第二節 青表紙原本「源氏物語」(縦長四半本)零本(5帖)の性格(2020年4月21日版)

   はじめに

 池田亀鑑氏は『源氏物語大成 研究資料篇』(1956年〔昭和31〕)において、「青表紙本の形態と性格」と題して、以下のように記していた。一般的な理解と今後の研究の出発点となるものとして以下に掲載する。

「これらの四帖はその形態上次の諸点において一致する。
 一、竪七寸二分五厘横四寸七分の胡蝶装である。
 二、原表紙は無色無地の厚様鳥の子であること。
 三、中央に巻名を記した仮の小紙片を貼つてあること。
 四、料紙は強靭な楮紙であること。
 五、行数・字詰等は必ずしも一様ではないこと。
 六、和歌は二字ばかり下げて別行とし、次の地の文は直ちに和歌に続くこと。
 七、伊行の源氏釈その他の旧注を本文当該箇所に小紙片を以て掲げてゐること。
 八、句読点・声点等の朱筆は全く加へられてゐないこと。
 九、帖末に勘物が存すること。(但し花散里・早蕨にはこれがない)
 以上は青表紙本原本と考へられ、しかも現存するものの形態に共通する特色である。この特色はまた他の各帖にも及ぶものと思はれる。」(注1)

 しかし、原本を調査することは研究者にとっても容易なことでない。池田亀鑑氏の説がそのまま信じられてきた。
 その後、1978年(昭和53)に「花散里」「柏木」の2帖が原装影印本の形態で解題を付せられて刊行された(注2)
 複製本ではあるが、これによって「柏木」は定家筆と別人筆との寄合書であったり、「花散里」は全文が非定家筆であったりなど、原本の筆跡や本文の様態等がある程度明らかになった。
 そして、2018年(平成30)に残りの「行幸」「早蕨」の2本が高精細原寸カラー版影印で同じく解題を付して刊行された(注3)、青表紙本原本の4帖が出揃った。
 こうして「青表紙原本」4本の研究がいよいよ進展するかと思っていたところに、2019年10月に新たに「若紫」が発見されて、大きなニュースとなった。
 この本も、直ちに翌2020年3月に「行幸」「早蕨」と同様に高精細原寸カラー版影印で同じく解題を付して刊行された(注4)

 今、改めてこれら複製本に拠って、池田亀鑑氏の指摘を再検討してみると、修正や訂正を要すべきものがある。
 たとえば、一の「竪七寸二分五厘横四寸七分」とは、「縦21.8p 横14.3p」ということであるが、池田亀鑑氏が「胡蝶装」と言っているものは、今日では一般に「綴葉装」と呼ばれているものである。

 しかし、五、六については、精確な記述ではない。訂正を要すべきであろう。

 七は、「伊行の源氏釈その他の旧注」ではなく、定家自身の注記と考えるべきものである。また、八については、「句読点・声点等の朱筆は全く加へられてゐない」が、付箋や奥入に注記した語句に朱合点が付けられているのである。

 ところで、青表紙原本の書写者について、『源氏物語大成 研究資料篇』において、「花散里」「柏木」については、箱書きに「花散里/柏木 定家卿筆」とあるのをそのまま認め、「早蕨」については「定家自筆と認められる」と述べている。しかし、「行幸」に関しては「定家が家中の小女等をして書かしめたものの一類であろうか」(注5)と述べていた。
 すなわち、青表紙原本のうち、「行幸」だけは別筆あるが、他の3帖「花散里」「柏木」「早蕨」は定家筆と認定されていた。

 しかし、現在では「柏木」は冒頭の1丁表1行目「衛門督……」から11丁裏5行目「……おとろ/\し」までが定家親筆で、同6行目「御かた/\……」以下、末尾の50丁裏2行目「……このきみはゐさりなと」は別筆とされている(注6)

 さらに、大野晋氏は「早蕨」の仮名遣いに疑念を抱き、「定家自筆ではあるまい」と述べ、「池田亀鑑博士の直話によると、源氏物語さわらびの巻は、伝定家筆というべきものである由であった」(注7)という話を記載していた。
 また、「花散里」についても、太田晶二郎氏は「定家に非ざる定家風と鑑定すべきだろう」(注8)と述べている。

 現在では、青表紙原本が「定家本」あるいは「定家本原本」と呼称されていても、研究者の間ではその筆者(書写者)がイコール藤原定家であると考える人はいないであろうが、しかし、この呼称は一般の人には誤解を与えるであろう。

 ところで、定家が直接関わって作成された本とはいえ、いったい青表紙原本の筆者は定家と別人の何人によるものであろうか。

 「行幸」の筆者は、定家でなく、また「柏木」(別人筆)や「花散里」「早蕨」の筆者でもない、明らかに別個の一人である。
 そこで、問題となるのは、「花散里」「柏木」(別筆部)「早蕨」は、同一人書写者によるものであるか、あるいは複数の書写者に分かれるのか、という点である。

 そしてさらに、新たに発見された「若紫」の書写者はいったいいずれの巻の筆者と最も近いものであろうか。
 第二節では、青表紙原本(5帖)における、(1)一面書写行数、(2)行頭字母の書き分け、(3)和歌の書写様式、(4)付箋・朱合点・奥入・傍記について、(5)本文訂正跡、(6)字母の種類と使用傾向、(7)漢字表記と送り仮名、(8)仮名遣い等の分析をとおして、青表紙原本の本文の性格について具体的に検証していく。

 

(1)池田亀鑑『源氏物語大成 研究資料篇』(巻七 66頁 中央公論社 昭和31年1月初版、53年11月7版)
(2)『青表紙原本 源氏物語 花ちるさと/かしは木』(原装影印古典籍覆製叢刊 前田育徳会尊経閣文庫 昭和53年11月)
(3)『定家本源氏物語 行幸・早蕨』(八木書店 2018年1月)
(4)『定家本源氏物語 若紫』(八木書店 2020年3月)
(5)注1、同書66頁。玉上琢弥氏も「本文は、家中子女をして写さしめたものであろう」(『源氏物語評釈 第6巻』(「関戸家蔵「定家筆見遊幾帖」について」19頁 角川書店 昭和41年6月、54年3月7版)
(6)石田穣二『柏木(源氏物語)』(「校訂私言」51頁 桜楓社 昭和34年5月、63年4月重版)、太田晶二郎「源氏物語(青表紙本)解題」(3頁 原装影印古典籍覆製叢刊 前田育徳会尊経閣文庫 昭和53年11月)、大野晋『仮名遣と上代語』「仮名遣の起源についての研究」19頁 岩波書店 昭和57年2月)
(7)注5、大野晋氏、同書20頁。
(8)注5、太田晶二郎氏、同書3〜4頁。