おわりに
定家自筆本「奥入」所載の「源氏物語」(枡形六半本)の巻尾本文は、非定家筆の本文の上にその書写者と定家が本文訂正の手を加えた本文である。そして「奥入」中に注釈のために記載されている抄出本文は、定家筆の本文である。さらに朱筆で書き加えられた抄出本文・語句も定家筆のものである。
この枡形六半本「源氏物語」の本文は、「明月記」元仁2年(1225)2月16日条に記された「源氏物語」の「家本」である。そして定家は「源氏物語」の「証本」の作製を心がけて「明月記」嘉禄3年(1227)10月13日条に室町殿(藤原道家)から借り受けた「源氏物語」2本と対校して返却し、その他にも「幾多」の「旧手跡」の写本を「見合」せて「其詞を用捨」した。この枡形六半本「源氏物語」の本文には、定家が出家した天福元年10月11日頃までの約10年弱の間の校訂過程の痕跡を残しているものである。そしてその間に、定家はこの「源氏物語」を貸し出して書写することを許したことがある。その折に、非難されたことがあって、物語本体と奥入を切り離したが、その時の奥書の内容から、定家はそれぞれを仕立て直してさらに本文校訂と注釈の校勘を続けていったものと想像される。
枡形六半本「源氏物語」の本文は、鎌倉・南北朝期書写の定家本(青表紙本)諸本と関係をもつが、その本文関係さまざま複雑であり、明確な対応関係は示さない。がしかし、青表紙本と言われる中では、尊経閣文庫本・明融臨模本・大島本等の縦長四半本「源氏物語」のグル-プとは対立して、一括りにできるものである。
その事情は、定家が出家した天福元年10月11日以後頃の物語本体と奥入が切り離される以前の「前・枡形六半本源氏物語」を書写した定家本「源氏物語」と、切り離されて以後のさらに校訂段階の進んだ「後・枡形六半本源氏物語」を書写した定家本「源氏物語」とが生まれたからではないかと考えている。
それでは、問題は縦長四半本「源氏物語」の本文は、物語本体と奥入が切り離される以前の「前・枡形六半本源氏物語」を書写した定家本「源氏物語」か、それとも切り離されて以後にさらに校訂段階の進んだ「後・枡形六半本源氏物語」を書写した定家本「源氏物語」であるか、というのが次の問題となる。縦長四半本「源氏物語」の書き本は、枡形六半本「源氏物語」であり、ある時点の校訂過程の定家本「源氏物語」を忠実に書写した写本として作製されたものである。しかし、それを現存する定家本「花散里」「柏木」「早蕨」「行幸」等の4帖の複製本と翻刻とによってイメ-ジすることはできない。少なくともその臨模本と考えられる明融臨模本「桐壺」「帚木」「花宴」「若菜上」「若菜下」「柏木」「橋姫」「浮舟」等の8帖もその考察の対象に加え入れねばならない。
(表4)定家自筆本「奥入」所載「源氏物語」(枡形六半本)の巻尾本文と抄出本文
巻 名 |
巻尾本文 |
抄出本文 (文・語) |
書写様式 |
和歌書式 (和歌番号) |
本文訂正(種類・数) |
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書写者筆 |
定家筆 |
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【1】桐 壺 |
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4文・3語 |
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【2】帚 木 |
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2文・5語 |
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【3】夕 顔 |
8行 |
0・1語 |
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&2(2) |
$1(1) |
【4】若 紫 |
6行 |
1文・1語 |
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|
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&2(1) |
【5】末摘花 |
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1文・2語 |
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【6】 葵 |
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0・1語 |
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【7】賢 木 |
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1文・0 |
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【8】須 磨 |
|
5文・2語 |
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【9】明 石 |
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1文・1語 |
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【10】澪 標 |
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1文・0 |
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【11】蓬 生 |
5行 |
0・2語 |
雁行書 |
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&1(1) |
|
【12】関 屋 |
|
1文・0 |
|
|
|
|
【13】松 風 |
9行 |
0・1語 |
|
|
&2(1) |
|
【14】少 女 |
|
1文・0 |
|
|
|
|
【15】玉 鬘 |
1行 |
1文・0 |
地付き書 |
|
|
&1(1) |
【16】初 音 |
5行 |
1文・1語 |
|
|
|
+0(1)+1(1) $3(1) &2(4) |
【17】胡 蝶 |
|
1文・0 |
|
|
|
|
【18】常 夏 |
|
0・1語 |
|
|
|
|
【17】行 幸 |
6行 |
|
|
|
&2(1) |
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【18】藤 袴 |
|
1文・1語 |
|
|
|
|
【19】真木柱 |
12行 |
|
12行書 |
426[3行書] |
|
&1(6) &2(2) |
2行 |
|
|
427[3行書] |
ナシ |
ナシ |
|
【20】梅 枝 |
8行 |
|
雁行書 |
438[3行書] |
ナシ |
ナシ |
【21】藤裏葉 |
6行 |
3文・1語 |
|
|
ナシ |
ナシ |
【22】柏 木 |
12行 |
|
12行書 |
|
=0(1) |
&1(5) |
5行 |
|
|
|
ナシ |
ナシ |
|
【23】夕 霧 |
|
1文・0 |
|
|
|
|
【24】 幻 |
|
1文・0 |
|
|
|
|
【25】紅 梅 |
|
0・1語 |
|
|
|
|
【26】竹 河 |
7行 |
|
雁行書 |
|
ナシ |
ナシ |
【27】早 蕨 |
7行 |
1文・0 |
地付き書 |
|
|
&1(3) |
【28】宿 木 |
|
8文・0 |
|
|
|
|
【29】東 屋 |
|
1文・0 |
|
|
|
|
【30】浮 舟 |
|
1文・0 |
|
|
|
|
【31】蜻 蛉 |
3行 |
1文・0 |
雁行書 |
|
+0(1) |
&1(1) |
計 |
101行 |
50文・26語 (うち、朱書 7文・2語) |
|
|
&1(1) &2(4) =0(1) +0(1) 7 |
$1(1) $3(1) &1(15) &2(7) +0(1) +1(1) 27 |
注
(1)『源氏物語諸本集二』(所収「野分」 天理図書館善本叢書30 八木書店 昭和53年1月)。曾澤太吉氏はその「解題」において「定家自筆の「野分巻」の存在そのものは認め難いのである。」(4頁)と述べている。
(2)山脇毅「書評 池田亀鑑博士編著「源氏物語大成」」(『国語と国文学』昭和32年7月)、待井新一「源氏物語『奥入』成立考-「定家小本」との関連について-」(『国語と国文学』昭和35年2月)、今井源衛「源氏物語奥入の成立について」(『語文研究』10号、のち『源氏物語研究』所収 未来社 昭和37年7月初版、改訂版昭和56年8月第2版)、待井新一「『源氏物語』と『奥入』」(『和歌文学新論』所収、明治書院 昭和57年5月)、岩坪健「『奥入』成立の諸問題」(『源氏物語古注釈の研究』和泉書院 1999年〈昭和60年〉2月)など。
(3)戦後、冷泉家から世に出現(反町茂雄『定本天理図書館の善本叢書』昭和55年)。縦17・5p、横17・4pの枡形本。昭和31年、池田亀鑑『源氏物語大成巻七 研究資料篇』に初めて翻刻。同46年『復刻日本古典文学館』第一期第一回配本として複製本が出る。その後、『奥入 原中最中秘抄』(日本古典文学影印叢刊 昭和60年9月)として影印本が公刊される。高野本『奥入』(大東急記念文庫善本影印叢刊中古中世1物語 大東急記念文庫 平成19年2月)
(4)池田亀鑑『源氏物語大成巻七 研究資料篇』(「第四節 資料としての第二次奥入残存本文」104〜111頁 中央公論社 昭和31年1月初版)
(5)注4同書、110頁。
(6)片桐洋一「もう一つの定家本『源氏物語』」(『中古文学』第26号 1980年(昭和55年)10月、のち『源氏物語以前』所収、375頁 笠間書院 2001年(平成13年)10月)
(7)注6同書、383〜389頁。
(8)注4同書、105頁。
(9)注6同書、375頁。
(10)拙稿「藤原定家と『源氏物語』校訂--定家自筆本『奥入』所載「源氏物語」巻尾本文における本文校訂--」(『日本文学の伝統と創造-阿部正路博士還暦記念論文集-』所収 教育出版センタ- 平成5年6月)
(11)注4同書、105頁。
(12)『下官集』(『国語学大系』第9巻所収、「橋本進吉博士自筆草稿本」4頁)に「事ノおこり」「おきゐて」とあり、『仮名文字遣』(同23頁)にも「おきふし 起居伏」と掲載する。よって定家の「起く」の仮名遣いは「おく」である。
(13)『新日本古典文学大系 源氏物語一』(198頁 脚注10)。
(14)注13同書、198頁 脚注12。
(15)注13同書、157頁 脚注13。
(16)注4同書、105頁。
(17)注4同書、107頁。
(18)注4同書、107頁。
(19)伊井春樹『源氏物語論とその研究世界』(第三章・第五節「大島本『源氏物語』の本文--『源氏物語大成』底本の問題点--」『詞林』第3号初出、昭和63年5月)
(20)玉上琢弥『源氏物語評釈 巻六』(角川書店 昭和41年6月)
(21)注4同書、108頁。
(22)注6同書、383頁。
(23)注4同書、108頁。
(24)注6同書、389頁。
(25)注6同書、385〜386頁。
(26)坂本清恵「『僻案抄』の仮名遣い-定家の「乎」について-」(『論集W』アクセント研究会 2008年9月)
(27)注4同書、109頁。
(28)注6同書、381頁。
(29)注4同書、109頁。
(30)藤本孝一「大島本源氏物語の書誌的研究」(『大島本源氏物語』別巻所収、60〜62頁 角川書店 1997年(平成9年)4月)
(31)阿部秋生「源氏物語諸本分類の基準」(『国語と国文学』1980年(昭和55年)4月、のち『源氏物語の本文』所収、85頁 岩波書店 1986年(昭和61年)6月)、吉岡曠「青表紙本諸本の系統--校訂原則確立のために」(『文学』1984年1・2月、のち『源氏物語本文批判』所収、155頁 笠間書院 1994年6月)、拙稿「縦長四半本・藤原定家筆「源氏物語」と大島本との関係について-大島本が定家筆本に最も近似する本文であることの再確認と問題点-」(『高千穂論叢』第45巻1号 2010年5月)
(32))伊井春樹著『源氏物語論とその研究世界』(第三章・第四節「大島本『源氏物語』の本文の意義と校訂方法」500頁、風間書房 2002年(平成14年)11月 『論叢源氏物語1-本文の様相-』新典社、1999年(平成11年)6月初出)
(33)注4同書、110頁。
(34)注4同書、110頁。
(35)注6同書、387頁。
(36)本文の引用は『後撰和歌集 天福二年本』(冷泉家時雨亭叢書 朝日新聞社 2004年6月)による。
(37)阿部秋生「源氏物語の別本(四)」(「文学」第52巻4号 昭和59年4月、のち『源氏物語の本文』所収、211〜212頁 岩波書店 1986年(昭和61年)6月)
(38)阿部秋生他『源氏物語 一』(242頁 小学館 1994年3月)
(39)室伏信助・柳井滋他『源氏物語 一』(184頁 岩波書店 1993年1月)
(40)「成立の年時は「後記」によって各人の詠歌時期が、寛元元年(一二四三)一一月から、翌二年六月までの間にわたっていることが判明し、さらに合点を加えたり、改作やさしかえが行われているのであるから、寛元二年六月からある程度の期間をおいた時期と考えられる」(「解題」安井久善)
(41)注38同書、304頁。
(42)注39同書、233頁。
(43)『奥入』(191頁 大東急記念文庫善本影印叢刊中古中世1物語 大東急記念文庫 平成19年2月)
(44)注43同書、228頁。
(45)玉上琢弥編『紫明抄 河海抄』(534頁 角川書店 昭和43年6月)
(46)『源氏物語 五』(新編日本古典文学全集「付録」512頁 小学館 1997年7月)
(47)拙編『源氏釈』(源氏物語古注集成16 354頁 おうふう 平成12年10月)
(48)『奥入 原中最秘抄』(池田利夫「解説」410頁 貴重本刊行会 昭和60年9月)
(49)『源氏物語大成 研究資料篇』(「弘安源氏論義」538頁 中央公論社 昭和31年1月)
(49)注3、同書、130ウ。
(50)復刻日本古典文学館複製『源氏物語奥入』(日本古典文学会 昭和46年10月)
(51)石田穣二編『柏木(源氏物語)』(「校訂私言」52、55頁 桜楓社 昭和34年5月)
(52)『明月記 三』(冷泉家時雨亭叢書58 518頁 朝日新聞社 1998年4月)
(53)『明月記 四』(冷泉家時雨亭叢書59 244頁 朝日新聞社 2000年8月)
(54)拙稿「明融臨模本「桐壺」「帚木」「若菜上」「若菜下」帖の親本の性格について--定家親筆と非定家筆との相違及び非定家筆本の差異性を中心にして--」(『源氏物語本文のデ-タ化と新提言U』(國學院大学文学部豊島秀範研究室 2013年3月)
(55)井茂圭洞編『二玄社 かな字典』(二玄社 1991年11月)
(56)拙稿「明融臨模本「浮舟」帖の親本の性格について--一面行数と和歌の書写様式及び定家仮名遣いを中心として--」(『高千穂論叢』第47巻3号 2012年11月)
(57)『夜鶴庭訓抄』(岩波文庫 昭和6年12月)に「一 哥の書様。二行ならば、五七五一行。七々一行。三行ならば、五七一行。五七一行。七一行。まで三くだりにあるべし」(6頁)とある。
*論文中の画像はすべて省略した。