First updated 07/14/2002
Last updated 04/17/2024
渋谷栄一翻字(C)

  

藤裏葉

《翻刻資料》
凡例
1 底本には、大橋寛治氏蔵本『源氏物語 奥入』(複刻日本古典文学館 昭和46年10月)を使用し、自筆本の欠脱は、高野本(日本古典文学影印叢刊19)により、また判読不明箇所等は、池田亀鑑『源氏物語大成』巻七「研究資料篇」所収の「奥入(第二次)定家自筆本」を参照し、漢字仮名字母翻字法によって翻字した(翻刻資料の凡例を参照)。ただし、巻尾本文は省略した。
2 頁数は、池田亀鑑『源氏物語大成』巻七「研究資料篇」に従って、復元した「自筆本奥入」の頁数となっている。
3 青表紙本「源氏物語」の「奥入・付箋」に見られる注記には、その注記番号を付けた。
4 行間書き入れ及び割注等は〔 〕で記した。改行は/で記した。朱書は、その語句の冒頭に(朱)と記した。
5 墨筆による末尾本文の削除符号や朱筆による掛点符号は、それぞれ(墨)\、(朱)と記した。
6 私による注記や定家自筆本、明融臨模本、大島本等において、奥入また付箋に引用されている注釈は( )で記した。
7 本文の校訂記号は次の通りである。
 $(ミセケチ)・#(抹消)・+(補入)・&(ナゾリ)・=(併記)・△(不明文字)
( )の前の文字と( )内の記号の前の文字は訂正前の本文を表し、記号の後の文字はその訂正後の本文を表す。
8 訓点や送り仮名は〈 〉で記した。
9 作字した文字は[ ]で記した。
10 各丁の終わりには」の印と丁数とその表(オ)裏(ウ)を記した。

藤裏葉(後書加)」(70オ)

01 尓こそ佐き可ゝり遣れ布ちの
  尓とのミも个る
02 文籍尓も家礼
  史記
  漢高祖幸父太公之家以家礼敬之
  高祖雖子君也太公雖父臣也

  此文不叶歟可勘〕(欄外頭注)
03 春日さす布ちのうらはのうらとけて
  きミし△(△#)おも者ゝもおも者む
04 安之可支末可支万可支加支和介
  天不己春止於比己(+須止)多礼可太礼可己乃(可太礼可己乃#)
  天不己春止(この行、継紙上の補筆)」(70ウ)

  々(△&々)止乎於也尓末宇与己之末宇之△(△#々)(この行、本紙と継紙上に補筆)
  止々呂介留己乃以戸己乃伊戸乃於止
  与女於也尓万宇与己之介良之毛
  安女川知乃可見毛可美毛曽宇之
  多戸和礼波万宇与己之万宇左春
  須加乃祢乃春可名須可奈支己止
  乎和礼波支久和礼波支久宇之可名
  (一行分空白)
05 加波久知乃せ支乃安良可支やせ支
  のあら可きや末もれともはれ万もれとも
  伊てゝわれねぬやいてゝわれねぬや
  せきのあら可支(71オ)

06 かつらをお里し
  晋書云郡説字廣基挙〈セラル〉賢良對策為
  天下第一為
〈ナル時ニ〉雍州刺史武帝於〈シテ〉東堂會〈シテ〉
  帝問説曰卿
〈ナムチ〉才自何如説對曰臣對策
  為天下第一猶
〈ナヲ・コトシ〉桂林一枝崑山片玉
   今以之課試及第之事
作来也
07 かすしらすきみ可よ者日をの者(+へ)つゝ
  な多ゝるやとのつゆとななむ伊勢雅正
08 可うへしひとむらすゝきむしのねの
  志个きのへともなり尓个る可那」(71ウ)

09 う多のほうし 和琴名也(此行、自筆本と高野本は切断により不明、東山乙本による、大成)
10 をゝきてこそあり个れきくの
  うつろふ可らにいろの万佐れハ
11 宇陀法師
  新儀式 四月旬儀
  若有奏絃哥事者近衛府音樂訖内侍
  奉仰出御屏風南邊召大臣々々起座
  跪候御屏風南頭即勅可召堪管絃親王
  公卿等大臣奉仰退還召出居令置草塾
  於御帳東面一許丈大臣先進着草塾
」(72オ)

  次依召移着大臣召書司々々一人
  執和琴出東障子戸献之
謂宇陀法師也
  各奏絲竹或召加殿上侍臣能歌者
  預之王卿廻勧盃数曲之後奏見参
  長保二年十一月十五日
小野右府新宮之後初
  出御南殿曰
  大臣以下管絃人着御前草塾次召
  書司々々女嬬取宇陀法師出自御
  障子戸置草塾前又絲竹之器次々
  取出皆書司女官役之
」(72ウ)

  或記
  延久四年宇治殿御命云於南殿御遊之時
  召宇陀法師
其詞云タナ/ラシ〕此詞有故云々
  宇陀法師以檜作之先一条院御時
  内裏焼亡之時焼失云々
(大島本奥入01)」(73オ)