四 和歌の書写様式

 池田亀鑑氏は、「和歌は二字ばかり下げて別行とし、次の地の文は直ちに和歌に続くこと」(注1)と、述べているが、それは精確ではない。

  「和歌は二字ばかり下げて別行とし」というのは、そのとおりであるが、「次の地の文は直ちに和歌に続く」が、正しくはない。すなわち、和歌の末尾で改行し、下に余白を残している事例や、和歌の末尾と次の地の文の間に約1字分の空白を設けて続けている事例もあるからである。

 また「和歌は二字ばかり下げて別行とし」という表現もちょっと曖昧な表現でる。和歌が地の文から2字ほど下がって表記されているのかと考えると、必ずしもそうではないのである。
 和歌の頭が地の文から2字ほど下がって始まるのは、そのとおりであるが、和歌は途中で改行されて2行にわたって書かれているのである。
 問題は、改行された頭の位置である。上句と下句との間で改行された際の、下句の頭の位置が、地の文と同じ高さの場合と、下句の頭の位置すなわち地の文から2字ほど下がった位置からのものとがあるからである。

 このように、青表紙原本(4帖)における和歌の書写様式はさまざまであって、さらにいえば、青表紙原本を臨模した「明融臨模本」の中には、さらに、和歌の改行の位置が、必ずしも上句と下句との間ではなく、それ以外の場所で改行されているものもあることである(注2)。これは定家の和歌書式としては極めて異例なものである。

 よって、和歌の書写様式を考えていくことは、青表紙原本の書写者や本文の性格を見極めていく上で重要な問題である。

 青表紙原本(4帖)の和歌は、次のように書写されている。和歌とその前後の地の文(1行)を掲載する。

「花散里」(4首)
@れいのこれみついれ
    おち可へりえそしの者れぬ本とゝき須
    本の可堂らひしやとの可きね尓
 志ん殿とおほしきやの尓しのつま尓/\ゐたり(2ウ1〜4)

Aともしておほ免くなるへし
   本とゝきすことゝふこゑ者それなれと
   あ那おほつかなさミ多れのそら こと佐ら堂
 と累とみれ者よし/\うへし可きねもとてい徒る(2ウ7〜3オ1)

Bしのひや可にうちすんし
   堂ちの可をなつ可しミほとゝきす
   者那ちるさとを堂つねてそとふ い尓しへの
 わすれ可多きなくさめにハなをまいり侍ぬへ可り(4オ6〜9)

Cくあ者れそゝひ尓个る
   ひと免なくあれ多るやとは堂ち者那の
   者那こそのき能つまとなり遣れと者可り
 の堂まへるさはいへと人尓者いとことなり遣り(4ウ8〜5オ2)

 「花散里」の和歌は、地の文から2字ほど下げられた位置に書かれていて一目瞭然である。
 @は和歌は2字下げ、改行した下句は上句と同じ位置から書く。和歌の下は余白とし改行して地の文が続く。
 ABは和歌は2字下げ、改行した下句は上句と同じ位置から書く。和歌の末尾とそれに続く地の文との間(A「ら」と「こ」及びB「ふ」と「い」)に1字分の空白を設けて続ける。
 Cは和歌は2字下げ、改行した下句は上句と同じ位置から書く。和歌の末尾に直に地の文が続く。

「行幸」(9首)
@のことまねふ王つらハしくなむ
     ゆき布可き越し本能尓多つきし能
     布累きあと越も个ふハ堂つねよ
 太政大臣の可ゝ累行幸尓つ可うまつ里(5ウ7〜6オ2)

Aを可しこまりもて那させ
    越し本や万みゆきつもれるまつハら尓
    个ふハ可りなるあとやな可らむ
  とそのころ越日きゝしこと能そハ/\おもひい(6オ4〜7)

B可なとお本す御返尓きのふハ
     うちきらしあさくもりせしミゆきニハ
     さや可尓そら能ひ可りやハミし
  おほつかなとゝも尓なむとある越(6ウ6〜9)

Cこえ多ま者むなとの多まうて又御返
    あ可ねさす悲可りハそらにくもらぬ越
    なとてミゆき尓免越きらし遣む
 な越ゝ本し堂てなと多えす春ゝめとて」(7ウ4〜7)

D个しきにし多可ひてな
    布多可多にいひもてゆ遣ハ堂満くし遣
    王可者なれぬ可遣こなり个り
 といとふるめ可しうわなゝき堂まへ累越とのも(27オ9〜27ウ3)

Eう多あり个り
    わ可ミ古そうらみられ个れ可らころも
    きミ可多もとになれすとおもへハ
 おほむてハむ可し堂にあ里し越いとわり那う(30オ3〜6)

Fさ尓可き堂まうて
    からころも可らころもからころも
    可へす/\も可らころもな累
 とていと万めや可尓かのの堂てゝこのむ春ち那(30ウ3〜6)

Gらさらむときこえ多まふ
    うらめしやおきつ堂まも越可つくまて
    いそ可くれ遣るあ万のこゝろを
 とてな越つゝみもあへすし本多れひめきミ(32オ2から5)

Hましさ尓えきこえ多ま者ねハ殿
    よるへなミ可ゝ累なきさ尓うちよせて
    あまも堂つねぬもくつとそみし
 いと王り那きうちつ遣こと尓なむときこえ多(32オ7〜10)

 「行幸」の和歌も、「花散里」と同様に、地の文から2字下げて書かれていて明瞭であるが、すべて和歌の下は余白とし改行して地の文が続いている形である。

「柏木」(11首 うち定家筆部3首、非定家筆部8首)
@おもふこともみなかき佐して
    いま者とてもえむ个ふりもむす本ゝれ
 堂えぬお1もひの猶やのこらむ あ者れと
 た尓の多万者せよとめてやりなら(3ウ4〜7)

Aらむとある者
    堂ちそひてきえやしな万しうきことを
 み多るゝ遣ふりくらへ尓をくるへうやはと
 者可りあるをあ者れ尓か多し个なしとふ(8ウ4〜7)

Bあやしきとりのあとのやう尓て
    ゆく衛なきそらの个ふりとなりぬとも
 おもふあ多りを多ち者ゝなれしゆふへ者わき
 てな可めさせへと可めきこ江させ多ま者む(9オ3〜6)

C可本うちあ可免てお者す
    堂可よ尓可多ね者まきいとと者ゝ
 い可ゝい者ねのま徒ハこ多へむ
 あ者れなりなとしのひてきこえいらへも(35オ9〜35ウ1)

Dくちすさひて
    しあれ盤可者らぬいろ尓ゝほ日遣り
 可堂え可れ尓しやとのさくらもわさとなら
 すゝ志なして多ち尓いとゝう(42ウ5〜8)

Eすゝ志なして多ち尓いとゝう
    この者やなき能免尓そ堂満ハぬく
 佐きちるのゆくゑしらねハときこえいと
 ふ可きよし尓はあらねといま免可しう可と(42ウ8〜43オ2)

Fをも遣ふそめとゝめこの多ゝむ可み尓
    このし多の志つく尓ぬれて佐可さ満尓
 可すみのころもき多る可那 大将
    なき者佐り个むうちすてゝ(45オ6〜9)

G可すみのころもき多る可那 大将
    なき者佐り个むうちすてゝ
 ゆふへの可すみきみき多れとハ 弁君
    うらめしや可春みのころも多れきよと(45オ8〜45ウ1)

Hゆふへの可すみきみき多れとハ 弁君
    うらめしや可春みのころも多れきよと
 者累より佐き尓のちり个む
 わさなとよのつねならすい可免しうなむ(45オ10〜45ウ2)

Iしよりて
    ことならはならしのえ多尓なら佐な
 者もりののゆるしありきとみすのとのへ多て
 ある本とこそうらめし个れとてな个し尓(47オ5〜8)

Jして
    かし者尓者もり能者ま佐すとも
 らすへきやとのこす衛可うちつけな
 累との者になむあさう思給へなりぬる(47ウ2〜5)

 「柏木」の和歌は、下句の位置が地の文と同じ高さから書かれているのが、「花散里」や「行幸」との違いである。
 定家親筆部の@は和歌の末尾「む」とそれに続く地の文「あ」の間に1字分の空白を設けて続けている。
 ABは和歌の末尾に地の文が直に続いている。
 以下、非定家筆部のCは和歌の下に余白を残して、改行して地の文に続けている。Hも同じである。
 DEIJは和歌の末尾に直に地の文が続く。
 FとGは和歌の末尾と地の文との間にそれぞれ1字の空白を設けて続けている。地の文とはいえ、いずれも次の和歌の詠み人という点で共通している。

「早蕨」(15首)
@わさと可満しくひき者那ちてそ可き多る
    きみ尓とてあま多のをつみし可は
 つねをわ春れぬ者つわらひな
 御前尓よみさしめ多まへとあり堂いしと(2オ3〜6))

A可ゝせ
    この者るは堂れ尓可せむな
 可多み尓つめるミねのさわらひ
 徒可ひにろくとらせさせいとさ可りにゝほ日(2ウ3〜6)

Bひのいとえん尓めて多きをおりお可しうおほして
    お尓可よふ者那ゝれや
 いろ尓者いてすし堂尓ゝ本へる
 との多まへハ(4オ6〜9)

Cとの多まへハ
    みる尓かことよせ个るのえを
 してこそるへ可り个れ
 王つらハしくと堂者ふれ可者し堂まへるいと(4オ9〜4ウ2)

D者可せなと堂てまつれ多まへり
    者可なしやかすみのころも堂ちしまに
 のひもとくおりもき尓个り
 遣尓いろ/\いときよら尓て堂てまつれ多(8オ4〜7)

Eしをなと心尓あまり多まへハ
    みるもあらしにまよふさとに
 む可しおほゆるの可そす累 いふともなくほ
 の可尓て堂え/\きこえ多るをなつ可しけ尓うち(11ウ9〜12オ2)

Fすんしなして
    そてふれしむ免者可者らぬ尓本日尓て
 ねこ免うつろふやとやこと那る 堂えぬな
 堂を佐まよくのこひ可くしてことおほくもあ(12オ3〜6)

Gゆへあり个るのなこりとみえ多り
    佐き尓堂つなみ多の可者尓みをなけハ
 尓をくれぬいのちなら満し とうちひそ
 みきこゆそれもいとつみふ可ゝなることにこそs(13ウ8〜14オ2)

Hとるへき尓なむなとの
    をな个むなミ多の可者にしつみても
 こひしきせゝ尓わ春れしもせし い可ならむ
 尓すこしもおもひなくさむることありなむと(14オ6〜9)

Iさまよふ尓いよ/\やつして
    者みないそき堂つ免るそてのうらに
 ひとりもし本越多るゝあまとうれへきこゆれは
    し本堂累ゝあまの尓ことなれや(14ウ7〜15オ1)

Jひとりもし本越多るゝあまとうれへきこゆれは
    し本堂累ゝあまの尓ことなれや
 うき多るなみ尓ぬるゝわ可そ
 尓すみつ可むこともいとあり可多可るへきわさと(14ウ9〜15オ3)

Kのる堂いふのといふのい布
    ありふれ盤うれしきせ尓もあひ个るを
 をうち可者にな个てまし可ハ うちゑみ
 堂るをのあまの者へ尓こよ那うもあ(16ウ5〜8)

Lる可那とつきなうもみ多まふいまひとり
    すき尓し可こひしきこともわ春れねと
 遣ふ者多まつもゆく可那 いつれもとしへ
 堂る/\尓てみな可の可多をはよせ(16ウ9〜17オ3)

M个れ盤うちな可免られて
    な可むれ盤よりいてゝゆく
 尓すミわひてやま尓こそいれさ満可者り
 てつゐ尓い可ならむとのみあやうくゆくす衛(17ウ4〜7)

N尓も可なやと可へす/\ひとりこ多れて
    しなてるや尓ほのみつうみ尓こく
 ま本ならねともあひミしを とそいひく
 堂さ満本しきのおほとの者のきみを(19オ3〜6)

 @ABCDそしてJは和歌の下に余白を残して、改行して地の文に続けている。
 EFGHそしてKLNは和歌の下に1字分の空白を設けて地の文を続けている。
 IとMは和歌の下に地の文を直に続けている。

  以上、次の表のようにまとめられる。
【凡例】
T型 改行した下句は地の文と同じ位置から書く
U型 改行した下句は上句と同じ位置から書く
  A 和歌の末尾に地の文が直に続く
  B 和歌の末尾の下に1字空白を設けて地の文が続く
  C 和歌の下は余白とし改行して地の文が続く

丸数字はその巻の歌番号を表わす

     T  T  T  U  U  U
 巻名  歌数  A  B  C  A
 花散里   4        C  AB  @
 行幸   9            @ABCDEFGH
 柏木定   3 AB  @        
    非   8  DEIJ  FG  CH      
 早蕨  15  IM  EFGHKLN  @ABCDJ      

 以上、青表紙原本(4帖)の和歌の書写様式から見ると、「行幸」がすべてU型Cであるのは、他の青表紙原本中にあって独特なのである。だが、「花散里」もU型で、ABCの3様が見られるのも、これまた独特である。

 「柏木」定家筆部は、T型のAとBであるのに対して、同非定家筆部はさらにT型のABCの3様が見られ、「早蕨」もそれと同様にT型ABCである。

 なお、藤原定家筆の散文作品、例えば、定家本「土佐日記」(尊経閣文庫蔵本)、御物本「更級日記」、さらに定家筆の臨模本ではあるが、「伊勢物語」(学習院大学蔵本)などは、枡形本ではあるが、それらにおける和歌の書写様式はU型Cである。いずれも、紙面上で地の文と和歌とが明瞭に書き分けられているものである。

 ところで、第1節で考察してきた定家自筆本「奥入」巻尾本文にも作中和歌が含まれている巻があった。
 例えば、「真木柱」の和歌の書写様式はT型Aであった。しかし、「梅枝」は末尾ということで、段下がりに和歌を句も途中で改行して5行で書いている、特異な事例であった。しいて言えばV型ということになろう。

 いずれにしても、定家本原本「源氏物語」(枡形6半本・縦長4半本)の和歌の書写様式は、他の散文作品の書写様式とは異なったものである。おそらくはその書写者や成立に関わる問題であろう。

  

(1)池田亀鑑『源氏物語大成 研究資料篇』(「青表紙本の形態と性格」66頁 中央公論社 昭和31年1月)
(2)明融臨模本の「帚木」(5首)「若菜上」(23首)「若菜下」(6首)「浮舟」(2首)に、上句と下句の境以外の所で改行している事例が見られる。