三 行頭字母の書き分け(2020年5月19日「若紫」追加)

 国語学者・小松英雄氏は、「定家筆の諸本をつうじて、同一字形の隣接を回避するという顕著な傾向が認められる」と指摘した(注1)。この指摘は青表紙原本の筆者を考えていく上で、定家筆と別人筆との見分けに際して重要な指標の一つとなろう。

 なお、「同一字形の隣接を回避する」とは、同一の文字が行頭に並んだ場合に、異なった字母を使用するということであるが、同一の字母であっても、その崩し方(字形)を変えれば、例えば「の」と「乃」や「つ」と「川」のように、回避することが可能である。

 しかし、従来の翻字のし方では「の」も「乃」も同じ「の」に翻字されてしまう。それでは、「乃」は「乃」、また「川」は「川」などと万葉仮名の表記にしたら解消されようが、しかし、「お」や「な」のように崩し方を変えて「隣接を回避」している場合には対処できない。

 そこで、拙稿HP「源氏物語の世界」(翻刻資料)では、翻字する際に、仮名字体に関して、一般的な字形を基準にして、元の漢字の字形に近い字体は「1」とし、一般的な字形とも異なった字形は「2」として対処する方法を用いた。こうすれば、わざわざ作字する必要もないであろう。
 
 そうすると、「乃」は「の」、「川」は「つ」と表示され、平仮名「お」とは異なった崩し字体は「お」、また「な」とは異なった崩し字体は「な1」及び「な」と表示されることによって、字形の違いによる同字母も表示し分けることが可能になる。

 なお、字母で翻字すると漢字との区別がつかなくなるので、漢字はその当て字使用をも含めて太字表示することによってその差別化を図った。

 その結果、青表紙原本(5帖)における、行頭に同文字が並んだ場合における、字母・字形の書き分けは、小松英雄氏が指摘していたように、定家筆部(「柏木」1オ1~11ウ5)では、7箇所中、7例すべて異なる字母・字形で書かれている。よって、行頭に同じ文字が並ぶ場合、定家はすべて書き分けていると考えられる。

 それに対して、明らかな別人筆の「行幸」は17箇所中、異なる字母・字形で書かれているのは6例(35.3%)で、11例は同じ文字で書かれている(64.7%)である。明白な相違が見られる。「行幸」の書写者は行頭の字母字形の書き分けをしていないと考えられる。

 このように、青表紙原本の中でも定家筆と別人筆とでは、行頭字母の書き分けに対して、大きな相違があるのである。

 それでは、一見定家筆かと見誤れるような「花散里」や「柏木」(11ウ6~50ウ2)、「早蕨」ではどうかといえば、「花散里」3箇所中3例すべて、「柏木」(非定家筆部)も9箇所中9例すべて書き分けられている。ただ「早蕨」だけが6箇所中5例が異なる字母・字形で書かれていて、1例のみ同じ文字で書かれている。

 ただ、「花散里」は短い巻、「柏木」は定家と一緒の寄合書、という特殊事情もあるが、そして、「早蕨」は1例の例外を含むというものの、原則書き分けていると考えられる。

 そして、新出資料の「若紫」はどうかといえば、この巻も一見定家筆かと見誤れるような書体ではあるが、定家筆ではない。「若紫」は事例が多くあり、31箇所中、23例は異なる字母・字形で書かれているが(74.2%)、8例は同じ文字で書かれている(25.8%)。よって、「若紫」は「行幸」ほどではないが、同様に書き分けがなされているとは言い難い。

 それでは、「若紫」は「花散里」や「柏木」(11ウ6~50ウ2)、「早蕨」とは、まったく別のグループになるかと見れば、必ずしもそうとも言い難いように考える。すなわち、「若紫」では、その同じ文字で書かれている文字というのが、「き」・「よ」・「と」(3回)・「い」(3回)という文字である(延べ8事例)。「き」は「早蕨」でも書き分けられていなかった文字である。そして「よ」「と」「い」の3文字は「花散里」「柏木」(非定家筆部)「早蕨」には、現れなかった文字である。よって、もしそれらの文字が行頭に並んだ場合には果たしてどのように表記されただろうか、書き分けがなされていたともいなかったとも判断が付かないからである。

 よって、「若紫」「花散里」「柏木」(非定家筆部)「早蕨」は原則書き分けをしているが、一部の文字については同じ文字を用いて書いている。その事情は、おそらくは書写者の識字能力によるのではないかと考えられる。

 青表紙原本(5帖)において、行頭に同じ文字が並んでいる箇所は、以下のとおりである。明らかな字母・字形の違いは赤色表示、一見同じ字母・字形は緑色表示したが、後者については更に一つ一つ丁寧に見ていきたい。

「若紫」(31箇所)

るきさ満なれハあ那可しこや一日めし
  尓やお者しますらむいま者この世のとを(2オ5・6)

も尓おしこしハなれとうるわしく志わた
  てきよ个なるやらうなとつゝ遣てこ多ちいと(2ウ6・7)

めてつくれるさまさはいへとく尓の徒可さ尓て
  をき个ることなれハのこりのよ者ひゆ堂可にふへ(5オ4・5)

り个るとの堂まへハあ那いミしやいとあやしき
 まをつらむとてす多れおろしつこの(10ウ3・4)

こえしらせ多まふわかつミのほとおろしうあち
 きことにをしめてい个る可きりこれをおも日(13オ1・2)

ほしつゝ遣てかうやうなるすまひもせま本しう
 本え多まふもの可らひるのおも可遣尓可ゝりて(13オ4・5)

まへといときこえま本しきを可ゝるおり可
  くてなむおほされむをも者ゝからすうちいて(19オ2・3)

ミ多りむかへの/\まいりてをこ多り多まつる
 ろこひきこえ内よりも御とふらひありそう徒(20ウ5・6)

うちなきて多てまつるひしりまもりに
 こ堂てまつるみ堂まてそうつ佐うとく堂い(21ウ8・9)

も佐同遣多てまつり堂まふひしりよりハしめ
 し徒る本うしのふ勢ともまうけの物とも(22オ7・8)

まへるもな徒きなき尓やあらむねふ
 け尓もてなしてと可うをおほしみ多るゝ(27ウ5・6)

遣くれのなくさめ尓みむ兵部卿者いと
 て尓な(+ま)免い多まへれと尓ほ日や可になとも
 らぬをい可て可能ひとそう尓おほえらむ(28オ2・3・4)

れみつもおしことをきこゆこのわつらひ
 とよろしくハこのころすくして殿尓わ(30ウ6・7)

れぬよしのみあれハつねのことな可らもつらう
 ミしうおほし本れてへもまいらて二三日こ(32ウ2・3)

しきなうお者しまし个るやうにそゝうし
 む可しみるも佐のみおもひ个りいとゝあハ(33ウ6・7)

まへむことゆへ可うすき/\しき佐まをみえ
 てまつらむい可なるちきりに可み多てまつり(37ウ7・8)

者けな給御ひとこ衛い可てとのへハ
 てやよろつおほしゝらぬさ満尓おほとのこ(38オ3・4)

こそ者し堂なれなとみ多ま者ぬと
 堂まふを/\いと可多者らい多しとおもひて(38オ7・8)

き尓と能堂まへハいま佐ら尓なとしのひ
 まふらむこのひさのうへ尓おほとのこも(43オ2・3)

も佐ら尓な尓のしるしもらし
 てくるし遣におもひ多れハさりともかゝる(43ウ8・9)

れハみ可うし万いりねろしきよのさま
 めるをとのヰ尓てらむ/\ち可うさ(44オ6・7)

まふをゆふくれとなれハいミしくゝし
 万へハ可くてハい可て可すくし堂ま者むと(49オ7・8)

堂うな个可しけ尓もいひなさす堂いふも
 可なることに可あらむとえ可多うおもふ万いりて(50ウ4・5)

はし尓もくち可多めてね多してむとお
 てあ可可しこにせむくるまの佐うすく(52オ1・2)

まふ尓おとろきてみやのむ可へ尓お者し
 るとねをひれておほし多りくし可きつく(53ウ3・4)

わ可きみをはいと可ろら可に可きい多きて
 ろし堂まふ少納言猶いとゆ免のちし(54ウ8・9)

ともな可り个りこれみつめしてみ帳御ひやうふ
 とあ多り/\し堂て佐せ給御の可多ひら(55ウ1・2)

ハ可うはありなむやや者ら可な
 むよき(+な)といまよりをしへきこえ給御可多ちハ(57オ1・2)

てまつりいみしうお可し遣尓可きあつめ
 まへりむさしのといへハ可こ堂れぬとむら(58オ1・2)

しすくし堂る者せのあまり(+お)ひら可にわ多
 むをひんなしなとはい者て尓ま可勢て(59ウ6・7)

る可多にいミしうらう堂きわさなり遣り
 可しうありな尓くれとむつ可しきすちに(61オ1・2)

 以上、「若紫」では、「し」「さ」「お」「た」「あ」「こ」「け」「の」「な」の9文字について、字母「し」と「志」(4回)、「さ」と「佐」(3回)、「お」と「越」(2回)、「堂」と「多」(7回)、「あ」と「阿」(1回あるいは2回)、「こ」と「こ」(1回)、「け」と「遣」(1回)、「の」と「能」(1回)、「な」と「な」(3回)とに書き分けられている。

 なお、「こ」の字形とは、通行の仮名文字「こ」が2筆書きであるのに対して、1筆書きすなわち、踊り字「ゝ」に似た字形である。また「な」の字形とは、通行の仮名文字「な」が4筆書きであるのに対して、2筆目から4筆目までを一続きにした2筆書きの字形である。

 一方、同じ字母が並んで書かれているのは「き」、「よ」、「と」(3回)、「い」(3回)、の4文字である。

 最初の「き」は若干字形が少し異なる。最初の「き」は若干字形が少し異なる。通行の仮名文字「き」の字形といま一つは3筆目が2筆目の位置から書き出されていて、第1筆目の横棒を突き抜けていない形である。この字形を「き」とすることも可能であろう。

 次の「よ」については、ほとんど同じ字形である。

 「と」については、3回出て来るが、最初の事例の「と」は、通行の仮名文字「と」の字形といま一つは第1筆目から第2筆目が連続して左回転させた1筆書きの字形。2事例目の「と」は、第2筆目の湾曲を途中で切り離して3筆書きの「と」の字形と第1筆目から第2筆目が連続して左回転させた2筆書きの字形。3事例目の「と」は第1筆目から第2筆目が連続して左回転させた字形の1筆書きの「と」と通行の仮名文字「と」の字形である。
 よって、第1筆目から第2筆目が連続して左回転させた字形の「と」を「と」とすれば、書き分けられているといえるものである。

 「い」についても、3回出て来るが、最初の「い」は次行の「い」は少し大きめの字体であるが、入筆の角度は両者ほとんど同じである。2度目の「い」もほとんど同じ字形で抜筆の具合も同じ。最後の「」は次行の「い」の2筆目がやや短くカーブを付けて筆を抜いているが、全体的にはほとんど同じ字形である。「き」や「と」のような相異は窺えない。

 以上、同じ字形の文字について、詳細に見てきたところ、「き」と「と」については、字形を変えて書かれている。しかし、「よ」と「い」については、やはり同じ字形で書かれているといわねばなるまい。

 よって、「き」と「と」を加えれば、31箇所中、27箇所書き分けがなされている(87.1%)。「よ」と「い」の延べ4箇所が同じ字形で書かれているということになる(12.9%)。

「花散里」(3箇所)

まひてのちいよ/\あ者れなありさ満を
  ゝこの大将殿御心尓もて可くされてすくし
  まふなるへしをとうとのきみうち(1オ7・8・9)

れ者む可し可堂りも可きく徒すへき春く
  うなりゆくをましてつれ/\も満きれなくお(4ウ3・4)

れ盤徒ら佐もわすれぬへしな尓や可やとれいの
 つ可しく可堂らひ堂まふもおほさぬことにあ(5オ6・7)

 以上、「花散里」では、「た」と「な」の2文字について、字母「堂」と「多」、字形「な」と「な」とに書き分けられている。特に、「な」では同じ字母ではあるが、その字形を替えることによって差別化を図っているのである。

「行幸」(17箇所)

さや可なるてなしなとのあらむ尓つ
  て者おこ可満しうもやなとおほし可へ(1ウ1・2)

もあれなとおほしめくらすにおやこの
  里堂ゆへきやうなしおしくハ我心ゆる(9オ3・4)

可てらわ多り多ま婦い万ハましてしの
  や可尓布る万い多まへとミゆき尓をと(10オ3・4)

ハへめれとあやしくおれ/\しき本上尓そふ
  のうさ尓なむハへ累へきなときこえとし(11オ5・6)

あらすおこ可ましきやう尓可へりてハよ人
  い日もら春那る越なとものしはへれハ堂(13オ4・5)

せうそこまうしゝ越やミにことつけ
  ものうけ尓春まひ多まへりし个尓(16ウ2・3)

はやす可らすさるへきついてあらハ御事
  なひき可本尓てゆるしてむとおほし御心(18ウ8・9)

ふるまひとハおもふ多まへな可らし堂し
  本と尓ハそのいき本日をもひきしゝめ多(22オ6・7)

をよひておほや遣尓つ可うまつ里
  そへてもおもふ多まへし羅ぬ尓者ハへら(22ウ7・8)

可多くてさす可尓むす本ゝれ堂る
  たまう个り古よひもともにさふら(24ウ4・5)

十六日ひ可んのハし免尓ていとよきなり
  里ち可うよきしとかう可へ个る(26オ4・5)

ちによろしうおハしませハいそき堂ち多ま
  てれいのわ多り多まうてもおとゝ尓申(26オ6・7)

まうてよくも堂満くし个尓万つ者れ
  る可な卅一字のな可尓こともし者すく那く(28オ2・3)

多なくおもひなむちゝみこのいと可な
  うし多まひ个るおもひいつれ者尓(29ウ9・10)

者てこのう多よミつらむ本とこそましてい
  者ち可らなくてところせ可り个むといとおし(30オ9・10)

ふれいのまうけをハさる尓てうちのお
  しいと尓なくしつら者せたまうてさ可那
  いらせ多ま婦となふられいの可ゝるより者(31オ8・9・10)

くさめ个る女御もてあ可みてわり
  うみくるしとおほし堂りとのもゝ(37ウ5・6)

 以上、「行幸」では、「け」「た」「ま」「な」の4文字について、字母「遣」と「个」、「堂」と「多」、「ま」と「万」、「な」と「な」とに書き分けられている。そのうち、「遣」「个」及び「ま」「万」の書き分けはそれぞれ2回ずつ見られる。

 一方、同じ字母が並んで書かれているのは「き」「ひ」「も」「て」「尓」「し」「う」の7文字である。そのうち、「き」「も」「尓」「し」はいずれも2回ずつ見られる。

 最初の「き」は、「若紫」で見られたような通行の仮名文字「き」の字形といま一つは3筆目の入筆位置が2筆目の高さから書かれて天が突き抜けていない「き」の字形である。よって違う字形といえばいえるが、2回目の「き」はいずれも通行の字体の「き」の字形である。よって、「き」について書き分けようと意識しているとは思われない。

 「も」も2回出て来るが、いずれの場合も2筆書きの「も」の字形(横棒が1本のみ)で、しかも文字の大きさ、線の太さもほとんど同じ字形が並んでいる。

 「尓」についても、「も」と同様に文字の大きさ、線の太さもほとんど同じ字形が並んでいる。しいていえば、回転後の抜き筆を止めるものと次の文字に続けるものという相異がそれぞれに見られる。しかし、それをもって書き分けているとはちょっと言い難い。

 「し」についても、「も」や「尓」と同様に、線の長さ、太さもほとんど同じ具合で並んで書かれている。
 なお、「し」の文字に関しては、「若紫」や「柏木」(別人筆)「早蕨」では、「し」と「志」とで書き分けられていた文字である。「行幸」書写者が「若紫」や「花散里」「柏木」(別人筆)「早蕨」等の書写者とは別人であると考えられる一根拠である。

 「ひ」については、入筆やV字の角度、線の太さはほとんど同じ。しいていえば、最後を筆を抜く、止めるという印象の違いがあるくらいである。

 「て」についても、入筆から折れる角度、線の太さ、さらにいえば、最後筆を止めるあたりまでもほとんど同じ。

 「う」についても、1筆の点から2筆目に移る具合、線の太さ、そして2筆の終りをスッと抜く具合、ほとんど同じである。

 なお、字母字形の書き分け分布を見ると、初め①(1オ)と後半の⑪(26オ)以降に集中して見られ(例外的に⑫「う」と⑭「し」が書き分けられていない)、前半の②(9オ)~⑩(24ウ)は書き分けられていない。ただ、同じ文字で書き分けられたり、またそうでなかったりするようなものはないので、書写者の前半と後半との意識的な違いではなく、あるいは字母そのものに起因する書写者の問題であると考えられる。

「柏木」(16箇所 うち定家筆部7箇所・非定家筆部9箇所)

てきなんなと徒れ/\尓思つゝくるもうち可へし
  とあちきなしなと可く本ともなく志なしつ(3オ3・4)

えぬおもひの猶やのこらむ あ者れと
  尓の多万者せよ心のとめて人やりなら(3ウ6・7)

者志ふ/\尓かい給とりて志の日てよゐの万き
  尓かしこに万いりぬおとゝかしこきをこな日(5オ1・2)

らゝか尓おとろ/\しく堂らによむをい亭
  尓くや徒みの布可き身尓やあらむたら(6オ1・2)

てやこの个ふり者可りこそ者このよのおもひ
  てならめ者可なくもあり个る可那といとゝ(8ウ8・9)

猶と万り侍ましきなめりときこえ給てみつ
  らもない給宮者このくれ徒可多よりなや(10ウ6・7)

ろみなんやとお本す人者多志らぬことなれ者
  く心ことなる御者ら尓てすゑ尓いておハし多る(11ウ2・3)』以上、定家筆

のみこそろし可なれとさてな可らへぬわ
  らハこそあらめときこえ給御心のいちにハ(15オ6・7)

ま尓なさせ給てよときこえ給さる御本い
  らはいと多うときこと那るを佐す可に可きらぬ(18ウ2・3)

くなむの堂まへと佐遣なとの人の心多ふろ
  して可ゝるか多尓てすゝむるやうも者へなるを(19オ1・2)

まへる本とよりハことにい多うもそこなハれ
  満者さり个りつねの御可多ちよりも中/\(27オ1・2)

む人可す尓ハおほしいれさり个免とい者け
  う者へし時よりふ可く堂のみ申す心の侍しを(28ウ6・7)

ることに可あり个むすこし物おほえ多るさ満
  らまし可ハさ者可りうちいてそ免多りしにいと(35ウ7・8)

ゐて心つようさ満し者へるをさらにお
  いり多る佐まのいとゆゝしきまてし者しも(39ウ6・7)

いめんし給へりふり可多うきよけなる御可
  ちい多うやせおとろへて御ひ个なともと(43オ8・9)

ることをとりそへておほすらむと思も多ゝ
  らね者い多う心とゝめて御ありさ満もとひ(48ウ1・2)

 以上、「柏木」では定家親筆部(①~⑦)、非定家筆部(⑧~⑯)を通して、行頭に同じ文字が並んだ場合、すべてそれぞれ異なった字母・字形に書き分けられている。

 定家が書き分けている文字は、「い」「た」「れ」「あ」「か」の5文字で、それぞれ字母、「い」「伊」(2回)、「堂」「た」、「連」「れ」、「あ」「阿」、「か」「可」(2回)と書き分けられている。

 一方、非定家筆(別人)では、「さ」「あ」「か」「た」「な」「し」の6文字で、それぞれ字母、「さ」「佐」、「あ」「阿」、「可」「か」、「多」「堂」(2回)、「な」「な」(3回)、「し」「志」と書き分けられている。

 そのうち、定家の書き分け方と重なるのは、「あ」と「か」の2文字(「あ」「阿」、「可」「か」)で、その使用されている字母も同じである。その一方で、定家の書き分け方と違うのは「た」である。定家は「堂」「た」と書き分け、非定家は「多」「堂」(2回)と書き分けている。

 なお、定家と非定家との書き癖の相違について、「か」の書き分けにおいて、定家は前行「か」、後行「可」の順で書いているのに対して(⑥⑦)、非定家筆では前行「可」、後行「か」の順で書いている(⑩)。

「早蕨」(6箇所)

まりてハな尓事可お者しますらむ御いのりハ
  ゆみなくつ可うまつり侍りいまはひとゝころの(1ウ6・7)

さりな可らも物尓心え多まひてな个か
  き心のうちもあきらむ者可り可つ者なく(5ウ4・5)

可多み尓も个尓佐てこそ可やう尓もあつ可ひ
  こゆへ可り个れとくやしきことやう/\まさ(6ウ2・3)

らましさてもい可尓心ふ可く可多らひきこえて
  ら満しなとひと可多ならすおほえ給尓この(13ウ2・3)

可らよらせ給ておろし多てまつり給御し
  らひなとあるへき可きりして女者うのつ本ね/\(18オ5・6)

きやと能まつ思やられ多まへハ心やすくや
  とひとりこちあまりて宮の御もとにまいり(20ウ3・4)

 以上、「早蕨」では、「た」「し」「あ」「つ」「な」の5文字が、それぞれ字母・字形、「堂」「多」、「し」「志」、「あ」「阿」、「つ」「つ」、「な」「な」と書き分けられている。

 しかし、「き」については同じ字母を使用し、字体においてもほとんど同じ字形で並んで書かれている。「若紫」の「き」とは明白に違う。

 以上、青表紙原本(5帖)における行頭に並んだ同文字について、それらの異字母・字形と同字母・字形の数と(%)にしてまとめると、次の表のとおりである。

 (表3) 行頭字母の書き分け率(%)

   行頭同文字  異字母  同字母
 若 紫  31  27(87.1)   4(12.9)
 花散里   3   3(100)   0
 行 幸   17   6(35.3) 11(64.7) 
 柏木定   7   7(100)   0
    非   9   9(100)   0
 早 蕨   6   5(83.3)   1(16.7)


 

(1)小松英雄「藤原定家の文字づかい」(『言語生活』第272号 昭和49年5月)