四 和歌の書写様式(2020年6月15日)
青表紙原本における和歌の書写様式は一通りではない。
池田亀鑑氏は、「和歌は二字ばかり下げて別行とし、次の地の文は直ちに和歌に続くこと」(注1)と、述べているが、それは精確ではない。
「和歌は二字ばかり下げて別行とし」というのは、精確に2字というわけではないが、「次の地の文は直ちに和歌に続く」というのが、正しくない。すなわち、和歌の末尾で改行し、下に余白を残している事例や、和歌の末尾と次の地の文の間に約1字分の空白を設けて続けている事例もあるからである。
そして「和歌は二字ばかり下げて別行とし」という表現もちょっと曖昧な表現で、地の文から「一、二字ばかり下げて別行とし」といったほうが、より適切な表現ではあるが、「若紫」には、「下げずに改行」している事例もあるのだ。また、「行幸」では大きく三、四字も下げて改行しているものもあるのだ。
藤本孝一氏は、『定家本源氏物語 若紫』「解題」において、藤原定家が書写した散文作品を広く調査した上で、「物語の本文と和歌の書き方の変遷」をAからGの七形式を想定し、青表紙原本の和歌書式について、以下のように概観している(注2)。
『若紫』は二十五首の内、E三首・F一首・G二十一首
『花散里』は四首の内、E三首・G一首
『行幸』は九首すべてG
『柏木』は十一首の内、D九首・F二首
『早蕨』は十五首の内、D十首・F五首
すなわち、AからCまでの形はなく、D~Gまでの4形式であるとする。その形とは、
D…1字空け改行、下句冒頭改行。本文続き。
E…1字空け上句下句改行。下句本文続き。
F…上句1字空け改行。下句冒頭改行。本文改行。
G…上句下句1字空け改行。本文改行。
と分類する。説明文だけでは分かりにくいが、これに図が添えられているので、それによれば、大きく2つに大別される。若干補足すると、和歌は地の文から改行され少し下げて書かれ、上句と下句との間で改行されているが、
DとFは下句が地の文と同じ高さから書かれていて、和歌の終りに地の文が続くのがD、続けないのがFとなる。
EとGは下句が上句と同じ高さから書かれていて、和歌の終りに地の文が続くのがE、続けないのがGとなる。
藤本孝一氏の説によって青表紙原本5帖の和歌書式を大別すると、
『若紫』『花散里』『行幸』……EG(但し、若紫にF1首有り)
『柏木』『早蕨』……DF
となる。ちなみに、『天福二年本伊勢物語』の和歌書式は、G型である。下句が上句と同じ位置から書かれ、和歌の下を余白とし、改行して地の文を続けるという形である。
ただし、これは枡形本で、こちらの青表紙原本は縦長四半本である。書型の条件が違う。
藤本孝一氏は、DとEについて、和歌と地の文の続き具合に関して、「本文続き」「下句本文続き」と述べているが、実は和歌と本文との間におよそ1字分ほどの空白を設けて続けている形があるのを認めていない。それは不精確である。
和歌に地の文を一気に続ける場合と、一文字分空けて、すなわち一呼吸おいて続ける場合とでは、心理的に異なる。また和歌を地の文から浮き立たせるという意味でも意図的である。
つまり、和歌に地の文を一気に続ける場合と和歌の下を空白にして改行して地の文を続ける場合の中間的な位置づけである。
以上のように、青表紙原本(5帖)における和歌の書写様式はさまざまである。
これら5帖についてみると、比較的前半の巻々では下句が上句と同じ位置から書かれている(EG型)が、中半から後半の巻々になると下句が地の文と同じ位置から書かれている(DF型)へと移行している傾向が見られる。
なお、さらに付言していえば、青表紙原本を臨模した「明融臨模本」の中には、さらに、和歌の改行の位置が、必ずしも上句と下句との間ではなく、それ以外の場所で改行されているものもある(注3)。これは定家の和歌書式としては極めて異例なものである。
青表紙原本の性格を考える上で大きな問題である。
青表紙原本(5帖)の和歌は、次のように書写されている。和歌とその前後の地の文(1行)を掲載する。和歌を青色で表示して示す。□はおよそ1文字分の空白又は余白、■(黒・緑)は判読不能文字を意味する。
「若紫」(25首)
「若紫」の和歌25首は、すべて他の巻と同様に上句と下句との間で改行されている。
基本的に、上句と下句とが地の文からおよそ2字ほど下げられた位置に書かれているのは、次の「花散里」や「行幸」の場合と同じである。しかし、詳細に見れば、それぞれの巻の個性がある。
①堂る可みつや/\とめて多うミゆ
□お1ひ堂ゝむありかもしらぬわ可くさを
□をくらすつゆそ2きえむそ2らなき
又ゐ多るお1とな2遣尓とうちなきて(9ウ9~10オ3)
②又ゐ多るお1とな2遣尓とうちなきて
□□者徒くさのお1日ゆくす衛もしらぬま尓
□□い可て可つゆの1きえむとすらむ
ときゆるほとにそ2うつあな2多よりきてこ那多(10オ3~6)
③もこ2と者りな2れと
□□者徒くさのわ可者のうへをみ徒るより
□□堂ひねのそ2てもつゆそ2可者可ぬ
ときこえ堂まひおてむやとの多まふさらに可うやう(17オ4~7)
④ひさしうな2れ者なさ个な2しとて
□□まくらゆふこよひ者可り能つゆ个佐を
□□みやまのこけ尓くらへさらな2む
ひ可多う侍る物をときこえ給可(+う)やうのついてな2る(17ウ6~9)
⑤⑥堂きのをと尓ひゝきあひ多り
□□ふき満よふミやまをろしにゆ免さめて
□□なミ多もよほす堂きのをと可那
□□佐しくみ尓そ2てぬらし个る山水尓
□□す免累心者佐者きやハ春る
みゝな2れ侍り尓个りやときこえ給あけゆくそ2らは(20オ1~6)
⑦こ个れハな2むいまこの1花のお1りすくさすまいり/こむ
□みや人尓ゆきて可堂らむ山さくら
□可勢よりさき尓きても見るへく
との多まふ御もてな2しこわつ可ひさへめもあや(21オ4~7)
⑧な2る尓
□うとむ花の者那まちえ多る心ちして
□みやま佐くらにめこそ2う徒らね
ときこえ多まへハほゝゑミて時ありてひと堂ひゝ(21オ8~21ウ3)
⑨御可者らけ多ま者りて
□□お1く山のま徒のいと本そ2越まれ尓■■■
□□ま多ミぬ者那の可ほを見る哉
とうちな2きて見多てまつるひしり御まもりに(21ウ5~8)
⑩わらハして
□□ゆふまくれ本の可に者那のいろをみて
□□けさは可すミの1堂ちそ2わつらふ
御返し(22ウ8~23オ2)
⑪御返し
まこ2と尓や花のあ多りハ堂ちうきと
可すむるそ2らのけしきをも見む
とよしあるてのいとあてな2るをうちすて可い多まへ/り(23オ2~5)
⑫ひきむす日て
□□お1も可けハ身越も者な2れす山さくら
□□心の可きりと免てこし可と
よのまの可勢もうしろめ堂くな2むとあり(28ウ6~29オ1)
⑬うつゝ遣侍らさめれハ可ひな2くなむさても
□□あらしふくお1のへ能さくらちらぬまを
□□心と免个るほとの者可那さ
いとゝうしろめ多うとありそ2うつの御返もお1(29オ9~29ウ3))
⑭中尓可の御者那ち可きな2む猶ミ多まへま本しき/とて
□あ佐可やまあさくも人をゝも者ぬ尓
□な2と山の井能可遣者な2るらむ
御返し(30オ9~30ウ3)
⑮御返し
□くみそ2免てくやしときゝし山の井の
□あさきな2可らや可けを見るへき
これみつもお1な2しこ2とをきこゆこのわつらひ給(30ウ3~6)
⑯あ佐ましう中/\な2り
□□みても又あふよまれな2るゆ免のうちに
□□や可てまきるゝわ可身とも可那
とむせ可へり堂まふさまも佐す可にいミし遣れハ(32オ1~4)
⑰とむせ可へり堂まふさまも佐す可にいミし遣れハ
□よ可多りに人や徒多へむ堂くひな2く
□うきみをさ免ぬゆめ尓な2しても
お1ほしみ多れ多る佐まもいとこ2とわりに可多し(32オ4~7)
⑱いとまめや可にとふらひきこえ給れいのちひさく/て
□□い者けな2き堂徒のひとこ衛きゝしより
□□あしまにな2つむふねそ2えな2らぬ
お1なし人尓やとこ2と佐らお1さ那く可きな2し(38ウ7~39オ1)
⑲あやふし
□て尓つみていつし可もみむゝら佐きの
□ね尓可よひ个るのへの1わ可くさ
十月尓す佐く院の行可うあるへしまひ人(39ウ4~7)
⑳らせハや
□□あしわ可能うらに見る免ハ可多くとも
□□こ者堂ちな2可ら可へる(+な2)み可ハ□め佐まし
からむとの多まへハ遣尓こそ2いと可しこ个れとて(42オ3~6)
㉑からむとの多まへハ遣尓こそ2いと可しこ个れとて
□□よ累なミ能心もしらてわ可のうらに
□□堂まもなひ可むほとそ2うき堂累
わりな2きこ2とゝきこゆる佐まのな2れ多る尓(42オ6~9))
㉒人してう多者せ堂まふ
□あさほら遣きり堂徒そ2らのまよひ尓も
□ゆきすき可多きいも可ゝと哉□とふ多可へり
者(+可)りう多ひ堂る尓よしあ累しも徒可へを(46オ9~46ウ3)
㉓い堂して
□□堂ちと満りきり能ま可き能すきうくハ
□□くさのとさしに佐者りしもせし
といひ可个ていりぬ又人もいてこね者可へるも(46ウ4~7))
㉔な2るをとりてみ井多まへりすこしちゐさく/て
□□ね者みねとあ者れとそ2思むさしのゝ
□□つゆわ个わふるくさのゆ可りを
とありいてきみも可い堂まへとあれハま多(58オ4~7)
㉕せめてみ多まへハ
□□可こ徒へきゆへをしらねハお1ほつ可な2
□□い可な2るく佐のゆ可りな2るらむといとわ可个れと
お1ひさきみえてふくよ可に可い堂まへりこあま(58ウ7~59オ1)
①⑦⑧⑭⑮⑰⑲㉒は、地の文からおよそ1文字分下がった位置から和歌が書かれている。他はおよそ2文字下がった位置から書かれている。
しかし、⑪は、和歌が下げられず地の文と同じ高さで書かれている。特異な事例である。藤本孝一氏はこれをF形式に分類しているが、上句は地の文からは下げられていない、見誤りである。
⑳は、和歌の末尾に心持ち半字分空け、㉒は1文字分空けて地の文を続けている。藤本孝一氏はこれを認めていないが、やはり不精確である。空白の存在を認むべきである。
最後の㉕は、和歌の末尾に地の文が直接続いている形である。和歌と地の文の間に余白は認められない唯一の事例である。
和歌が地の文よりも2文字あるいは1文字下がった位置から書かれているか否かは、さして大きな問題ではない。
だが、改行された下句が上句と同じ位置から書かれていることと、基本的に和歌の末尾で改行されていること、たとい続けるにしても心持ち空白を設けて続けていること、直接続けるのは例外的なことであるのは、「若紫」の和歌書式として留意しておきたい。
「花散里」(4首)
「花散里」の和歌書式は、「若紫」とほとんど同じである。
①れいのこれみついれ給
□お1ち可へりえそ2しの者れぬ本とゝき須1
□本の可堂らひしやとの1可きね尓
志ん殿とお1ほしきやの尓しのつま尓人/\ゐたり(2ウ1~4)
②ともしてお1ほ免くな2るへし
□□本とゝきすこ2とゝふこゑ者そ2れな2れと
□□あ那お1ほつかな2さミ多れのそ2ら□こ2と佐ら堂
と累とみれ者よし/\うへし可きねもとてい徒る(2ウ7~3オ1)
③しのひや可にうちすんし給
□□堂ち花の可をなつ可しミほとゝきす
□□者那ちるさとを堂つねてそ2とふ□い尓しへの
わすれ可多きな2くさめにハな2をまいり侍ぬへ可り(4オ6~9)
④くあ者れそ2ゝひ尓个る
□ひと免な2くあれ多るやとは堂ち者那の
□者那こそ2のき能つまとなり遣れと者可り
の堂まへるさはいへと人尓者いとこ2とな2り遣り(4ウ8~5オ2)
①は和歌は1字下げ、改行した下句は上句と同じ位置から書く。和歌の下は余白とし改行して地の文が続く。
②③は和歌は2字下げ、改行した下句は上句と同じ位置から書く。よく見れば、和歌の末尾とそれに続く地の文との間(②「ら」と「こ2」及び③「ふ」と「い」)に1字分の空白を設けて続ける。藤本孝一氏はこれを認めていない。見落としである。
④は和歌は1字下げ、改行した下句は上句と同じ位置から書く。和歌の末尾に直に地の文が続く。
「行幸」(9首)
「行幸」の和歌は、地の文から改行されて、1、2字どころでなく、3、4字分も下げられて書かれ、また下句の位置も上句のそれと同じ高さから書かれているので、物語中における和歌の存在箇所は、一目瞭然という感がある。
①のこ2とまねふ王つらハしくなむ
□□□□ゆき布可き越し本能山尓多つきし能
□□□□布累きあと越も个ふハ堂つねよ
太政大臣の可ゝ累野の1行幸尓つ可うまつ1里(5ウ7~6オ2)
②を可しこまりもて那させ給
□□□越し本や万みゆきつ1もれるまつハら尓
□□□个ふハ可りな2るあとやな可らむ
とその1ころ越日きゝしこ2と能そ2ハ/\お1もひい(6オ4~7)
③物可な2とお1本す御返尓きのふハ
□□□□うちきらしあさくもりせしミゆきニハ
□□□□ さや可尓そら能ひ可りやハミし
お1ほつかな2き御こ2とゝも尓なむとある越(6ウ6~9)
④こえ2多ま者むな2との1多まうて又御返
□□□あ可ねさす悲可りハそ2らにくもらぬ越
□□□なとてミゆき尓免越きらし遣む
な越ゝ本し堂てなと多えす春ゝめ給とて」(7ウ4~7)
⑤御个しきにし多可ひてな2む
□□□□布多可多にいひもてゆ遣ハ堂満くし遣
□□□□王可身者な2れぬ可遣こなり个り
といとふるめ可しうわな2ゝき堂まへ累越とのも(27オ9~27ウ3)
⑥う多あり个り
□□□わ可ミ古そうらみられ个れ可らころも1
□□□きミ可多もとにな2れすとお1もへハ
お1ほむてハむ可し堂にあ里し越いとわり那う(30オ3~6)
⑦さ尓可き堂まうて
□□□□からこ2ろも1又可らころも1からころも
□□□□可へす/\も可らころもな累
とていと万めや可尓かの1人の堂て2ゝこのむ春ち那(30ウ3~6)
⑧らさらむときこえ2多まふ
□□□□うらめしやおきつ1堂まも越可つ1くまて
□□□□いそ可くれ遣るあ万のこゝろよ
とてな越つゝみもあへすし本多れ給ひめきミ(32オ2から5)
⑨ましさ尓え2きこえ2多ま者ねハ殿
□□□□よるへな2ミ可ゝ累なきさ尓うちよせて
□□□□あまも堂つねぬもくつとそみし
いと王り那き御うちつ遣こ2と尓な2むときこえ2多(32オ7~10)
①②③⑤⑥⑦⑧⑨は、上句の末尾が地に着いていることにも留意しておきたい。
④は上句のみならず、下句も地に着いている。
以上、「行幸」の和歌は上句の末尾がすべて地に着いていて、そこで改行されている。
つまり、「行幸」の書写者は、意図的に和歌を地の文からに大きく下げて、上句の末尾が地に着いたところで改行しようとしていると考えられるのだ。
下句の位置が上句と同じ位置から書かれている点では、「若紫」や「花散里」と同じであるが、大きく下げて上句の末尾を地に着かせて改行する点が異なるのである。
「柏木」(11首 うち定家筆部3首、非定家筆部8首)
「柏木」は定家親筆部と非定家(別人)筆とからなる寄合書の巻である。しかし、和歌の書写様式においては大きな違いは見られない。
①お1もふこ2ともみな2かき佐して
□□いま者とても1えむ个ふりもむす本ゝれ
堂えぬお1もひの猶やのこらむ□あ者れと
た尓の1多万者せよ心の1とめて人やりな2ら(3ウ4~7)
②らむとある者
□□堂ちそ2ひてきえやしな1万しうきこ2とを
思み多るゝ遣ふりくらへ尓をくるへうやはと
者可りあるをあ者れ尓か多し个な2しと思ふ(8ウ4~7)
③あやしきとりのあとのやう尓て
□□ゆく衛な1きそ2らの个ふりとな1りぬとも
お1もふあ多りを多ち者ゝな2れしゆふへ者わき
てな1可めさせ給へと可めきこ江させ多ま者む(9オ3~6)
④可本うちあ可免てお1者す
□□堂可よ尓可多ね者まきいと人と者ゝ
い可ゝい者ねのま徒ハこ多へむ
あ者れなりな2としのひてきこえ給尓御いらへも(35オ9~35ウ1)
⑤くちすさひて
□□時しあれ盤可者らぬいろ尓ゝほ日遣り
可堂え可れ尓しやとのさくらも1わさとなら
すゝ志な2して多ち給尓いとゝう(42ウ5~8)
⑥すゝ志な2して多ち給尓いとゝう
□□この春者やな2き能免尓そ2堂満ハぬく
佐きちる花のゆくゑしらねハときこえ給いと
ふ可きよし尓はあらねといま免可しう可と(42ウ8~43オ2)
⑦をも遣ふそ2めとゝめ給この1御多ゝむ可み尓2
□□この1し多の志つく尓ぬれて佐可さ満尓2
可すみのころもき多る春可那□□大将の君
□□なき人も1思者佐り个むうちすてゝ(45オ6~9)
⑧可すみのころもき多る春可那□□大将の君
□□なき人も1思者佐り个むうちすてゝ
ゆふへの可すみきみき多れとハ□□弁君
□□うらめしや可春みのころも多れきよと(45オ8~45ウ1)
⑨ゆふへの可すみきみき多れとハ□□弁君
□□うらめしや可春みのころも多れきよと
者累より佐き尓花のちり个む
御わさな2とよのつねな2らすい可免しうな2む(45オ10~45ウ2)
⑩しよりて
□こ2とな2らはならしのえ多尓な2ら佐な2む
者もりの神のゆるしありきとみすのとの1へ多て
ある本とこそ2うらめし个れとてな2个し尓(47オ5~8)
⑪して
□かし者木尓者もり能神者ま佐すとも
人な2らすへきやとのこす衛可うちつけな2
累御こ2との者にな2むあさう思給へなりぬる(47ウ2~5)
「柏木」の和歌は、下句の位置が地の文と同じ高さから書かれているのが、「若紫」や「花散里」、「行幸」との違いである。
①から③までが定家親筆の和歌書式である。
①は和歌の末尾「む」とそれに続く地の文「あ」の間に明瞭に1字分の空白を設けて続けている。
②③は和歌の末尾に地の文が直に続いている。そして、共に上句が地に着いている。
以上から見ると、定家は和歌を地の文と区別して明瞭に書写することよりも、その始まりさえはっきりさせれば、末尾は地の文に融合化させていくような表記法を志向していたのではなかろうか。
④から⑪は非定家筆(別人)による和歌書式である。
④は和歌の下に余白を残して、改行して地の文に続けている。
⑤⑥は一続きの箇所である。和歌の末尾に地の文が直に続いている。しかも⑥は上句が地に着いている。
⑦⑧⑨も一続きの箇所で、しかも致仕の大臣(頭中将)と大将の君(夕霧)、弁君(紅梅大納言)との唱和形式で和歌が詠まれている箇所でもある。地の文では詠者を語っているところなので、書写者、心持ち余白を設けてそれを記したものか。しかし、⑨では、下句の下に余白を残して改行している。
⑩⑪は和歌の末尾に直に地の文が続く。⑪の上句は地に着いている。⑩も地におよそ1字くらい残した位置で終わっている。
以上から見ると、非定家筆(別人)は、和歌を地の文から離した形で書こうとしている心根が窺えそうだ。定家との寄合書という状況から定家の書式に合わせて和歌の末尾を地の文に融合化しているような感じを受ける。
「早蕨」(15首)
「早蕨」の和歌の書写様式は、地の文からおよそ2文字分下げられて書かれ、上句と下句との間で改行され、下句は地の文と同じ位置から書かれている。
だが、和歌の末尾と地の文の続き具合に着目すると、余白を残して改行と、心持ち1文字分の余白を設けて続けているものと、和歌の末尾に地の文が直に続いているものという、3通りの型が見られる。
①わさと可満しくひき者那ちてそ2可き多る
□□きみ尓とてあま多の春をつ1みし可は
つねをわ春れぬ者つわらひな2り
御前尓よみ申さしめ多まへとあり堂いしと思(2オ3~6))
②事可ゝせ給
□□この者るは堂れ尓可見せむな2き人の
可多み尓つ1めるミねのさわらひ
徒可ひにろくとらせさせ給いとさ可りにゝほ日(2ウ3~6)
③ひのいとえん尓めて多きをお1りお1可しうお1ほして
□□お1累人の心尓可よふ者那ゝれや
いろ尓者いてすし堂尓ゝ本へる
との多まへハ(4オ6~9)
④との多まへハ
□□みる人尓かこ2とよせ个る花のえを
心してこそ2お1るへ可り个れ
王つらハしくと堂者ふれ可者し堂まへるいと(4オ9~4ウ2)
⑤者可せな2と堂てまつれ多まへり
□□者可なしやかすみのころも堂ちしまに
花のひもとくお1りもき尓个り
遣尓いろ/\いときよら尓て堂てまつれ多(8オ4~7)
⑥し物をなと心尓あまり多まへハ
□□みる人もあらしにまよふ山さとに
む可しお1ほゆる花の可そ2す累□いふともな2くほ
の可尓て堂え/\きこえ多るをなつ可しけ尓うち(11ウ9~12オ2)
⑦すんしな2して
□□そ2てふれしむ免者可者らぬ尓本日尓て
ねこ免うつ1ろふやとやこ2と那る□堂えぬな2み
堂を佐まよくのこひ可くしてこ2とお1ほくもあ(12オ3~6)
⑧ゆへあり个る人のな2こりとみえ多り
□□佐き尓堂つ1なみ多の可者尓みをな2けハ
人尓をくれぬいのちな2ら満し□とうちひそ2
みきこゆそ2れもいとつみふ可ゝな2るこ2とにこそs(13ウ8~14オ2)
⑨とるへき世尓なむな2との給
□□身をな个むな2ミ多の可者にしつみても
こひしきせゝ尓わ春れしも1せし□い可な2らむ
世尓すこしもお1もひな2くさむるこ2とありなむと(14オ6~9)
⑩さまよふ尓いよ/\やつ1して
□人者みな2いそ2き堂つ免るそ2てのうらに
ひとりもし本越多るゝあま哉とうれへきこゆれハ
□し本堂累ゝあまの衣尓こ2とな2れや(14ウ7~15オ1)
⑪ひとりもし本越多るゝあま哉とうれへきこゆれは
□し本堂累ゝあまの衣尓こ2とな2れや
うき多るなみ尓ぬるゝわ可そ2て
世尓すみつ可むこ2ともいとあり可多可るへきわさと(14ウ9~15オ3)
⑫のる堂い(+ふ)の君といふ人のい布
□□ありふれ盤うれしきせ尓もあひ个るを
身をうち可者にな2个てまし可ハ□うちゑみ
堂るを弁のあまの心者へ尓こよ那うもあ(16ウ5~8)
⑬る可那と心つきな2うもみ多まふいまひとり
□□すき尓し可こひしきこ2ともわ春れねと
遣ふ者多まつ1もゆく心可那□いつれも1としへ
堂る人/\尓てみな2可の御可多をは心よせ(16ウ9~17オ3)
⑭个れ盤うちな2可免られて
□□な2可むれ盤山よりいてゝゆく月も
世尓すミわひてやま尓こそ2いれさ満可者り
てつ1ゐ尓2い可な2らむとのみあやうくゆくす衛(17ウ4~7)
⑮尓も可な2やと可へす/\ひとりこ多れて
□□しなてるや尓ほのみつうみ尓こく舟の
ま本な2らねともあひミし物を□とそ2いひく
堂さ満本しき右(+の)お1ほとの者六のきみを(19オ3~6)
⑩⑪は一続きの箇所である。そして丁が替るところでもある。
①②③④⑤⑪は、和歌の下に余白を残して、改行して地の文に続けている。
⑥⑦⑧⑨そして⑫⑬⑮は和歌の下に1字分の空白を設けて地の文を続けている。一見見落としそうな余白ではあるが、ていねいに作品を読めば、和歌の後に間合いを置いて地の文を続けていることは明らかである。
⑩と⑭は和歌の下に地の文を直に続けている。視覚的に余白があるとは認められない。
「早蕨」では、和歌の末尾と地の文との続き具合が、前半から、中半そして後半へと変化している傾向が窺える。書写者の心理の上でも、和歌を地の文から明瞭に表記しようとする意識が徐々に和歌の末尾を地の文に融合化させ薄れていっているような感じを受ける。
定家の和歌書式を基準にしてまとめれば、次のようになる。
【凡例】
Ⅰ型 改行した下句は地の文と同じ位置から書く
Ⅱ型 改行した下句は上句と同じ位置から書く
A 類 和歌の末尾に地の文が直に続く
B 類 和歌の末尾の下に1字空白を設けて地の文が続く
C 類 和歌の下は余白とし改行して地の文が続く
丸数字はその巻の歌番号を表わす
Ⅰ | Ⅰ | Ⅰ | Ⅱ | Ⅱ | Ⅱ | ||
巻名 | 歌数 | A | B | C | A | B | C |
若紫 | 25 | ㉕ | ⑳㉒ | ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩ ⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲㉑ ㉓㉔ |
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花散里 | 4 | ④ | ②③ | ① | |||
行幸 | 9 | ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨ | |||||
柏木定 | 3 | ②③ | ① | ||||
非 | 8 | ⑤⑥⑩⑪ | ⑦⑧ | ④⑨ | |||
早蕨 | 15 | ⑩⑭ | ⑥⑦⑧⑨⑫⑬⑮ | ①②③④⑤⑪ |
以上、青表紙原本(5帖)の和歌の書写様式は、Ⅰ型とⅡ型に大別される。
「柏木」の藤原定家親筆部は、Ⅰ型である。そのⅠ型から見ていこう。
定家は、初め和歌の末尾に心持ち1文字分の空白を設けて地の文を続けたが(①)、その後は和歌の末尾に直に地の文を続けている(②③)。すなわち、視覚的に和歌を地の文に融合化して書こうとする心理が働いているものと考えられる。
A類2首、B類1首である。
「柏木」非定家筆部(別人)は、初め和歌の下を余白とし改行して地の文を書いたが(④)、寄合書の主定家に倣って、和歌の末尾に地の文を直に続けた(⑤⑥)。
だが、やはり和歌から地の文への間に、心理的違いを感じてか、心持ち1文字分の空白を設けて続けた(⑦⑧)。
そしてやはり区別したいとの思いが強くあってか、再び和歌の下を余白とした(⑨)。
しかし、最終的には、定家と同様に和歌の末尾に地の文を直に続けるという形で終えている(⑩⑪)。
この書写者には、心理的に和歌を物語から区別して書写しようとする働きが窺える。
A類が4首で半数を占め、B類2首、C類2首である。
「早蕨」の書写者も、「柏木」非定家筆部の別人と同じような心理的反映が窺える。
初め和歌の下を余白とし改行して地の文を書いたが(①②③④⑤)、中程からは和歌の末尾と地の文との間におよそ1文字程の空白を設けて続けるという仕方に換えた(⑥⑦⑧⑨)。
そして、後半には和歌の末尾に地の文を直に続ける(⑩⑭)と1文字分の空白を設けて続ける(⑫⑬⑮)を交互に交えて終えた。
この書写者に、和歌の下を余白にすることは1文字分の空白を設けている事例圧倒的に多いのは、定家との寄合書ではなく、自在に書けたからであろう。
A類はわずかに2首、B類7首、C類6首である。
以上、Ⅰ型である。次に、Ⅱ型を見る。「若紫」「花散里」「行幸」がⅡ型である。
「若紫」は、和歌の下を余白にするのがほとんどで(①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲)、終りまじかになって、和歌の末尾に1文字程度の空白を設けて続けたり(⑳㉒)、あるいは直に続けたりしているが(㉕)、それでもやはり和歌の下を余白にしている(㉑㉓㉔)。
「若紫」の書写者は、和歌を物語から区別して、明確に書こうとする心理が強く働いていると言えそうだ。
A類1首、B類2首で、残り22首はC類である。
「花散里」は、小さな巻であるため事例が少ないが、3様見られるうち、和歌の末尾に1文字空白を設けて地の文を続けるのが最も多い(②③)。
その流れを見ても、最初は、和歌の下を余白にする(①)から始まって、最後は和歌に地の文が直に続くという形である(④)。
「花散里」の書写者にも、和歌と物語との間に、心理的に区別したい気持ちが働いているものと言えよう。
A類1首、B類2首、C類1首である。
筆跡が明らかに独特な「行幸」は、すべて和歌の下を余白にしている(①②③④⑤⑥⑦⑧⑨)。とはいえ、和歌の位置が、他の巻の場合とは違って、大きく3、4文字下げて書かれているから、上句・下句の末尾は地に達しているので、実のところ余白はない。その代わりに、和歌の上句と下句の上が大きく空白になっているので、余白の位置が逆転しているともいえるものである。
9首すべてC類である。
注
(1)池田亀鑑『源氏物語大成 研究資料篇』(「青表紙本の形態と性格」66頁 中央公論社 昭和31年1月)
(2)藤本孝一『定家本源氏物語『若紫』』(「解題」26頁 八木書店 2020年3月)
(3)明融臨模本の「帚木」(5首)「若菜上」(23首)「若菜下」(6首)「浮舟」(2首)に、上句と下句の境以外の所で改行している事例が見られる。