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渋谷栄一翻字(C)

  

匂兵部卿

凡例
1 本稿は、『大島本 源氏物語』(1996(平成8)年5月 角川書店)を翻刻した。よって、後人の筆が加わった現状の本文様態である。
2 行間注記は【 】− としてその頭に番号を記した。
2 小字及び割注等は< >で記した。/は改行を表す。また漢文の訓点等は< >で記した。
3 合(掛)点は、\<朱(墨)合点>と記した。
4 朱句点は「・」で記した。
5 本文の校訂記号は次の通りである。
 $(ミセケチ)・#(抹消)・+(補入)・&(ナゾリ)・=(併記)・△(不明文字)
 ( )の前の文字及び( )内の記号の前の文字は、訂正以前の文字、記号の後の文字が訂正以後の文字である。ただし、なぞり訂正だけは( )の前の文字は訂正後の文字である。訂正以前の本行本文の文字を尊重したことと、なぞり訂正だけは元の文字が判読しにくかったための処置である。
6 朱・墨等の筆跡の相違や右側・左側・頭注等の注の位置は< >と( )で記した。私に付けた注記は(* )と記した。
7 付箋は、「 」で括り、付箋番号を記した。
8 各丁の終わりには」の印と丁数とその表(オ)裏(ウ)を記した。
9 本文校訂跡については、藤本孝一「本文様態注記表」(『大島本 源氏物語 別巻』と柳井滋・室伏信助「大島本『源氏物語』(飛鳥井雅康等筆)の本文の様態」(新日本古典文学大系本『源氏物語』付録)を参照した。
10 和歌の出典については、伊井春樹『源氏物語引歌索引』と『新編国歌大観』を参照し、和歌番号と、古注・旧注書名を掲載した。ただ小さな本文異同については略した。

「にほふ兵部卿」(題箋)

  ひかりかくれ給にし後・かの御影にたち
0001【ひかりかくれ給にし後】−草ふかき霞の谷(古今846、河海抄・孟津抄・岷江入楚)
  つき給へき人・そこらの御すゑ/\にありかた
0002【そこら】−夕ー子達
  かりけり・おりゐの御門を・かけたてまつらん
0003【おりゐの御門】−冷
0004【かけたてまつらん】−詞ニ
  ハかたしけなし・たうたいの三宮そのおな
0005【たうたい】−今上
  しおとゝにて・おひいて給し宮のわか君
0006【おとゝにて】−六条院
0007【宮のわか君】−薫
  と此二所なん・とり/\にきよらなる御名
  とり給て・けにいとなへてならぬ御有
  さまともなれと・いとまはゆききハにハ
  おはせさるへし・たゝよのつねの人さまに・
  めてたくあてになまめかしくおはするを」1オ

  もとゝして・さる御なからひに人の思き
  こえたるもてなし有さまも・いにしへの
0008【いにしへの】−源
  御ひゝきけハひよりも・ややたちま
  さり給へるおほえからなむ・かたへハこよなう
  いつくしかりける・むらさきの上の御
  心よせことにはくゝミきこえ給し故・
  三宮ハ二条院におハします・東宮をハ
0009【三宮】−匂
  さるやむことなき物にをきたてまつ
  りたまて・御門きさきいミしうかなしう
0010【御門きさき】−明
  したてまつり・かしつききこえさせ給」1ウ

  宮なれハ・うちすみをせさせたてまつり
  給へと猶心やすき古さとにすミよく
  し給なりけり・御元服し給てハ・兵部卿
  ときこゆ・女一の宮ハ六条院南のまちの
0011【女一の宮】−今上御女明ー中腹奉養紫ー
  ひんかしのたいを・其世の御しつらひあら
  ためすおハしまして・朝夕に恋忍ひき
  こえ給・二宮もおなしおとゝのしん殿を・
0012【二宮】−今上二宮也東宮一腹蜻ー巻ニ式部卿
  時々の御やすミ所にし給て・梅つほを
  御さうしにしたまふて・右のおほい殿の
0013【右のおほい殿】−夕霧事
  中ひめ君をえたてまつり給へり・つ」2オ
0014【中ひめ君】−六君姉母致仕相国女継母一条宮奉養
0015【つきの坊かねにて】−先立東宮給弟ナレハ東宮ニ可立歟也

  きの坊かねにていとおほえことにをも/\
  しう・人からもすくよかになん物し給
  ける・おほい殿の御むすめハいとあまたものし
0016【おほい殿】−夕霧
  たまふ・大ひめ君ハ東宮にまいり給て・又
0017【大ひめ君】−嫡女
  きしろふ人なきさまにてさふらひ給ふ・そ
  のつき/\な越ミなつゐてのまゝにこそハと・
  世の人も思きこえきさいの宮ものた
  まハすれと・此兵部卿の宮ハさしもおほし
0018【此兵部卿の宮】−匂
  たらす・我御心よりおこらさらむ事
  なとハ・すさましくおほしぬへき御気色」2ウ
0019【すさましく】−ソクワス

  なめり・おとゝもなにかハやうのものとさのミ
0020【おとゝも】−夕
0021【やうのもの】−同ヤウノ物也
  うるハしうハとしつめ給へと・またさる御
  けしきあらむをハ・もてはなれてもある
  ましう・おもむけていといたうかしつき
  きこえ給・六の君なんその比のすこし我
0022【六の君】−夕ー女後匂ー室
  ハと思のほり給へるみこたち・上達部の御
  心つくす・くさハひにものし給ける・さま/\
0023【さま/\つとひ給へりし】−六条院ニ集源氏思人共
  つとひ給へりし・御方/\なく/\つゐに
  おはすへきすみかともに・みなおの/\うつ
  ろひ給しに・花ちるさとゝきこえしハ」3オ

  東の院をそ・御そうふむ所にてわたり給
  にける・入道の宮ハ三条宮におハします・
0024【三条宮】−女三
  いまきさきハうちにのミさふらひ給へハ・
0025【いまきさき】−明
  院のうちさひしく人すくなに成にける
  を・右のおとゝ人の上にていにしへのためしを
  見聞にも・いけるかきりの世に心をとゝめて・
  つくりしめたる人の家ゐのなこりなく・うち
  すてられて世のなこりもつねなく見ゆる
  ハ・いとあハれにはかなさしらるゝを・わか世に
  あらんかきりたに・此院あらさす・ほとりの」3ウ

  おほちなと人かけかれはつましうとおほし
0026【おほちなと】−御路<日>大路<万>
  のたまハせて・うしとらのまちにかの一条
0027【一条の宮】−落葉宮也
  の宮をわたしたてまつり給てなむ・
  三条殿と夜ことに十五日つゝ・うるハしう
0028【三条殿】−雲
  かよひすミ給ける・二条院とてつくりミ
0029【かよひすミ給ける】−落雲両所へ通
  かき・六条の院の春のおとゝとて・世にのゝ
  しる玉のうてなもたゝひとりの御末のため
0030【たゝひとりの御末のため】−明ー中 匂ハ二条院ニ住女一宮ハ六条院ノ春殿ニ住二宮モ同△殿ニ住
  成けりと見えて・明石の御方ハあまたの
  宮たちの御うしろみをしつゝ・あつかひ
  きこえ給へり・おほいとのハいつかたの御事」4オ

  をもむかしの御心をきてのまゝに・あらため
  かハる事なくあまねきおや心につかう
  まつり給にも・たいの上のかやうにてとまり
0031【たいの上】−紫上
  給へらましかハ・いかハかり心をつくしてつ
  かうまつり・みえたてまつらまし・つゐに
  いさゝかもとりわきて我心よせと見しり
  給へきふしもなくて・すき給にし事を
  くちおしうあかすかなしう思出きこえ給・
  あめのしたの人・院を恋きこえぬなく・とに
0032【とにかくに】−左 右
  かくにつけても世ハたゝ火をけちたるやうに」4ウ

  なに事も・はへなきなけきをせぬおりなかり
  けり・まして殿のうちの人々御方/\宮
  たちなとハさらにもきこえす・かきりなき
  御事をハさる物にて・又かのむらさきの
  御有さまを心にしめつゝ・よろつの事に
  つけて思出きこえ給ハぬ時のまなし・春
0033【春の花のさかり】−\<朱合点> 古今のこりなくちるそめてたき桜花ありて世中はてのうけれは(古今71、花鳥余情・細流抄・孟津抄・岷江入楚)
  の花のさかりハけになかゝらぬにしもおほえ
  まさる物となん二品宮のわか君ハ・院のき
0034【二品宮】−女三ノ宮ノ事<朱>
0035【わか君】−かほる<朱>
  こえつけ給へりしまゝに・冷泉院の
  御門とりわきておほしかしつき・后の宮」5オ
0036【后の宮】−秋后皇太皇宮

  もみこたちなとおハせす・心ほそうおほさるゝ
  まゝに・うれしき御うしろミに・まめやかに
0037【御うしろみ】−薫養子ニし給
  たのミきこえ給へり・御元服なとも院にて
0038【院にて】−冷
  せさせ給・十四にて二月に侍従になり給ふ・
  秋右近中将に成て・御たうはりのかゝいな
0039【右近中将に成て】−十六歳
0040【御たうはりのかゝい】−冷ー院御△△(△△#給ニテ)四位ノ加階し給心也
  とをさへ・いつこの心もとなきにか・いそきく
  はへて・おとなひさせ給・おハしますおとゝちか
0041【おはしますおとゝちかきたい】−冷泉院中対
  きたいをさうしに・しつらひなとみつから
  御覧しいれてわかき人もわらハしもつかへ
  まて・すくれたるをえりとゝのへ・女の御き」5ウ

  しきよりもまはゆくとゝのへさせ給へり・うへ
  にも宮にもさふらふ女房の中にも・かたち
0042【宮にも】−秋
  よくあてやかにめやすきハ・ミなうつしわた
  させ給つゝ・院のうちを心につけて住よく
  ありよく思へくとのミ・わさとかましき御
  あつかひくさにおほされ給へり・故ちしの
  おほい殿の女御ときこえし御腹に・女宮たゝ
0043【女御】−藤壺
0044【女宮たゝ一所】−冷泉ー御女号女一宮
  一所おハしけるをなむ・かきりなくかしつき
  給御ありさまにおとらす・きさいの宮の御
0045【おとらす】−薫ヲ
0046【きさいの宮】−秋
  おほえのとし月に・まさり給けハひに」6オ

  こそハ・なとかさしもと・見るまてなんはゝ
0047【なとかさしも】−秋ノ思食程薫ハ思ハヌト也
0048【はゝ宮】−女三
  宮ハ今ハたゝ御をこなひをしつかにし
  給て・月の御念仏年に二たひの御八
  講・おり/\のたうとき御いとなミハかりをし
  給てつれ/\におハしませハ・此君の出入
  給ふをかへりておやのやうにたのもしき
  影におほしたれは・いとあハれにて院
  にも内にもめしまとはし・春宮も
  つき/\の宮達も・なつかしき御あそひかた
  きにてともなひ給へハ・いとまなくくるしく・」6ウ
0049【いとまなくくるしく】−\<朱合点> 古今 あはれともうしとも物を思ふ時(古今805、河海抄)

  いかて身をわけてしかなと覚給ける・をさな
0050【身をわけてしかな】−\<朱合点> 古今 おもへとも身をしわけねは目に見えぬこゝろを君にたくへてそやる(古今373、河海抄)
  心ちに・ほのきゝ給しことのおり/\いふか
0051【ほのきゝ給しこと】−柏木権大納言のこなる事をほのきゝし也
  しうおほつかなう思わたれと・問へき人
  もなし・宮にハことのけしきにてもしり
0052【宮にハ】−二品
  けりと・おほされんかたハらいたきすちな
  れは・よとゝもの心にかけて・いかなりける
  事にかハなにの契にて・かうやすからぬ
  思そひたる身にしもなりいてけん・せん
0053【せんけうたいし】−耶輪陀羅然灯仏出世時瞿夷女云羅[目+侯]羅事
  けうた(た+いし<朱>)
う(けう$<朱>)の我身にとひけんさとり
  をも・えてしかなとそ・ひとりこたれ給」7オ

  ひける
    おほつかな誰にとハましいかにしてハし
0054【おほつかな】−かほる
  めもはてもしらぬ我身そいらふへき人
  もなし・ことにふれて・わか身につゝかあ
  る心ちするも・たゝならす物なけかしく
  のミ思めくらしつゝ・宮もかくさかりの御
  かたちをやつし給て・なにハかりの御
  道心にてか・にわかにおもむき給けん・かく
  おもハすなりける事のミたれに・かならす
  うしとおほしなるふしありけん・人もま」7ウ

  さにもりいてしらしやハ・猶つゝむへき
  事のきこえにより・われにハけしきを
  しらする人のなきなめりとおもふ明くれ
  つとめ給やうなめれと・はかも(も$)なくおほとき
  給へる女の御さとりのほとに・はちすの露
0055【はちすの露】−\<朱合点>
  もあきらかに玉とみかき給ハんことも
  かたし・いつゝ(ゝ=くイ<朱>)のなにかし猶うしろめ
  たきを・われ此み心ちをおなしうハ・後
  の世をたにとおもふ・かのすき給ひけん
0056【すき給ひけん】−柏
  も・やすからぬ思にむすほゝれてやなと・」8オ

  をしハかるに・世をかへてもたいめむせまほ
  しき心つきて・元服ハ物うかり給けれと・
  すまひはてす・をのつから世中にもてな
  されて・まはゆきまてはなやかなる御
  身のかさりも・心につかすのミ思しつ
  まり給つ(つ$へ<朱>)り・内にもはゝ宮の御方さまの
0057【内】−今
0058【はゝ宮】−二品
  御心よせふかくて・いとあはれなる物におほ
  され・きさいの宮ハたもとよりひとつおとゝ
0059【きさいの宮】−明
  にて・宮たちももろともにおひいてあそひ
  給し御もてなし・をさ/\あらため給ハす・」8ウ

  末にむまれ給て心くるしうおとなしう
0060【むまれ給て】−薫
  もえみをかぬ事と・院のおほしの給ひしを・
0061【院の】−源
  思出きこえ給つゝ・おろかならす思きこえ
  給へり・右のおとゝも・わか御子ともの君たち
  よりも・此君をハこまやかにやうことなく
0062【此君】−薫
  もてなしかしつきたてまつり給ふ・むかし
  光君ときこえしハ・さる又なき御おほえ
  なから・そねミ給人うちそひ・はゝ方の御
  うしろミなくなと有しに・御こゝろさま
  物ふかく世中をおほしなたらめし」9オ

  程に・ならひなき御光をまはゆからす・もて
  しつめ給ひ・つゐにさるいミしき世のみたれも
0063【世のミたれもいてきぬへかりし事】−源東宮ニ立カト思事
  いてきぬへかりし事をも・ことなくすくし
  給て・後の世の御つとめも・をくらかし給ハす・
  よろつさりけなくて・ひさしくのとけき
  御心をきてにこそありしか・此君ハまた
0064【此君】−薫
  しきに世のおほえいとすきて・思あかり
  たる事・こよなくなとそものし給ふけに・
  さるへくていとこの世の人とハ・つくりいてさり
  ける・かりに・やとれるかともみゆることそひ」9ウ
0065【かりにやとれる】−菩反化

  給へり・かほかたちも・そこはかといつこなむ
  すくれたるあなきよらと見ゆる所もなき
  か・たゝいとなまめかしうはつかしけに・心の
  おくおほかりけなるけハひの人にゝぬなり
  けり・香のかうハしさそ此世のにほひなら
  すあやしきまて・うちふるまひ給へる
  あたり遠くへたゝるほとのをい風に(に=もイ)・ま
  ことに百ふのほかもかほりぬへき心ちし
  ける・たれもさハかりになりぬる御有さま
  の・いとやつれはミ・たゝありなるやハある」10オ

  へき・さま/\に我人にまさらんとつくろひ・
  よういすへかめるを・かくかたハなるまて・うち
  しのひたちよらむものゝくまも・しるきほの
  めきのかくれ有ましきに・うるさかりて・
  をさ/\とりもつけ給ハねと・あまたの
  御からひつにうつもれたる香のかともゝ・此君
  のハいふよしもなきにほひをくはへ・おまへ
  の花の木もはかなく・袖かけ(かけ$ふれ)給ふむめの
0066【袖ふれ】−\<朱合点> 色よりもかこそ哀と(古今33、花鳥余情・休聞抄・紹巴抄・孟津抄)
  香は春さめのしつくにもぬれ・身にし
0067【しつくにもぬれ】−\<朱合点> にほふかの君おもほゆる花なれハおれるしつくにけにそぬれける 伊せ(古今六帖600・伊勢集335、岷江入楚)
  むる人おほく・秋の野にぬしなきふちはかま」10ウ
0068【秋の野にぬしなきふちはかま】−\<朱合点> 古今<墨> ぬししらぬかこそにほへれ秋ののにたかぬきかけし藤はかまそも<朱>(古今241・古今六帖3727・和漢朗詠290・素性集20、源氏釈・奥入・異本紫明抄・紫明抄・河海抄)

  も・もとのかほりハかくれて・なつかしきをひ
  風ことに・おりなしからなむまさりける・
  かくいとあやしきまて人のとかむる香に
0069【人のとかむる香】−\<朱合点>
  しミ給へるを・兵部卿の宮なん・こと事よりも
  いとましくおほして・それハわさとよろつ
  のすくれたる・うつしをしめ給ひ・朝夕の
0070【うつし】−香
  ことわさにあハせいとなミ・御前のせんさい
  にも・春ハ梅花そのをなかめ給・秋ハよの
0071【梅花】−\<朱合点> 袖たれていさ我園に鴬の木つたひちらす梅の花見ん(拾遺集28・拾遺抄17・万葉4301)
  人のめつる女郎花・さをしかのつまに
0072【めつる女郎花】−\<朱合点> 名にめてゝ(古今226・古今六帖3665、河海抄・孟津抄)
0073【さをしかの】−\<朱合点> 万 わか岡にさほ鹿き鳴初萩の花妻とひにきなく棹鹿(万葉1545、河海抄・花屋抄)
  すめる・萩の露にも・をさ/\御心うつし」11オ

  給ハす・老をわするゝ菊におとろへ行
0074【老をわするゝ菊】−\<朱合点> 古今 露なから折てかさゝむ菊の花老せぬ秋の久しかるへく(古今270・新撰和歌96・古今六帖2332・友則集25、異本紫明抄・紫明抄・河海抄・孟津抄)
  藤はかま・物けなきわれもかうなとハ・いと
0075【物けなきわれもかう】−\<朱合点> さ衣 武蔵野の霜かれにけるわれもかう秋しもおとる匂成けり(狭衣物語102)
  すさましき霜かれのころをひまて・おほ
  しすてすなとわさとめきて・香にめ
  つる思をなんたてゝ・このましうおハし
  ける・かゝる程にすこしなよひ・やハらきて・
  すいたる方にひかれ給へりと・世の人ハ思き
  こえたり・むかしの源氏ハすへてかくたてゝ・
  その事とやうかハりしみ給へる方そなかり
  しかし・源中将此宮にハ・つねにまいり」11ウ

  つゝ・御あそひなとにも・きしろふ物のねをふ
  きたて・けにいとましくも・わかきとち思
  かハし給ふつへき人さまになん・例の世人ハ
  にほふ兵部卿かほる中将と・きゝにくゝいひ
  つゝけて・その比よきむすめ・おハするやう
  ことなき所々ハ・心ときめきにきこえこち
  なとし給もあれハ・宮ハさま/\におかしう
0076【宮ハ】−匂
  も有ぬへき・わたりをハの給ひよりて人の
  御けはひありさまをもけしきとり給ふ・
  わさと御心につけておほすかたハことに」12オ

  なかりけり・冷泉院の女一の宮をそ・さやう
0077【女一の宮】−母ハ致仕女弘ー殿
  にても見たてまつらハや・かひかひ(かひ#<朱>)ありなん
  かしとおほしたるハ・はゝ女御もいとをもく心
  にくゝ物し給あたりにて・ひめ宮の御け
  ハひけにいと有かたくすくれて・よその
  きこえもおハしますに・ましてすこし
  ちかくもさふらひなれたる女房なとの・くハ
  しき御有さまのことにふれて・きこえ
  つたふるなともあるに・いとゝ忍ひかたく
  おほすへかめり・中将ハ世中をふかく」12ウ
0078【中将】−かほる

  あちきなき物に思すましたる心なれ
  は・中/\心とゝめて行はなれかたき
  思やのこらむなとおもふに・わつらハしき
  おもひあらむあたりに・かゝつらハんは
  つゝましくなと思すて給・さしあたり
  て心にしむへきことのなきほと・さかし
  たつにや有けむ・人のゆるしなからん
  事なとハ・まして思よるへくもあらす・十九
  になり給とし三位の宰相にて猶
  中将もはなれす・御門きさきの御もて」13オ
0079【きさき】−明

  なしに・たゝ人にてハはゝかりなきめて
0080【たゝ人】−凡俗<日ー>
  たき人のおほえにて物し給へと・心の中
  にハ身を思しるかたありて・物あハれになと
  もありけれハ・心にまかせてはやり
  かなるすき事・をさ/\このます・よろ
  つの事もてしつめつゝ・をのつからおよ
  すけたる心さまを・人にもしられ給へり・
  三宮の年にそへて心をくたき給ふ
0081【三宮】−匂ふ宮
  める・院のひめ宮の御あたりを見るにも・
0082【院】−冷
0083【ひめ宮】−女ー
  ひとつ院の中にあけくれ立なれ給へハ・」13ウ
0084【立なれ給へハ】−薫与女一同立馴給也

  ことにふれても人の有さまをきゝみたて
  まつるに・けにいとなへてならす心にくゝ・
  ゆへ/\しき御もてなしかきりなき(き+を)・
  おなしくハけにかやうなる人を見んに
  こそ・いけるかきりの心ゆくへきつまな
  れと思なから・大かたこそへたつる事
  なくおほしたれ・ひめ宮の御方さまのへたて
  ハ・こよなく(く$く<朱>)け遠くならハさせ給も・ことハりに
  わつらハしけれハ・あなかちにもましらひ
  よらす・もし心より外の心もつかハ・我も」14オ

  人もいとあしかるへき事と思しりて・物
  なれよる事もなかりけり・わかかく人に
  めてられんとなり給へる有さまなれハ・
  はかなくなけのこと葉をちらし給ふあ
  たりも・こよなく(く#く<朱>)もてはなるゝ心なく・な
  ひきやすなるほとにをのつから・な越さり
  のかよひ所もあまたになる(△△&なる)を・人のために
  こと/\しくなと・もてなさすいとよくま
  きらハし・そこはかとなくなさけな
  からぬほとの中/\心やましきを・思」14ウ

  よれる人ハいさなハれつゝ・三条の宮にま
0085【いさなハれつゝ】−引率
  いりあつまるハあまたあり・つれなきを
  見るもくるしけなるわさなめれと・絶なん
  よりハ心ほそきに思わひて・さもあるま
  しきゝハの人々(々$/\<朱>)の・はかなき契にたのミ
  をかけたるおほかり・さすかにいとなつかしう
  見所ある人の御有さまなれハ・見る人ミな
  心にはからるゝやうにて・みすくさる・
  宮のおハしまさむよのかきりハ・朝夕に
0086【宮】−女三
  御めかれす御覧せられ・みえたてまつらん」15オ
0087【御めかれす】−不離

  をたにとおもひの給へハ・右のおとゝもあまた
  物し給御むすめたちを・ひとり/\ハと心
  さし給なから・えこ(と+に)いてたまハす・さすかに
  ゆかしけなきなからひなるをとハ思なせ
  と・此君たちをおきて・外にハなすらひ
  なるへき人をもとめいつへき世かハと・おほし
  わつらふ・やむことなきよりも内侍の
  すけ腹の六の君とか・いとすくれておかし
  けに心はへなともたらひて・おひいて
  給ふを・世のおほえのおとしめさまなるへ」15ウ

  きしも・かくあたらしきを心くるしう
  おほして・一条の宮のさるあつかひくさ・も
0088【一条の宮】−落
  たまへらてさう/\しきにむかへとりて
0089【むかへとりて】−六君
  たてまつり給へり・わさとハなくて
  この人々に見せそめてハ・かならす心とゝめ
  給てん人の有さまをも・しる人ハことにこ
  そあるへけれなとおほして・いといつくしくハ・
  もてなし給ハす・いまめかしくおかしき
  やうに・ものこのミせさせて人の心つ
  けんたよりおほくつくりなし給ふ・のり」16オ
0090【のり弓のかへりあるし】−賭弓勝方 夕霧右大臣左大将ニテ行也

  弓のかへりあるし

まうけ・六条院にて
0091【あるしのまうけ】−還饗<朱>
  いと心ことにし給て・みこをもおハしまさ
  せんの心つかひし給へり・その日みこたち
  おとなに・おはするハみなさふらひ給・きさい
0092【きさい腹】−明
  腹のハいつれともなく・けたかくきよけに
  おハします中にも・此兵部卿の宮ハ・けに
  いとすくれてこよなう見え給ふ・四のみ
0093【四のみこ】−今上匂弟
  こひたちの宮ときこゆる・更衣腹のハ思
  なしにや・けはひこよなうおとり給へり・
0094【おとり給へり】−匂ニ
  例の左あなかちにかちぬ・れいよりハ・とく」16ウ
0095【れいよりハ】−例

  事はてゝ・大将まかて給・兵部卿宮ひたち
  の宮・きさき腹の五の宮と・ひとつ車に
0096【きさき腹】−明
  まねきのせたてまつりてまかて給・
  宰相中将ハまけかたにて・をとなく
  まかて給にけるを・みこたちおハします
  御をくりにハ・まいり給ふましやとをし
0097【をしとゝめさせて】−車
  とゝめさせて・御子の右衛門のかミ・権中納言
0098【御子】−夕
0099【権中納言】−同
  右大弁なとさらぬ上達部・あまたこれ
0100【右大弁】−同
  かれにのりましりいさなひたてゝ・六
  条院へおハす・道のやゝ程ふるに雪いさゝか」17オ

  ちりて・えむなるたそかれ時也・物のねおかしき
  ほとにふきたてあそひて入給ふを・けに
  こゝをゝきていかならむ仏の国にかは・
  かやうのおりふしの心やり所を・もと
  めむと見えたり・しん殿の南のひさしに・
0101【しん殿】−の庇につねの事
0102【南】−みなミ
  つねのこと南むきに中少将つきわたり・
  北向にむかひてゑかのみこたち上達
0103【北向にむかひて】−庇座中少将ハ奥ニ公卿親王ハ端ニ号垣下座
0104【ゑかのみこたち】−垣下<エンカ>の座といふ中少将を饗応する請伴の心也
  部の御座あり・御かハらけなとハしまりて
  物おもしろく成行に・もとめこまひて・かよる
0105【もとめこまひて】−還饗の時求子将監以下舞也
0106【かよる】−翻袖也
  袖とものうちかへすは風に・御前ちかき」17ウ

  梅のいといたくほころひこほれたるにほひ
  の・さとうちゝりわたれるに・例の中将
0107【中将】−かほる
  の御かほりのいとゝしく・もてはやされて・
  いひしらすなまめかし・はつかにのそく
  女房なとも・やミハあやなく心許なきほ
0108【やミハあやなく】−\<朱合点> 春のよのヤミ(古今41・新撰和歌21・古今六帖4136・和漢朗詠28・躬恒集14、源氏釈・奥入・異本紫明抄・紫明抄・河海抄)
  となれと・香にこそけに似たる物なかり
0109【香にこそけに似たる物なかりけれ】−\<朱合点> ふる雪にいろはまかひぬ梅の花かにこそ似たる物なかりけれ(拾遺集14・拾遺抄9・躬恒集152・482、源氏釈・奥入・異本紫明抄・紫明抄・河海抄)
  けれと・めてあへり・おとゝもいとめてたしと
  見給ふかたちようゐも常よりまさりて・
  みたれぬさまにおさめたるをみて・右の
0110【みたれぬ】−薫
0111【みて】−夕ーノミテ
0112【右のすけ】−薫
  すけもこゑくはへ給へや・いたうまらうと」18オ
0113【こゑくはへ給へや】−夕ー詞

  たゝしやとのたまへハ・にくからぬ程に・
  神のますなと18ウ
0114【神のます】−\<朱合点> 八乙女風俗神のますハ求子の二段也<右> 求子哥拾遺集初て平野祭に男使たちし時うたふへき哥とてよめる大中臣能宣朝臣 千ハやふる平野ゝ松の枝しけミ千代も八千代も色ハかハらし 結句詞若菜下ニ同

    伊行
【奥入01】太子のわか名をとひえけむさとりも
    えてしかなと
    <此文之心/更不叶>七陀太子是釈迦仏也
    此本又未勘注(戻)
【奥入02】法華経
    有女人身猶有五障(戻)
【奥入03】賭射還饗<北山>
    大将先着座<垣下座上儲菅円座/親王来着次将上>次将着
    奥座<賭ヲ不儲土敷円座依蒼卒卿相撲時敷/土敷円座或筵土敷之>」19オ

    次垣下公卿着座<相対/以将>次立机<或次将/机先立>三献訖
    有絃哥之興絃禄有差或命東遊将
    監以下舞<天禄例也>
     相撲之時三献之後等次将云々召相撲
     人少将就檻召相撲所将監仰之数巡之後
     相撲布引等事大将同仰手番(戻)
【奥入04】神のます
    多久行説
     方の大将かへりあるしの日
     神のますと云ハ風俗にて候」19ウ

     八乙女と申候哥にて候也
     此うたハ二段のうた也
    や越とめはわかやをとめそたつやをとめ
     二段
    かミのますこのミやしろにたつや越とめ
     かミのやすともうたひ候云々
     このことはにハみつのせち候
     かさねたるおほせにしたかふへく候
      かくのこときこともいまの世に
      下らうのしりて候ハ候はす」20オ

      かく申上候へともひか事にもや
      候らむ
       非習其道不及重而為其篇
       自注之(戻)
    このまき一の名 かほる中将」20ウ

イ本
以詞為巻名雲隠の後ハ薫大将の年齢をもて
年紀を立へし此巻にはかほる十四歳にて元服
してはしめて侍従に侍し十九にて宰相中将と
いはれしまて六箇年の事をのせ侍り」(後遊紙1オ)

にほふ兵部卿<墨> 二交了<朱>」(表表紙蓋紙)