自筆本奥入First updated 2/1/2003(ver.1-1)
Last updated 9/22/2006(ver.2-1)
渋谷栄一翻字(C)

  

桐 壺

《翻刻資料》
凡例
1 底本には、大橋寛治氏蔵本『源氏物語 奥入』(複刻日本古典文学館 昭和46年10月)を使用し、自筆本の欠脱は、高野本(日本古典文学影印叢刊19)により、また判読不明箇所等は、池田亀鑑『源氏物語大成』巻七「研究資料篇」所収の「奥入(第二次)定家自筆本」を参照した。ただし、巻尾本文は省略した。
2 頁数は、池田亀鑑『源氏物語大成』巻七「研究資料篇」に従って、復元した「自筆本奥入」の頁数となっている。
3 青表紙本「源氏物語」の「奥入・付箋」に見られる注記には、その注記番号を付けた。
4 行間書き入れ及び割注等は< >で記した。改行は/で記した。朱書は、その語句の冒頭に<朱>と記した。
5 墨筆による末尾本文の削除符号や朱筆による掛点符号は、それぞれ<墨>\、<朱>\と記した。
6 私による注記や定家自筆本、明融臨模本、大島本等において、奥入また付箋に引用されている注釈は( )で記した。
7 本文の校訂記号は次の通りである。
 $(ミセケチ)・#(抹消)・+(補入)・&(ナゾリ)・=(併記)・△(不明文字)
( )の前の文字と( )内の記号の前の文字は訂正前の本文を表し、記号の後の文字はその訂正後の本文を表す。
8 訓点や送り仮名は< >で記した。但し、返り点、朱点は省略した。
9 作字した文字は[ ]で記した。
10 各丁の終わりには」の印と丁数とその表(オ)裏(ウ)を記した。

桐壺(継紙上、切断後の書加)

 このまき一の名 つほせんさい(この行の右端一部、継紙上にかかる)
  或本分奥端有此名謬説也
  一巻之二名也(以上、切断直後の書加注記)

 伊行朝臣勘
01 ある時はありのすさひにゝくかりき
  なくてそ人のこひしかりける(明融本付箋02)
02 むはたまのやみのうつゝはさたかなる
  夢にいくらもまさらさりけり(明融本付箋03)
03 やへむくらしけれるやとのさひしきに
  人こそ見えね秋はきにけり<此哥非其時古哥/不可為證哥>(自筆本判読不明箇所あり、大成翻刻参照)
04 <問人もなきやとなれとくるはるはやへむくらにもさはらさりけり 貫之哥>(自筆本判読不明箇所あり、大成翻刻参照 明融本付箋04)」1オ
05 いかにしてありとしられしたかさこの
  まつのおもはむこともはつかし
06 ひとのおやの心はやみにあらねとも
  子を思道に迷ぬるかな(明融本付箋05)
07 長恨哥
  帰来<レ>池苑皆依<レリ>旧<フルキ>大液芙蓉未央柳(明融本奥入01)
08 在天願作<タラム>比翼鳥在地願為連理枝(明融本付箋06・奥入02)
09 たますたれあくるもしらすねし物を
  ゆめにも見しと思ひかけきや(この行の左端一部、継紙上にかかる 明融本付箋08・奥入03)」1ウ

 書加之(この行の右端一部、継紙上にかかる)
10 寛平遺誡(明融本奥入04)
  外蕃<クワイハム>之人必所<ラレム>召見<メシミ>者<モノ>在簾中
  見<ミヨ>之不可<ヘカラ>直<タヽチ>対<ムカフ>耳李環<リクワン>朕<チン>已失<セリ>
  之慎<ツヽシメ>之
11 <三条右大臣家屏風 貫之>(明融本付箋04・奥入06)
  <朱>\とふ人もなきやとなれとくる春は
  やへむくらにもさはらさりけり
12命婦
  女房の五位に叙<シヨ>するをいふ
  令<リヤウニ>曰<ク>謂婦人帯<タイセルヲ>五位以上曰為内命婦也
  五位以上妻曰外命婦」2オ
13まくらこと(明融本奥入07)
  あけくれのことくさのよし也
14なき人のすみかたつねいてたりけむ
 かたみのかむさし(明融本奥入08)
  長恨哥伝
  指<サシ>碧<ヘキ>衣女取<トリ>金釵<サ>鈿合<テンカウ>各折<ツムオリ>其半
  授<サツケ>使者曰為我謝<シヤセマク>太上皇謹<シムテ>献是物
  尋<ネヨ>旧<キ>好<ヒヲ>
15ともし火をかゝけつくして(この行の左端、一部継紙にかかる 明融本奥入09)」2ウ
  同長恨哥(この行、継紙上の後補筆)
  夕殿蛍飛思悄然秋灯挑<カヽケ>尽<ツクシ>未能<アタハ>眠
16あさまつりことはをこたらせ給(明融本付箋09・奥入10)
  春霄苦<イト>短<ミシカクシテ>日高<タケテ>起<オク>従是<コレヨリ>君王不早朝<アサマツリコ>
17<右近のつかさのとのゐ申のこゑきこゆるはうしになりぬるなるへし>(明融本奥入11)
  亥<ヰ>一剋<ニ>左近衛夜行官人初奏時
  終<ル>子四剋
  丑一剋右近衛宿申<トノヒマウシ>事至卯一剋
  内竪<シユ>亥一剋奏<ス>宿簡<トノイフタヲ>」3オ
18 延長七年二月十六日当代源氏二人元服(明融本奥入12)
  垂<レテ>母屋壁代<ロヲ>撤<テス>昼<ノ>御座<ヲ>其所<ニ>立倚<イ>子<ノ>
  御座<ヲ>孫庇第二間<ニ>有引入左右大臣座
  其南第一<ノ>間<ニ>置<ヲイテ>円座二枚<ヲ>為冠者<ノ>座<ト><並<ナラ/ヒテ>/西
  面又円座<ノ>前<ニ>置円座<ヲ>又其下<ニ>/置理髪<ノ>具<ヲ>皆盛<モル>柳筥<ニ>>先両大臣被<ツク>召
  着<マツ>各円座引入訖<ヲハテ>還着<ツク>本座<ニ>次冠者
  二人立座<ヲ>退下<シリソキオル>於侍<ライ>所<ニ>改<アラタム>衣装<シヤウヲ>此間<アイタ>両
  大臣給<テ>禄<ヲ>於<シテ>庭前<ニ>拝舞<ス><不<ス>着<チヤク>/沓<ヲ>>従仙華門
  退出<ス>於射場<ユハニ>着<ス>沓<ヲ>撤禄<ヲ>次冠者二人(この行の左半分、継紙上に書かれる)」3ウ
  入<テ>仙華門<ニ>於庭中<ニシテ>拝舞<ス>退出参<テ>仁和寺<ニ>(この行の右半分は、継紙上)
  帰参宸儀<シムキ>御<キヨス>侍所<ノ>倚子<ニ>親王左右大臣
  已下近<キン>臣等同候<候>有盃<ハイ>酒御遊両源氏
  候此座<候四位親王之次<ニ>依<テ>仰<オホセニ>也/奥<オク>方壁下也>深更<ニ>大臣
  以下給禄<ヲ>両源氏<ノ>宅<イヱ>各調<ウシテ>屯<トム>食廿具<ヲ>
  令<シム>分<ワカタ>諸陣所々<ニ>
19屯食事(明融本奥入13)
  天慶三年親王元服日
  内蔵寮十具穀倉<コクサウ>院十具已上検校<ケンケウ>太政大臣
  仰<セテ>之<ヲ>調<ス>之衛門府<ノ>五具督仰儲<マウケ>之左馬寮」4オ
  五具御監<ケン>仰儲之
  南殿版<ハン>位<ノ>東其東春興殿<ノ>西<ニ>立辛櫃<カラヒツ>
  十合<ヲ>件<クタム>等物有宣旨自<ヨリ>長楽門出入<ス>
  上卿仰<テ>弁官<ニ>分給所々<ニ>史二人勾当<コウタウ>
  其事仰<テ>検非違使<ニ>令分給
  弁官三太政大臣(大臣=官歟)二左右近三具左右兵衛二
  左右衛門二蔵人所二内記所一薬<クス>殿一
  御書所一内竪<シユ>所一校書<シヨ>殿一作物<ツクモ>所一
  内侍所四采女<ウネヘ>一内教坊一糸所一御匣殿一」4ウ