一 本文書誌(2020年3月19日「若紫」追加)
(1)本体の寸法と装丁
青表紙原本(5帖)の書写様式について考えていく上で、その前提となる本体の寸法と装丁について述べる。
本体の寸法は、ほぼ縦21.8�p×横14.0�pで、綴葉装の冊子本である。
その詳細は、以下のとおりである(注1)。
「若紫」 (縦21.9�p×横14.3�p)
「花散里」(縦21.8�p×横13.9�p)
「行幸」 (縦21.8�p×横14.2�p)
「柏木」 (縦21.8�p×横13.9�p)
「早蕨」 (縦22.2�p×横14.4�p)
ちなみに、青表紙原本の臨模本とされる「明融臨模本」(東海大学桃園文庫蔵 8帖)の寸法も、縦21.7〜22�p×横14.3�pである(注2)。よって「明融臨模本」はその親本とほぼ同じ大きさの紙面に臨模されたものであることが知られる。したがって「明融臨模本」も「青表紙原本」同様に、青表紙原本全体の書写様式を考えていく上で同列に扱える本文資料である。
しかし、「大島本」(53冊 浮舟、欠)の寸法は、縦27.5�p×横20.9�pで(注3)、それらより大判であるので、一面行数や行字数詰め等の書写様式は異なったものになる。
なお、藤原定家親筆の縦長四半本型の勅撰集の古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集は次のとおりである(注4)。
「伊達本「古今和歌集」」(縦22.7�p×横14.7�p)
「嘉禄本「古今和歌集」」(縦22.9�p×横14.6�p)
「天福本「後撰和歌集」」(縦22.9�p×横14.3�p)
「定家筆「拾遺和歌集」」(縦23.0�p×横14.7�p)
よって、青表紙原本「源氏物語」は、同様に定家自筆本が現存する縦長本の勅撰集の「古今和歌集」等とほぼ同型の紙面上に書かれているものである。
そして、これら勅撰集の一面書写行数は、「拾遺集」には1面10行書きと11行書きとが混じっているが、他の「古今集」「後撰集」はいずれも1面11行書きである。
およそ藤原定家は、この紙型上では一面11行書きを基本にしていたことが窺えるものである。
(2)付箋の寸法と枚数
青表紙原本(5帖)の本文中には、いわゆる引き歌に関する小紙片(およそ縦7.2�p×横1.5�p)、すなわち付箋が貼付されている。池田亀鑑氏が「伊行の源氏釈その他の旧注」と述べたものであるが、これらは奥入と付箋による定家自身の注釈の一部と見るべきものである(注5)。
それらの小紙片(付箋)の寸法と枚数は、以下のとおりである(注6)。いずれも和歌の指摘であるので、その初句を「 」で記す。
「若紫」(8枚)
�@「ミよしのゝ」(縦6.9�p×横1.3�p)
�A「あまのすむ」(縦7.0�p×横1.4�p)
�B「いつこにか」(縦7.8�p×横2.0�p)
�C「きみをいかて」(縦7.0�p×横1.3�p)
�D「いのちたに」(縦7.0�p×横1.4�p)
�E「あしわかの」(縦6.9�p×横1.4�p)
�F「しらねとも」(縦7.0�p×横1.4�p)
�G「ちはやふる」(縦7.0�p×横1.5�p)
「花散里」(2枚)
�@「いにしへの」(縦7.2�p×横1.5�p)
�A「たち花の」(縦7.2�p×横1.5�p)
「行幸」(ナシ、藤本孝一氏、貼付糊痕を指摘(注7))
�@(1オ2 糊痕)
�A(6オ2 糊痕)
「柏木」(6枚)
�@「うくも世の」(縦7.0�p×横1.5�p)
�A「夏むしの」(縦7.0�p×横1.5�p)
�B「人の世を」(縦6.9�p×横1.7�p)
�C「我こそや」(縦7.2�p×横1.5�p)
�D「春ことに」(縦7.4�p×横1.5�p)
�E「よりあはせて」(縦7.4�p×横1.5�p)
「早蕨」(4枚)
�@「日のひかり」(縦7.2�p×横1.5�p)
�A「春霞」(縦7.0�p×横1.7�p)
�B「月やあらぬ」(縦7.2�p×横1.7�p)
�C「おほかたの」(縦6.8�p×横1.7�p)
なお、青表紙原本の「柏木」を臨模した明融臨模本の「柏木」には、これらの他にもう1枚「天与善人吾不信」(縦7.6�p×横2.7�p)が貼付されている。
明融臨模本「柏木」に貼付されている多数の小紙片のうち、およそ縦7.5�p×横2.7�pの付箋は、すべて青表紙原本「柏木」の付箋に合致しているので、青表紙原本「柏木」には本来もう1枚あったはずで、本来は7枚存在していたことが推定される。
「行幸」では糊付跡が指摘されているが、
�@(1オ2)の糊痕は、「このをとなしのたき」(1オ2)に朱合点が付けられているので、これは引き歌(「とにかくに人めをつつみせきかねてしたになかるるをとなしの瀧」(大島本の付箋による、出典未詳歌。 「源氏釈」初指摘)に関する付箋の剥落跡である。
�A(6オ2)の糊痕は不審。「高精細原寸カラー版影印」を謳う複製本であるが、1オ2の行の天の部分に糊痕は窺えない。6オ2も同じく、糊痕を窺えない。同行の「太政大臣」(6オ2)の語に朱合点が付けられているが、この朱合点は奥入の「仁和元年十二月十四日」云々の「芹川野行幸」故事に関するものであろう。当該行及びその前後の行にも和歌の指摘に関わるような語句はないので、この糊痕は不審である。
ついでに言えば、「青表紙原本」の付箋と密接な関係にある「明融臨模本」(8帖)における、引き歌や引詩句等に関する小紙片はすべて、およそ縦7.6�p×横2.7�pである(注8)。また、「大島本」のある巻にはある一定の大きさの紙片に引き歌が添付されている(注9)。
以上、これから「青表紙原本」(5帖)について考察していく上で、その前提となる本体の大きさと貼付されている紙片の大きさについて述べた。
注
(1)「花散里」「柏木」は、太田晶二郎『原装影印古典籍覆製叢刊 源氏物語(青表紙本)』(「解題」6・8頁 前田育徳会尊経閣文庫 昭和53年11月)、「行幸」「早蕨」は、藤本孝一『定家本源氏物語 行幸・早蕨』(「解題」3・7頁 八木書店 平成30年1月)、「若紫」は、藤本孝一『定家本源氏物語 若紫』(「解題」9頁 八木書店 2020年3月)による。
(2)石田穣二『東海大学桃園文庫影印叢書 源氏物語(明融本)�U』(「解題」708頁 東海大学 平成2年7月)
(3)藤本孝一『大島本源氏物語 別巻』(72頁 角川書店 平成9年4月)
(4)「伊達本」は、久曽神昇『藤原定家筆 古今和歌集 別巻』(「解説」230頁 汲古書院 平成3年5月)、「嘉禄本」は、片桐洋一『冷泉家時雨亭叢書 古今和歌集 嘉禄二年本』(「解題」14頁 朝日新聞社 1994年12月)、「後撰集」は、片桐洋一『冷泉家時雨亭叢書 後撰和歌集 天福二年本』(「解題」3頁 朝日新聞社 2004年6月)、「拾遺集」は久曽神昇『藤原定家筆 拾遺和歌集』(「凡例」 汲古書院 平成2年11月)による。
(5)藤原定家は、先行の注釈書である藤原伊行「源氏釈」を再検討しつつ、短い注記(和歌)は本文中に小紙片(付箋)を貼付して注記し、長い注記(故事や漢詩文)は帖末の余白部(奥入)に注記し分けていたのである(「行幸」「柏木」参照、ただし、前者の巻では「をとなしのたき」(1オ2朱合点)に関する付箋が剥落、また後者の巻の奥入に「妹与我 呂」とあるは、この巻に紛れ込んで書き付けられた項目で、本文中に該当する語はなし、よって未勘のかたち、もし存在するものならば、催馬楽の歌詞が書かれただろう。「花散里」や「早蕨」に奥入が無いのは、長い注記(故事や漢詩句、歌謡等)が不要だったからである)。
(6)注1、太田晶二郎・藤本孝一両氏、同書。
(7)注1、藤本孝一氏、同書「解題」5頁 八木書店 平成30年1月)
(8)拙稿「藤原定家の「源氏物語」注釈とその継承について――明融臨模本の付箋を中心として――」(『王朝文学史稿 第21号』平成8年3月)
(9)「藤原定家の『源氏物語』注釈とその継承について(上・下)――大島本の付箋を中心として――」(『国学院雑誌』第97巻5号・6号 平成8年5月・6月)。なお、これらの巻は、佐々木孝浩氏が「「大島本源氏物語」に関する書誌学的考察」(『大島本源氏物語の再検討』所収 和泉書院 2009年10月)で指摘した多穴綴じ跡と「宮河」印の存在する巻と重なる。