した。「別本奥入」には4項目(自筆本奥入の1・4・6・7)しか無いが、その事情は未詳。

 朱合点は8箇所ある。その指示する注記は、奥入に5条(3・4・5・6・7)、付箋に3枚(C・F・G)とにすべて対応している。しかし、その一方で、朱合点の掛けられていない奥入(1・2・8・9)や付箋(@ADE)というのもある(重複1とA、9と@を含む)。その間の事情は未詳である。以下の巻でも同じ。

 次に、奥入と付箋との関係について。
 定家は、「自筆本奥入」の注記を、定家本「若紫」の帖末の奥入と本文中の付箋とに転記した。
 最初は、付箋と奥入との両方で指摘(付箋@と奥入9と付箋Aと奥入1)していたが、途中で方針を変更して、経文や催馬楽等の比較的長くなる注記(2・3・7)と問題のある和歌(4・5・6)及び未勘(8)は奥入に注記して、問題のない和歌(ACDFG)のみを付箋で注記することにした。

 その問題のある和歌(4・5・6)とは次のようなものである。
 奥入4の和歌は、「自筆本奥入」に除去符号が掛けられ、「不可用」「心玄隔此哥ハ鞍馬山也非此事」とあり、この定家本でも「此哥くらまの山也惣て此哥之心更不叶」とある歌である。
 奥入5の和歌も、「自筆本奥入」に除去符号が掛けられ、「此哥上句又如何」とあり、また定家本にも「此哥上句又如何」とある歌である。
 奥入6の和歌は、「自筆本奥入」では初め「源氏釈」指摘の和歌を掲載していたが、後から「なそこひさらむ」と書き入れて、「未勘」と記していた歌である。そして、定家本でも注釈の行間に小字で書き入れていた歌で、「自筆本奥入」と同様に「なそこひさらむ 未勘」としていた和歌である。
 つまり、いずれの和歌も、「自筆本奥入」において否定されているような歌である。そのような歌は付箋では除外したのである。なお、出典未詳歌(AC)に関しては掲載されているが、以後の「花散里」「行幸」「柏木」「早蕨」では、出典未詳歌も付箋には見られなくなる。これらも除外したのである。

「花散里」

 「自筆本奥入」の「花散里」は闕脱のため、「高野本」(注4)に拠った。

 巻名  (朱合点)と語句 (丁行) 源釈  自奥  異奥  別奥  奥・箋    出 典
 花散里@  うへし可きねも(3オ1)  未勘  1  1  1    和歌(出典未詳)
     A   い可尓しりて可(4オ5)  2  2  2  2    @  古六2804
     B  堂ちの可をなつ可しみ(4オ7)    3  3  3    A  古六4417

 定家は、「自筆本奥入」において、「源氏釈」の注記2項目(うち1項目は「たづぬべし」(第1次本系「冷泉家本」)、空白(前田家本)という未勘)を受け、その未勘箇所に和歌(出典未詳)を指摘(1)し、さらに1項目(3)を追加した。「異本奥入」「別本奥入」も同じ。

 朱合点は2箇所ある。うち1つは付箋と対応しているが、もう1つは奥入にも付箋にも対応する注記が無い。また「若紫」同様に、朱合点の無い付箋1枚(A)というのもある。

 定家本では、奥入は無く、付箋が2枚あるのみである。
 問題は付箋の有無についてである。
 定家が「自筆本奥入」に指摘した歌とは 「かこはねと蓬のまかき夏くれハ/うへしかきねもしけりあひにけり」(高野本による)という出典未詳歌である。
 剥落した可能性も考えられるが、出典未詳歌であるがゆえに貼付を躊躇したのではあるまいか。
以下の「行幸」他において、出典未詳歌は付箋では一切指摘していないからである。

「行幸」
 巻名  (朱合点)と語句 (丁行) 源釈  自奥  異奥  別奥  奥・箋    出 典
 行 幸@  このをとなしのたき(1オ2)  1  1  1  1    和歌(出典未詳)
     A  太政大臣の可ゝ累行幸」(6オ2)    2  2  2  1  故事

 定家は、「自筆本奥入」において、「源氏釈」の注記1項目を受け、さらに1項目を追加した。「異本奥入」「別本奥入」も同じ。

 次に、朱合点についてみると、2箇所ある。2つ目の朱合点は帖末の奥入の注記と対応するが、最初の朱合点は奥入にも付箋にもそれに対応する注記が無いという形である。「花散里」の場合と同じ形である。

 藤本孝一氏は、朱合点(1)と(2)について、「行の天の部分に附箋の糊跡あり」注5と指摘するが、その「高精細原寸カラー版影印」で確認する限り、糊付跡は確認できない。(1)はともかくも、(2)は太政大臣の野行幸に関する故事であるから、けっして付箋で書き記せるような内容ではないから、その「附箋の糊跡」は誤りである。
 (1)に関して、「源氏釈」は「とにかくにひとめつゝみをせきかねてしたになかるゝをとなしのたき」(出典未詳)を指摘した。定家も「自筆本奥入」ではそれを引用している。しかし、この歌も出典未詳歌である。
 「花散里」では定家自身が指摘した出典未詳歌を付箋から外したくらいであるから、他人の「源氏釈」が指摘した出典未詳歌はさらに除外の対象となったであろう。
 よって、付箋は初めから無かったものと私は考える。

「柏木」

 巻名  (朱合点)と語句 (丁行) 源釈  自奥  異奥  別奥  奥・箋    出 典
 柏 木@  堂れもちとせの(2オ7)  1  1  1  1    @   古六2096
     A  ひとつおひ尓(2ウ2)  2  2  2  2    A  古今544
     B  个ふ可あす可の心地(4ウ1))  3  3  3  3    B  朝忠集10
     C  むすひとゝめ多万へ(7ウ2)  4  4  4  4    伊勢物語189
     D  遣ふあすとしもやは(29ウ5)  5    5      古今861
     E  やむくすりならねハ(30ウ2)  6  5  6  5    C  拾遺665
     F  とり可へす尓も(33オ4)  7  6  7  6    和歌(出典未詳)
     G  ことし者可りハと(42ウ3)  9    9      古今832
     H  あひむことは(42ウ4)  10  7  10  7    D  古今97
     I  堂満ハぬく(42ウ9)    8    8    E  古六2480
     J  日とむらすゝき(46オ7)      11      古今853
     K  いう志やうくん可つ可(49ウ2)  11  9  12  9    △  本朝秀句
     L  しつ可にて(34オ10)  8  10  8  10  1  白氏文集2841
     M 「横笛」の竄入          2  催馬楽「妹と我」 

(注)付箋の△は剥落を意味する。

 「自筆本奥入」では、「源氏釈」11項目のうち5と9を除く9項目を引用し、あらたに1項目(8)を追加する。「別本奥入」もまったく同じ内容。「異本奥入」では、「源氏釈」11項目すべてを引用し、さらに1項目(11)を追加している。よって、「柏木」の「異本奥入」の成立は、「自筆本奥入」や「別本奥入」に先立つ内容のものと考えられる。

 朱合点は一切無い。事情は未詳。あるいは定家が直接関わって作成された巻という事情が絡むのか。

 奥入には、「白氏文集」の「自嘲詩」の引用とそれを踏まえた注記と「催馬楽」(次の巻の「横笛」の注記の竄入)2項目がある。和歌はすべて付箋で指摘されているが、定家本「柏木」の臨模本である「明融臨模本「柏木」」によれば、付箋には1枚(本朝秀句)の剥落が認められる。
 
 さて、「自筆本奥入」「別本奥入」や「異本奥入」等では奥入に存在するが、付箋には無い歌とは次のような和歌5首である。

 「自筆本奥入」(4)の歌は、「源氏釈」に指摘された「伊勢物語」歌であるが、そこに記されている歌は、「なけきわひいてにしたまのあるならむ夜ふかく見えはむすひとゝめよ」(第一次本一類・二類)という形である(第二次本では「なけきあまり(わひ―傍書)」、増補本では「なきわひて」とあり、伊行自身でも揺れていた)。ところが、定家の天福本「伊勢物語」では初句を「思ひあまり」とする歌である。
 「異本奥入」(5・9)の歌は、「源氏釈」指摘の「古今集」歌(861・832)であるが、既に「自筆本奥入」で外されていた歌である。なお外された事由は未詳。
 「自筆本奥入」(6)は、「源氏釈」指摘の出典未詳歌である。出典未詳歌が付箋に指摘されないのは「花散里」「行幸」に前例あり。
 「異本奥入」(11)は、「異本奥入」のみで指摘されている「古今集」歌(853)である。「奥入」の一異本であったために、定家本「柏木」の奥入・付箋の作成の際に参照されていなかった可能性が高い。
 以上のように、これら5首はいずれも何らかの問題のある歌である。よって定家は付箋では除外したのだろうと考えられる。

「早蕨」
 巻名  (朱合点)と語句 (丁行) 源釈  自奥  異奥  別奥  奥・箋    出 典
 早 蕨@  や布し王可ね者(1オ1)  1  1  1  1    @  古今870
     A  うへ尓て(4ウ10)        2    古今960
     B  やみ者あやなき(5オ6)  2    2      古今41
     C  い者せのもり能(6オ10)  3  2  3  3    玄玄集93
     D  ふしみをあらし者てむも(7オ2)        4    古今981
     E  堂つをみすてむことも(7ウ2)  4  3  4      A  古今31
     F  やとをは可れしと(11オ3)  5  4  5      古今969
     G  多ちらねと(11ウ6)    5    6    古今139
     H  者るやむ可しのと(11ウ3)  6  6  6  5    B  古今747
     I   いとふ尓はえて(13オ1)  7  7  7  7    和歌(出典未詳)
     J  へてのを(13オ3)  8  8  8  8    C  拾遺953 
     K  殿つくりのみつはよつ者(18オ2)        9    催馬楽「この殿は」
     L   もの尓も可なやと(19オ2)  9  9  9  10    和歌(出典未詳)
     M  ぬしなきやと能(20ウ2)  10  10  10  11    和歌(出典未詳)
     N  やすくやなと(20ウ3)            拾遺62

 「自筆本奥入」では、「源氏釈」指摘の10項目中(2)を外し、1項目(5)を追加している。「異本奥入」は「源氏釈」とまったく同じ内容。「別本奥入」は「自筆本奥入」と同様に、「源氏釈」の(2)を外し、1項目(6)を追加している外に、独自にさらに3項目(2・4・9)を追加し、「自筆本奥入」の2項目(3・4)が無いという形になっている。よって、「異本奥入」は「自筆本奥入」に先立ち、「別本奥入」は最も最終的な内容となっている、と考えられる。

 朱合点が9箇所掛けられている。藤本孝一氏は、それら9箇所について、いずれも「(朱合点の)行の天の部分に付箋の糊痕あり」注6と指摘している。
 しかし、その注記が存在するのは、付箋の4枚だけである。他の5箇所については、付箋も奥入もない。うち4つは「自筆本奥入」「異本奥入」等に見ることができるが、最後の1箇所は、それらにも無いものである。果たして、すべて付箋が有ったものか。

 なお、「別本奥入」が催馬楽「この殿は」を指摘しているが、それは「このとのはむへもとみけりさきくさのみつはよつはにとのつくりせり」という和歌形式である。よって、「早蕨」はすべて和歌形式ということになる。
 さて、「自筆本奥入」には有って、付箋には無いという歌6首について見みていこう。

 「自筆本奥入」(2)の歌は、「源氏釈」が指摘した「玄玄集」注7の歌である。よって、近代の歌として「証歌」とするには問題のある歌である。
 「自筆本奥入」(4)は、「源氏釈」が指摘した歌をいったんは引用したのであるが、後から注釈の行間に「やとをはかれし 未勘」とし削除符号を掛けている歌である。
 「自筆本奥入」(5)は、「さ月まつ花たちハなのかをかけハ」と上句のみを指摘した歌である。
 「自筆本奥入」(7・9・10)歌は、いずれも「源氏釈」が指摘した出典未詳歌である。
 以上のように、これら6首はいずれも何らかの問題のある歌である。よって定家は付箋では除外したのだろうと考えられる。
 
 以上、「源氏釈」と「自筆本奥入」及び「青表紙原本」の朱合点と奥入・付箋との関係について概観してきた。

 定家本における朱合点に関してはよく分からない。第一に、定家本において朱合点と奥入または付箋との対応が一部のものでしかないこと。逆に、朱合点の掛けられた語句に関する注釈が奥入あるいは付箋に存在すること。第二に、朱合点の掛けられた語句に関する注釈は、「自筆本奥入」にすべて存在しているようだが、「早蕨」の最後の朱合点は「自筆本奥入」をはじめいずれの「奥入」諸本にも見られないものであること。よって、目下のところ未詳である。

 次に、定家本における奥入と付箋との関係について。途中から注釈方針が変更されていること。すなわち、「若紫」の初方には帖末の奥入と本文中の付箋とに、和歌が重複して指摘されているものがあったが、途中から、経文や催馬楽等の比較的長文になる注記は帖末の奥入に、一方比較的短い和歌は本文中に付箋にというように仕分けられ、「花散里」以降の巻では、すっかりそのようになっていること。

 最後に付箋の和歌に関して。出典未詳歌や「証歌」として問題のあるような歌は、帖末の奥入に記載することはあっても、本文中の付箋には記載していないこと。なお、「若紫」では「源氏釈」指摘の出典未詳歌を付箋に記載していたが、「花散里」では定家自身が指摘した出典未詳歌を付箋に記載していない。そして「行幸」「柏木」「早蕨」でも出典未詳歌は一切記載していない。付箋の和歌においても、定家は途中「花散里」辺りから方針変更をしていること。

 以上、見てきたように、定家本中の「小紙片」は「源氏釈その他の旧注」ではなく、定家の源氏物語の「証歌」に関する最終的な見解を示すものといえる。
 そして、もう一つ、「定家本」途中における注釈方針の変更という事柄も、この本の性格と成立を考える上で重要なポイントとなるであろうことも付言しておきたい。

(2)傍記

 次に、池田亀鑑氏が『大成研究資料篇』では触れなかった点について。
 定家本の中には、本文中に振り漢字が施されている巻があるということである。
 「花散里」「柏木」「早蕨」にはナシ。「行幸」に2例存在するものである。

@「こらうのすけ」(15オ2) 「こらう」の右傍に「古老」とある。
A「いとしうとく尓」(19ウ4) 「しうとく」の右傍に「宿徳」とある。

 いずれも振り漢字である。
 前者は「ら」の文字が流れて「え」に近い字体となっており、その左傍には「ら」という傍記も書かれている。
 @Aのいずれも本文と同筆ともまたそうではないとも見られるような墨跡である。前者にせよ後者にせよ、本文中の本文訂正跡の墨跡(定家の筆跡)と比較すると、明らかにそれとは異なるから、定家による振り漢字ではなさそうである。

 ところで、青表紙原本を臨模した「明融臨模本」(東海大学蔵)の「桐壺」「若菜上」「若菜下」「橋姫」にも、振り漢字や訓が見られるのである。
 よって、青表紙原本における本文中の傍記の存在ということも大きな特徴の一つとして挙げ、そのような性格の本文である、ということを指摘しておきたい。
 そして、このことが言えるとすれば、いわゆる青表紙本中の大島本や池田本等にも本文中に振り漢字が見られるので、それらに関しても、今後解明されて行かねばならない問題となるであろうことを指摘しておきたい。


(3)「自筆本奥入」と定家本「行幸」奥入の筆者の書き癖

 定家本「行幸」を直接閲覧した玉上琢弥氏は奥入の筆者に関して、「定家の自筆と認められる」注8と述べている。今、「自筆本奥入」と定家本「行幸」の奥入の筆跡をそれらの影印複製本によって見比べると、定家本「行幸」の奥入は定家の筆といえば、そうとも見られ、また違うといえば違うとも見える筆跡である。しかし、わたしは別人ではないか、と考える。

 その理由とは、「自筆本奥入」の勘物と比較すると、「川」「河」の表記をめぐって、次のような異同が見られる。

 @「芹川野」(自)―「芹川(河&川)野」(青) *初め「河」と書いた字の上に重ねて「川」と訂正
 A「淀河邊」(自)―「淀河邊」(青)
 B「泉川」(自)―「泉河」(青)
 C「鴨川」(自)―「鴨河」(青)
 D「宇治川」(自)―「宇治河」(青)

 @Aは本行本文中の表記、BCDは割注の中での表記という相違がある。
 そうした中で、「自筆本奥入」にある「川」字に4箇所に関して、青表紙原本では4回ともすべて「河」字を使用しているという顕著な書き癖が見られる。
 @「芹川野」に関しては、定家本「行幸」では初め「河」と書いたもの。後にその字の上に重ね書きして「川」と訂正している。その訂正の墨跡は太く濃い字体で、いかにも定家の訂正跡を思わせるものである。
 だが、他のB〜Dの3例は「河」のままになっている。割注の中での表記であるがために訂正しなかったのかとも考えられうる。
 自筆本奥入の筆者が定家であるとすれば、青表紙原本「行幸」の奥入の筆者は、「河」字の使用癖の強い別の人物であるということが指摘できよう。

  まとめ

 最後に、藤原定家の注釈過程についてまとめると、
 定家は、初め藤原伊行の「源氏釈」の注記を、自らの枡形六半本「源氏物語」の各巻末に、「伊行朝臣勘」あるいは「伊行」などと略記して、転記した。その際に若干の私見(字句の修正や削除、追加)を加えた(第一段階)。
 次いで、「源氏釈」からの引用した注釈の後に「書加之」あるいは「注加」などと記して本文中の語句を引用して、自らの注釈を書き加えた。あるいは、「源氏釈」から引用した注記の行間に小字で書き入れたり、未勘のものには「未勘」と記した(第二段階)。
 その後、枡形六半本「源氏物語」の巻末注記は、本体から切り離されて1冊に仕立て直され、今日「自筆本奥入」と呼称されるようになった。そして、この前後に転写され、さらに注記を加えたり整理されたものが、「異本奥入」あるいは「別本奥入」として存在している(第三段階)。縦長四半本「源氏物語」(青表紙本原本)の巻末の奥入と本文中の付箋の注記も、この第三段階に属するものの一つである。
 しかし、「定家本」(5帖)の奥入と付箋は、いずれも定家以外の人による筆写であるために、その源泉となっている原資料に関する更に厳正なる考察が必要である。

  注

(1)『源氏物語大成 研究資料篇』(「青表紙本の形態と性格」66頁 中央公論社 昭和31年1月)
(2)藤本孝一『定家本源氏物語 行幸・早蕨』(八木書店 2018年1月)、同『定家本源氏物語 若紫』(八木書店 2020年3月)
(3)今井源衛『改訂版源氏物語の研究』(未来社 1962年7月初版、81年8月第2版1刷))
(4)「高野本奥入」(『大東急記念文庫善本叢刊 中古中世篇物語1』汲古書院 平成19年2月)
(5)藤本孝一『定家本源氏物語 行幸・早蕨』(「解題」5頁 八木書店 2018年1月)
(6)藤本孝一『定家本源氏物語 行幸・早蕨』(「解題」8頁 八木書店 2018年1月)
(7)「平安期私撰集 能因が永延から寛徳に至るおよそ六〇年間(987〜1046)の歌人の秀歌を撰じて一書となしたもの」(『和歌文学大辞典』「玄々集」平野由紀子 明治書院 昭和61年3月)
(8)玉上琢弥『源氏物語評釈 第6巻』(20頁 角川書店 昭和41年初版、54年3月7版)