紫式部集
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渋谷栄一注釈(C)

紫式部集

  【一】
【はやうより】−幼いころから。
【わらは友だちなりし人】−誰であるか未詳。
【ほのかにて】−わずかな時間。ほんの少し。
【十月十日】−現行の活字校訂本では別本や新古今集によって「七月十日」と改めるが、旧暦では「十月十日」以後に「秋果つる日」が来る年もある。
【きほひて】−実践本「きおふ」は平安の仮名遣い。
《参考》*「はやくよりわらはともだちに侍ける人の、としごろへてゆきあひたる、ほのかにて、七月十日の比、月にきほひてかへり侍りければ  紫式部
めぐりあひてみしやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かげ」(寿本「新古今集」雑上 一四九九)
*「めぐりあひてみしやそれともわかぬまにくもがくれにし夜半の月かな」(書陵部本「百人秀歌」六四)
*「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜はの月かげ」(尭孝筆本「百人一首」五七)。
*「めぐりあひてみしやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな」(「女房三十六人歌合」六三)
*「めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにしよはの月かな」(「定家八代抄」一六一五)

  【二】
【その人】−第一段の「はやうよりわらは友だちなりし人」
【とほき】−実践本「とをし」は定家の仮名遣い。
【行くなりけり】−「なり」は断定の助動詞とも伝聞推定の助動詞とも解しうる。竹内美千代『紫式部集評釈』に従って、後者の意で解す。
【秋の果つる日】−別本に「九月つくる日」とある。「千載集」によった異文である。「秋果つる日」が旧暦九月の「尽日」また「晦日」とは限らはない。「立冬」前日の意もある。「十月十日」以後に「秋果つる日」(立冬の前日)が来た年として、九七〇年から一〇一五年までの間に、天延二年(九七四)「十月十四日」、天元五年(九八二)「十月十二日」、正暦四年(九九三)「十月十四日」、長保三年(一〇〇一)「十月十三日」、寛弘六年(一〇〇九)「十月十一日」、長和元年(一〇一二)「十月十三日」がある。そのうちもっとも蓋然性が高いのは、天元五年(九八二)の「十月十二日」の紫式部十三歳(今井源衛『紫式部』人物叢書、九七〇年出生説)頃か。その年の正月二十八日、二十九日、三十日と続いた地方官の除目が翌二月一日朝に終了した。その時、「遠き所へ行く」ことが決まった者のうち名前のわかるのは、大江斉光(伊予守)、藤原佐理(伊予権守)、藤原時光(周防権守)、藤原義懐(備前権守)、藤原懐忠(備後権守)、源扶義(安芸権守)、伴義忠(伯耆権介)等である。
【よわる】−「よはる」は平安の仮名遣い。
【とめがたき】−行く秋の止めがたさと人の行くことの止めがたさを懸ける。
《参考》*「とほき所へまかりける人のまうできてあか月かへりけるに、九月つくる日、むしのねもあはれなりければよめる  紫式部
なきよわるまがきの虫もとめがたき秋のわかれやかなしかるらん」(陽明文庫本「千載集」離別 四七八)
*「なきよわるまがきの虫もとめがたき秋の別やかなしかるらん」(書陵部蔵本「時代不同歌合」一一二)
*「なきよわるまがきのむしもとめがたき秋のわかれやかなしかるらむ」(「女房三十六人歌合」六二)

  【三】
【箏の琴しばし】−下に「借らむ」などの意が省略されている。
【御手より得む】−直接に琴の奏法を習得したい。
【返り事】−「カヘリコト」(日葡辞書)。江戸時代以後「かへりごと」と濁音化した。
【よもぎが中の虫の音】−「蓬」は雑草、自邸を卑下していう。「虫の音」は自分の琴の音を喩える。
【おぼろけにてや人の尋ねむ】−係助詞「や」は推量の助動詞「む」連体形に係る、係結びの法則。反語表現。わざわざ出向いて、直接に習いたいとは、殊勝なことです。
《参考》*「上東門院に侍りけるを、さとにいでたりけるころ、女房のせうそこのついでに箏のことつたへにまうでこんといひて侍りける返事につかはしける  紫式部
露しげきよもぎがなかの虫のねをおぼろけにてや人のたづねん」(陽明文庫本「千載集」雑上 九七七)

  【四】
【方違へ】−天一神(中神ともいう)が遊行する方角を忌避する信仰。平安時代中期以降盛んに行われた。天一神は己酉の日から四十四日間を四方(北=子・東=卯・南=午・西=酉)に各五日ずつ、四隅(東北=丑寅・東南=辰巳・南西=未申・西北=戊亥)に各六日ずつ移動して一周し、癸巳から戊申までの十六日間は天上にいるので忌避を要しない。天一神は天上の中央と地上の八方を六十日で一巡するという信仰。方違えは天一神(中神)の遊行している方角に出向くことを避ける信仰。四方の場合は五日間、四隅の場合には六日間の忌避となる。『御堂関白記』の具注暦によれば、天一神の寛弘元年(一〇〇四)二月六日庚申に「天一辰巳」、寛仁二年(一〇一八)正月二十一日乙卯に「天一卯」と見える(図録『宮廷のみやび 近衛家一〇〇〇年の名宝』。しかし「大日本古記録」には翻字されない)。
【なまおぼおぼし】−何となくはっきりしない。何となく隔てがましい。
【帰りにけるつとめて】−「帰りにける」と「つとめて」とは同日のこと。
【あけぐれ】−明け方のまだ暗いうち。
【そらおぼれ】−「そら」は「あけぐれのそら」と「そらおぼれ」の掛詞。「おぼれ」は「おぼほれ」の約。とぼけているさま。
【朝顔の花】−作者の庭に咲いている朝顔の花を方違えに来た人の顔に見立てた。竹内『評釈』では作者自身を喩えるとする。『集成』では男の「朝の顔」をかけていると注す。
《参考》*「方たがへにまうできたりける人のおぼつかなきさまにてかへりにけるあしたに、あさがほを折りてつかはしける  紫式部
おぼつかなそれかあらぬかあけくれの空おぼれするあさがほの花」(尊経閣文庫本「続拾遺集」恋四 一〇〇二)

  【五】
【返し】−作者の家に方違えに来た人の返歌。
【手を見分かぬ】−筆跡を誰が書いたものか見分けることができない。
【いづれぞと色分く】−作者の姉の筆跡か妹の作者の筆跡かと見分ける意。「色分く」は「朝顔」の縁。「見分く」と同じ。弁別する。
【朝顔】−「朝顔」歌語。朝咲き夕べには萎んでしまう、はかなさの象徴。
《参考》*「返し  よみびとしらず
いづれぞと色わくほどに槿のあるかなきかになるぞかなしき」(尊経閣文庫本「続拾遺集」恋四 一〇〇三)

  【六】
【筑紫へ行く人のむすめ】−筑前・筑後の両国。古くは九州全体をさして呼称した。肥前守橘為義の娘(岡一男『源氏物語の基礎的研究』)説と平維将の娘(角田文衛『紫式部とその時代』)説がある。肥前へ下った地方官の妻が、紫式部の父為時の姉妹であることから、「むすめ」とは従姉妹の関係にある人となる。
【ただに泣かるる】−自発の助動詞「るる」連体形。

  【七】
【返し】−紫式部の返歌。
【西へ行く月の便りに】−「月」は「西へ行く月」と「月(ごとの)便り」の掛詞。「月」は相手の女性をさすと共に、月は東から西へ行くように。
【たまづさ】−「玉章」歌語。手紙。
【かき絶えめやは】−「かき」は「書き」と接頭語「かき」の掛詞。「やは」反語。

  【八】
【遥かなる所に】−遠国の任国であろう。
【折りて】−実践本「おる」は定家の仮名遣い。
【おこせたる】−完了の助動詞「たる」連体形、下に「歌」を補って解釈する。実践本「をこす」は定家の仮名遣い。
【露深く奥山里】−「露」は「袖」の上に置いた涙を連想させる。「奥」は「露(が深く)置く」と「奥山里」の「奥」が掛詞となっているが、定家仮名遣いでは「(つゆが)をく」と「おく山」は書き分けられるところ。実践本では「つゆふかくを(遠)く山さと」となっている。
【袖の色】−涙で真っ赤に染まった袖の色。血の涙を連想させる。

  【九】
【返し】−紫式部の返歌。
【露も】−「嵐」「紅葉」「露」「とまる」は縁語。「露」は副詞「つゆ」との掛詞。「露」を都を離れる友人に喩える。

  【一〇】
【又、その人】−第八段に「「遥かなる所に、行きやせむ、行かずや」と、思ひわづらふ人」とあった人。
【木の下】−親のもとをさす。
【かは】−係助詞「かは」反語表現。行く気持ちになれましょうか、なれません。

  【一一】
【もの思ひわづらふ人】−不明。
【水茎】−「水茎」歌語。筆、筆跡、の意。
【えも書きやらぬ】−副詞「え」…打消の助動詞「ぬ」連体形、不可能の意を表す。
《参考》*「しも月ばかりに物おもひける人のうれへたりける返事につかしける  紫式部
霜こほりとぢたるころのみづぐきはえもかきやらぬここちのみして」(吉田兼右筆本「玉葉集」雑一 二〇五〇)

  【一二】
【返し】−第十一段に「もの思ひわづらふ人」とあった人。
【行かずとも】−筆が進まなくても。
【なほ】−実践本「なを」は平安の仮名遣い。
【書きつめよ】−書き集めよ、の意。
【水の上にて】−水の上で、霜や氷を融かして。「水の上」は作者からの手紙を喩える。

  【一三】
【賀茂】−下に「片岡」が出てくるので、上賀茂神社のこと。
【鳴かなむ】−終助詞「なむ」願望を表す。鳴いてほしい。
【片岡】−「片岡の森」山城国の歌枕。上賀茂神社の近辺の森。ほととぎすの名所。
【をかしく】−実践本「おかし」は定家の仮名遣い。
【立ちや濡れまし】−牛車の外に出て、雫に濡れる。係助詞「や」、仮想の助動詞「まし」連体形、係結び。
《参考》*「賀茂にまうでて侍りけるに、人の、郭公なかなんと申しけるあけぼの、かたをかのこずゑをかしく見え侍りければ  紫式部
郭公こゑまつほどはかたをかのもりのしづくにたちやぬれまし」(寿本「新古今集」夏 一九一)

  【一四】
【弥生の朔日】−「朔日」は月の初め、一日の意があり、いずれとも特定できない。上巳の祓いの日。
【河原】−賀茂川の河原。
【紙を冠にて】−紙の冠を着けて。どのような形か不明。
【博士】−陰陽博士。
【耳はさみ】−紙冠を耳にさし挟んだ格好をいう。

  【一五】
【姉なりし人】−作者の姉。「紫式部集」四番歌の頃には生存していた。
【おとと】−妹。
【文の上に姉君と書き、中の君と書き通はし】−わたしはその人を手紙の上書きに「姉君」と書き、その人はわたしのことを「妹君」と書き、の意。
【おのがじし】−実践本「をのがじし」は定家の仮名遣い。
【遠き】−「とをし」は平安の仮名遣い。
【惜しみて】−「おしむ」は定家の仮名遣い。
【雲の上がき】−「上がき」は雁の「上掻き」と手紙の「上書き」の掛詞。
【かき絶えず】−「かき」は接頭語「かき」と「書き」の掛詞。
《参考》*「あさからず契りける人の、生きわかれ侍りけるに  紫式部
きたへ行く雁のつばさにことづてよくものうはがきかきたえずして」(寿本「新古今集」離別 八五九)
*「人にわかれけるに  紫式部
北へ行く雁のつばさにことづてよ雲のうは書かきたえずして」(「定家八代抄」七四四)

  【一六】
【鹿蒜山】−「鹿蒜(かへる)山」は越前国の歌枕。「帰る」を掛ける。
【五幡】−「五幡(いつはた)」は越前国の地名。「何時(いつ)」副詞「はた」を掛ける。

  【一七】
【津の国】−摂津国。ここから西の国に向かうため船に乗ったのであろう。
【おこせたりける】−実践本「をこす」は定家の仮名遣い。
【難波潟】−摂津国の歌枕。淀川の河口付近。
【思はましかば】−反実仮想の助動詞「ましか」未然形+接続助詞「ば」。下に「うれしからまし」などの語句を補って読む。
《参考》*「つのくににまかれりける時、みやこなる女ともだちのもとにつかはしける  紫式部
難波がたむれたるとりのもろ共にたちゐるものと思はましかば」(尊経閣文庫本「続拾遺集」雑上 一一二三)
藤原為氏(定家の孫・二条家祖)撰「続拾遺集」では、「西の海の人」ではなく、紫式部の歌となっている。詞書の内容も紫式部が津の国に行った折に都の女友だちに贈った歌となっている。

  【欠】
【返し】−紫式部から西の海の人への返歌。
二行分の空白がある。諸本(定家本系・古本系・別本系)ナシ、和歌一首を脱か。

  【一八】
【おこせたるを】−実践本「をこす」は定家の仮名遣い。
【松浦なる鏡の神】−肥前国東松浦郡に鎮座する鏡神社。
【空に見るらむ】−空で見ていることだろう、の意。
《参考》*「あさからずたのめたるをとこの心ならず肥前国へまかりて侍りけるが、たよりにつけて文おこせて侍りける返事に  紫式部
あひみんと思ふ心はまつらなるかがみの神や空にしるらん」(吉田兼右筆本「新千載集」恋二 一二三一)
*「かがみの神 肥前 家集  紫式部
あひ見んとおもふ心はまつらなるかがみの神やそらにしるらん」(静嘉堂文庫本「夫木和歌抄」雑十六 神祇 一六〇二八)

  【一九】
【又の年】−紫式部が越前に下り、女友だちが西の海に下った翌年、すなわち長徳三年(九九七)。
【松浦の鏡】−「松浦」に「待つ」を掛ける。「鏡」と「かける」は縁語。
【祈るとか知る】−係助詞「か」疑問、「知る」連体形、係結びの法則。

  【二〇】
【近江の湖】−琵琶湖。
【三尾が崎】−琵琶湖西岸、近江国高島郡にある地名。
《参考》*「近江国みをがさきにて、あみひくを見て  紫式部
みをのうみにあみひくたみのてまもなく立ゐにつけてみやここひしも」(静嘉堂文庫本「夫木和歌抄」雑十五 網 一五九二二)

  【二一】
【磯の浜】−琵琶湖の東北岸、近江国坂田郡にある地名。
【同じ心】−わたしと同じ心、望郷の思い。
【田鶴】−鶴の歌語。

  【二二】
【ひらめくに】−稲妻がひらめく。
【夕立つ波】−夕立ちのために急に風が出て来て波が立つさま。
《参考》「みづうみの舟にて、ゆふだちのしぬべきよしを申しけるをききて、よみ侍りける  紫式部
かきくもり夕だつ浪のあらければうきたる船ぞしづ心なき」(寿本「新古今集」覊旅 九一八)

  【二三】
【塩津山】−近江国伊香郡にある山。
【賤の男】−輿をかつぐ人足たち。実践本「しつのお」は定家の仮名遣い。
【なほ】−「なを」は平安の仮名遣い。
【世にふる道】−「道」は道路と世渡りの道の掛詞。
【からきもの】−「塩津山」の「塩」の縁で「からき」と詠んだ。「かゑき」は「つらい」と「塩辛い」の掛詞。
《参考》*「しほつ山といふみちをゆくに、しづのをのいとあやしきさまにして、猶からきみちかなといふをききてよみ侍りける  紫式部
しりぬらんゆききにならすしほつやまよにふるみちはからきものぞと」(尊経閣文庫本「続古今集」雑中 一六九八)

  【二四】
【おいつ島】−近江国蒲生郡にある奥津嶋神社(大島奥津嶋神社)のある島か。
【わらはべの浦】−所在地不明。
【をかしきを】−「老つ島」に対して「童べの浦」という反対語の名称がおもしろいので。実践本「おかし」は定家の仮名遣い。
【騒がぬ】−「さはく」は平安の仮名遣い。

  【二五】
【日野岳】−越前国府の東南にある標高約八百米の山。
【小塩】−小塩山は山城国の歌枕。標高約六百四十米の山。
《参考》*「ひのたけといふ山をみて  紫式部
ここにかくひのの杉むらうづむ雪をしほの松にけふやまがへる」(静嘉堂文庫本「夫木和歌抄」雑十一 杉 一三九〇八)

  【二六】
【返し】−作者に同行した侍女か。
【今日やさは】−間投助詞「や」詠嘆、連語「さは」(副詞「さ」+係助詞「は」)そのように。

  【二七】
【なほ】−実践本「なを」は平安の仮名遣い。
【帰る山路】−「帰る」と「鹿蒜山」との掛詞。
【心やゆくと】−係助詞「や」疑問。
【雪】−「雪」と「行き」との掛詞。
【見てまし】−仮想の助動詞「まし」終止形。

  【二八】
【年かへりて】−長徳三年(九九七)正月。
【唐人】−長徳元年(九九五)九月に宋人七十余人が交易を求めて若狭国に漂着し越前国に移されていた(『日本紀略』長徳元年九月六日条)。作者の父藤原為時は長徳二年に越前国司に任命され、その人らと漢詩文を交換しあい交渉にあたった。
【見に行かむと言ひける人】−のち作者の夫となる藤原宣孝とされる。京都から越前国へ唐人を見にいこう、の意。
【とく来る】−「とくる」とする伝本もある。それによれば、「春は解くるもの」となる。「雪解け」と「心解く」の掛詞となる。
【白根の深雪】−越前国の加賀の白山。標高約二千七百米。歌枕。
【解くべきほど】−「雪解け」と「心解く」の掛詞。宣孝の求婚を受け入れる、意。

  【二九】
【近江守の女】−誰であるか不明。
【懸想すと聞く人】−のちに夫となる藤原宣孝のこととされる。
【二心なし】−作者に言ったことば。
【ことならば】−同じことならば、の意。
【八十の湊】−たくさんの湊。多くの女性を譬喩する。
【声絶えなせそ】−副詞「な」--終助詞「そ」禁止を表す。声を絶やすな、求婚の声をかけよ、の意。
《参考》*「冬歌中  紫式部
水うみにともよぶちどりことならばやそのみなとにこゑたえずなけ
 この歌は、あふみのかみの女けさうしける人の、ふた心なしとつねにいひわたりければ、うるさくてよめると云々」(静嘉堂文庫本「夫木和歌抄」冬二 千鳥 六七五〇)

  【三〇】
【投げ木】−薪のこと。「投げ木」は「嘆き」を響かす。
【四方の海に塩焼く】−あちこちの海岸で藻塩を焼く、宣孝をあちこちの女性に言い寄っては恋の嘆きをしているという。
【投げ木をや積む】−「投げ木」は「嘆き」を掛ける。係助詞「や」疑問の意。「積む」の主語はあなた。
《参考》*「歌絵に、あまのしほやくところにこりつみたる木の本にかきて、人のもとにつかはしける
よもの海のひほくむ海士の心からやくとはかかるなげきをやつむ」(吉田兼右筆本「続千載集」雑中 一八六四)

  【三一】
【文の上に朱といふ物】−藤原宣孝から作者への手紙に、朱筆で、点々と書いたもの。
【注きかけて】−「注(そそ)き」清音。
【移る心の色】−「移る」は色褪せる。心変わりの意。
【もとより人の女を得たる人】−藤原宣孝は既に妻がいた。紫式部との結婚を長徳四年(九九八)とすると、宣孝は四十六歳、式部二十六歳頃、宣孝の子の隆光二十六歳、隆佐十七歳、明懐十四歳。
《参考》*「人のおこせたりけるふみのうへに朱にて、なみだのいろをとかきて侍りければ  紫式部
くれなゐのなみだぞいとどたのまれぬうつるこころのいろとみゆれば」(尊経閣文庫本「続古今集」恋二 一一九三)

  【三二】
【散らしけり】−紫式部の手紙を他人に見せたということ。
【おこせずは】−実践本「をこす」は定家の仮名遣い。
【言葉にてのみ】−口上で。使者に言わせたもの。
【おこす】−「をこす」は定家の仮名遣い。
【いみじく怨じたりければ】−主語は相手宣孝。
【閉ぢたりし上の薄氷】−作者の心、態度を譬喩する。
【解けながら】−宣孝との結婚成立をいう。
【さは】−連語「さは」(副詞「さ」+係助詞「は」)それでは。
【絶えねとや】−ヤ下二「絶え」連用形+完了の助動詞「ね」命令形、格助詞「と」、間投助詞「や」詠嘆。
【山の下水】−谷川の水。夫婦仲を譬喩。

  【三三】
【すかされて】−なだめられて。式部の歌が夫婦仲の永続を願う内容であったことから、宣孝は気持ちがなだめられた。
【東風に解くる】−こちかぜ。「孟春之月、東風解氷」(礼記・月令)を踏まえた表現。
【石間の水】−石と石の間を流れる水、浅い水。相手作者の浅い心を譬喩。
【絶えば絶えなむ】−ヤ下二「絶え」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件、ヤ下二「絶え」未然形+終助詞「なむ」願望の意。絶えてしまう仲ならば、絶えてしまってもよい。

  【三四】
【聞こえじ】−実践本は、ヤ行下二段活用動詞「聞こゆ」の未然形に「江」が使用されている。
【なにかその】−係助詞「か」、「せむ」連体形に係る、係結び。反語表現の構文。
【みはらの池を包み】−「みはらの池」は所在不明。接頭語「み」と解すと、摂津国に「はらの池」がある。『枕草子』「池は」にも出る。「腹立ち」に掛けて引用。「包み」は「堤」との掛詞。「堤」は「池」の縁語。
【包みしもせむ】−主語はわたし。あなたの腹立ちを我慢する必要はない。仲が切れてもよいでしょう、の意。
《参考》*「家集  紫式部
いひたえばさこそは絶えめなにかそのみはらの池のつつみかもせん」(静嘉堂文庫本「夫木和歌抄」雑五 池 一〇八三六)

  【三五】
【たけからぬ人数なみ】−立派でなく人数に入らぬ。「なみ」はないので、の意と「波」を響かす。「なみ」は「池」の縁語。
【わきかへり】−「かへり」は「波」の縁語。水が湧くに、腹を立てる意を掛ける。
【みはらの池に立てど】−腹を立てる。「立つ」は「波」の縁語。

  【三六】
【折りて見ば】−実践本「おる」は定家の仮名遣い。マ上一段活用動詞「見る」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件。
【思ひ隈なき】−思いやりがない、心が行き届かない。
【惜しまじ】−「おしむ」は定家の仮名遣い。

  【三七】
【桃】−「桃」に「百」を響かす。数が多く縁起がよい。
【あるものを】−接続助詞「を」順接。また間投助詞、詠嘆の意。

  【三八】
【花の散るころ】−桜の花。
【風の騒ぎ】−「さはき」は平安の仮名遣い。
【花といはば】−ハ行四段動詞「いは」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件。
【異ならなくに】−「異なら」未然形+打消の助動詞「な」未然形+準体助詞「く」+格助詞「に」、異ならないのに。
《参考》*「なしの花のさくらとともにちりけるをみてよめる  紫式部
花といはばいづれか匂ひなしとみむ散りかふ色のことならなくに」(吉田兼右筆本「続後拾遺集」物名 五〇三)

  【三九】
【遠き所へ行きにし人】−「筑紫へ行く人の女」(【六】)互いに「姉君」「中の君」と書き交した友人(【一五】)。実践本「とをし」は定家の仮名遣い。
【訪ねまし】−反実仮想の助動詞「まし」。
【ゆくへ】−「ゆくゑ」は定家の仮名遣い。
《参考》*「とほきところにゆきける人のなくなりにけるを、おやはらからなど、みやこにかへりきて、かなしきこといひたるにつかはしける  紫式部
いづかたの雲ぢとしらばたづねましつらはなれけんかりの行へを」(陽明文庫本「千載集」哀傷 五六四)

  【四〇】
【去年より薄鈍なる人に】−作者のこと。長保三年(一〇〇一)四月二十五日、夫宣孝が亡くなった。
【女院崩れさせたまへる春】−長保三年閏十二月二十五日、東三条院詮子崩御。「春」は翌長保四年(一〇〇二)。底本「かく」衍字をミセケチにする。
【さし置かせたる】−実践本「をく」は定家の仮名遣い。
【雲の上も】−宮中。
《参考》*「東三条院かくれさせ給ひける又の年の春、いたくかすみたる夕暮に人のもとへつかはしける  紫式部
雲のうへのもの思ふ春はすみぞめにかすむ空さへあはれなるかな」(吉田兼右筆本「玉葉集」雑四 二二九八)
玉葉集では、作者を取り違えて、紫式部の歌としている。

  【四一】
【なにか】−「なにか」--「濡らすらむ」反語表現の構文。
【袖を濡らす】−泣く意。
《参考》*「東三条院かくれさせ給うて又のとしの春せうそこしたる人の返事に  紫式部
何かこのほどなき袖をぬらすらむ霞のころもなべてきる世に」(「新千載集」哀傷 二一八〇)

  【四二】
【亡くなりし人の女の】−亡き夫宣孝の娘。他の妻の娘。
【惑はるる】−途方に暮れている、悲嘆に暮れている。
《参考》*「みしま、三島、摂津又筑前 家集  紫式部
夕霧にみしまがくれしをしのこの跡を見る見るまどはるるかな
 此歌は、なく成りにける人の親のてして書付けたる物を見てよめると云々」(静嘉堂文庫本「夫木和歌抄」雑五 島 一〇五八四)

  【四三】
【同じ人】−亡き夫宣孝の娘。
【折りて】−実践本「おる」は定家の仮名遣い。
【おこせたる】−「をこす」は定家の仮名遣い。
【木のもと】−桜の花の散った後、自分の死後を喩える。
【思ひ絶えせぬ】−「さけばちるさかねばこひし山桜思ひたえせぬ花のうへかな」(中院本「拾遺集」春 中務 三六)を引歌とする。

  【四四】
【もののけ憑きたる女】−男の今の妻。
【鬼になりたる元の妻】−もののけを移した憑坐(よりまし)。
【男】−実践本「おとこ」は定家の仮名遣い。
【おのが】−「をのか」は定家の仮名遣い。

  【四五】
【返し】−作者の侍女。
【ことわり】−「ことはり」は平安の仮名遣い。
【心の闇】−歌語「心の闇」は、恋に惑う、異性に惑う。煩悩。

  【四六】
【押し開けて】−実践本「をす」は定家の仮名遣い。
【いとさだ過ぎたるおもと】−単に年取った女房の意でなく、身分の高い女房。
【色ならぬ】−若さはないが、の意味が込められている。

  【四七】
【折りたる】−実践本「おる」は定家の仮名遣い。
【しか慣らはせる】−副詞「しか」は「鹿」を響かす。雄鹿が近付くと萩が慕い寄る、という構図。
【立ち寄るからに】−接続助詞「からに」、と同時に、や否や、の意。
【おのれ】−「をのれ」は定家の仮名遣い。
【折れ付す】−「おる」は定家の仮名遣い。
《参考》*「屏風絵に花みる女車あり、わらはのたちよりて萩花をる所  紫式部
さをしかのしかならはせる萩なれやたちよるからにおのれをれふす」(吉田兼右筆本「玉葉集」秋上 四九五)

  【四八】
【世のはかなきことを嘆くころ】−夫宣孝を亡くして間もなくのころ。長保三年(一〇〇一)四月二十五日、夫宣孝死去。
【塩釜】−陸奥国の歌枕。塩釜から、塩焼く煙が連想される。
【睦まし】−「室町時代末頃からムツマジと濁音にもいう」(岩波古語辞典)
《参考》*「よのはかなきことをなげくころ、みちのくにに名あるところどころかきたるゑを見侍りてよめる  紫式部
見し人の煙なりし夕べより名ぞ睦ましき塩釜の浦」(寿本「新古今集」哀傷 八二〇)
*「見し人のけぶりとなりし夕よりなもむつましきしほがまのうら」(書陵部本「時代不同歌合」一一四)

  【四九】
【門叩きわづらひて帰りにける人】−夫宣孝の死後に言い寄った男かといわれる。
【西の海】−西国に国司となったことのある人であろう、とされる。
【寄せずとや見し】−係助詞「や」疑問、反語表現。寄せないと見ましたか、寄せるでしょう。

  【五〇】
【かへりては】−波が「返りて」とあなたが「帰りて」の掛詞。
《参考》*「いそべに浪はよせずとやみし、と申しつかはしたりける人の返事に  紫式部
返りてはおもひしりぬやいはかどにうきてよりける岸のあだ浪」(尊経閣文庫本「続拾遺集」恋五 一〇三七)

  【五一】
【年返りて】−夫宣孝が亡くなった翌年、長保四年(一〇〇二)。
【門は開きぬや】−喪は明けましたか、の意を含む。
【鴬の】−「門は開きぬや」と言った男を喩える。
【宿を訪ふらむ】−推量の助動詞「らむ」(連体形、視界外推量)は「誰が」と呼応して、疑問。
《参考》*「十二月ばかりに、かどをたたきかねてなんかへりにしとうらみたりけるをとこ、としかへりてかどはあきぬらんやといひて侍りければ、つかはしける  上東門院紫式部
たがさとの春のたよりにうぐひすの霞にとづるやどをとふらむ」(陽明文庫本「千載集」雑上 九六二)

  【五二】
【世の中の騒がしきころ】−長保二年(一〇〇〇)冬から三年にかけて疫病が流行した。夫宣孝は昨年の三年四月二十五日に亡くなった。「さはかし」は平安の仮名遣い。
【朝顔】−歌語、はかない花の象徴。
【露】−歌語、はかなさの象徴。
《参考》*「世の中つねならず侍りける比、槿の花を人のもとにつかはすとて  紫式部
きえぬまの身をもしるしるあさがほの露とあらそふ世を歎くかな」(吉田兼右筆本「玉葉集」雑四 二三九一)

  【五三】
【世を常なしなど思ふ人】−作者。第三者的に表現している。
【幼き人】−作者の娘賢子。実践本「おさなし」は定家の仮名遣い。
【若竹】−幼子を譬喩する。
【生ひゆく】−底本「おいゆく」の「い」は「ひ」の誤りとみて、訂正する。

  【五四】
《参考》*「題不知  紫式部
かずならで心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり」(陽明文庫本「千載集」雑中 一〇九六)

  【五五】
《参考》*「だいしらず  紫式部
こころだにいかなる身にかかなふらんおもひしれども思ひしられず」(尊経閣文庫本「続古今集」恋五 一三六五)

  【五六】
【初めて内裏わたりを見るにも】−紫式部が中宮彰子のもとに出仕したのは、寛弘二年(一〇〇五)十二月二十九日のこと。

  【五七】
【初々しき】−「うゐ/\し」は平安の仮名遣い。
【ほのかに語らひける人】−出仕して初めて言葉を交した同僚の女房。
【岩間の氷】−同僚の女房の心を譬喩する。
【をだえの水】−途絶えていた水。自分自身を喩える。

  【五八】
【結びし水】−同僚の女房自身の心を喩える。
【解けざらめやは】−「やは」反語表現。解けましょう。

  【五九】
【正月十日のほどに】−寛弘三年(一〇〇六)正月十日。
【雪の下草】−作者自身を譬喩する。
《参考》*「一条院御時殿上人はるのうたとてこひはべりければよめる  紫式部
みよしのははるのけしきにかすめどもむすぼほれたるゆきのしたくさ」(書陵部本「後拾遺集」春上 一〇)
*「み吉野は春の気色に霞めども結ぼほれたる雪の下草  紫式部」(梅沢記念館旧蔵本「新撰朗詠集」早春 一二)
*「みよしのは春のけしきにかすめどもむすぼほれたる雪の下草」(書陵部本「時代不同歌合」一一〇)
*「みよし野は春のけしきにかすめどもむすぼほれたる雪の下草」(群諸類従本「後六々撰」一一九)
*「み吉野は春のけしきに霞めども掬ぼほれたる雪の下草」(穂久邇文庫本「古来風体抄」三九九)
*「みよし野は春のけしきにかすめどもむすぼほれたる雪のした草」(「女房三十六人歌合」六一)
*「一条院御時、殿上人春歌とこひ侍りける  紫式部
みよしのは春のけしきにかすめどもむすぼほれたる雪の下草」(「定家八代抄」一二)
*「後拾遺  紫式部
み吉野は春の気色にかすめどもむすぼほれたる雪の下草」(書陵部本「八代集秀逸」三一)
*「みよしのは春のけしきにかすめどもむすぼほれたる雪のした草」(「五代集歌枕」七〇三)

  【六〇】
【弥生ばかりに】−寛弘三年(一〇〇六)三月。
【宮の弁のおもと】−中宮彰子付きの女房。
【参り】−「まいる」は平安の仮名遣い。
【青柳の】−「いと」に掛る枕詞。

  【六一】
【つれづれと】−この歌、古本系陽明文庫本にはナシ。
【長雨降る】−「長雨降る」と「眺め経る」の掛詞。

  【六二】
【思ひ屈しぬべき】−底本「う」をミセケチにして「そ」と訂正する。訂正以前本文「思ひ鬱ず」。古本系の陽明文庫本「思ひくし」(思ひ屈す)とある。今、陽明文庫本に従う。
【人こそ人と】−前の「人」は他の女房たち、後の「人」は自分、一人前の人の意。係助詞「こそ」--「言はざらめ」已然形、係結びの法則、逆接用法。
【身をや】−係助詞「や」--推量の助動詞「べき」連体形、係結びの法則、反語表現。
《参考》*「述懐のこころを  紫式部
わりなしや人こそひとといはざらめみづから身をやおもひすつべき」(尊経閣文庫「続古今集」雑中 一六九九)

  【六三】
【薬玉おこすとて】−誰か未詳。実践本「をこす」は定家の仮名遣い。
【忍びつる根】−「根」と「音」の掛詞。隠れていた菖蒲の根と言わないでいた声。
【言はぬに】−「ぬ」に「沼」を響かす。「根」「沼」は「菖蒲草」の縁語。

  【六四】
【返し】−作者。
【わがみ隠れに】−「我が身」と「水隠れ」の掛詞。「引き」「水隠れ」は「菖蒲草」の縁語。

  【六五】
【土御門殿にて三十講】−寛弘五年(一〇〇八)四月二十三日から五月二十二日まで講じられた。

  【六六】
【その夜】−六五番歌と同日。
【騒がぬ】−「さはく」は平安の仮名遣い。
【澄まむ】−「澄む」と「住む」を掛ける。

  【六七】
【公事に】−型通りに。
【言ひ紛らはすを】−作者はつい涙ぐまれる嫌な身の上を本日の盛事を賛美して涙ぐんだことにした。
【向かひたまへる人】−古本系の陽明文庫本には「大納言の君」とある。源扶義の娘。

  【六八】
【渡殿に来て】−主語は作者。
【押さへて】−実践本「をさふ」は定家の仮名遣い。
【小少将】−源時通の娘。
【放ちて押し下ろしたまへり】−半蔀を上げ放ち、下の格子を取り外した。「をす」は定家の仮名遣い。
【下り居て】−庭に下りた。
【影見ても】−遣水に映るわが姿。
【滝の音】−遣水の滝。「をと」は定家の仮名遣い。
《参考》*「東北院のわたどののやり水にかげをみてよみ侍りける  紫式部
かげ見てもうきわが涙おちそひてかごとがましきたきのおとかな」(書陵部本「続後撰集」雑上 一〇一二)

  【六九】
【一人居て】−小少将の返歌。この歌、古本系陽明文庫本にはナシ。

  【七〇】
【長き根を包みて】−主語は小少将の君。源時通の娘。
【憂きに泣かるる】−「泥土に流るる」を響かす。
【根】−「音」を響かす。「泥土」「流るる」「根」は「菖蒲草」の縁語。
《参考》*「つぼねならびにすみ侍りけるころ、五月六日、もろともにながめあかして、あしたにながきねをつつみて、紫式部につかはしける  上東門院小少将
なべてよのうきになかるるあやめ草けふまでかかるねはいかがみる」(寿本「新古今集」夏 二二三)

  【七一】
【菖蒲】−「菖蒲」と「文目」を掛ける。
【なほ】−「なを」は定家の仮名遣い。
【根】−「根」と「音」を掛ける。
【絶えせね】−サ変「絶えせ」+打消の助動詞「ね」已然形、「こそ」の係結び。
《参考》*「返し  紫式部
なにごととあやめはわかでけふもなほたもとにあまるねこそたえせね」(寿本「新古今集」夏 二二四)

  【七二】
【小少将の君】−源時通の娘。
【天の戸の月の通ひ路】−宮中の戸を見立てる。
《参考》*「ゆふづく夜をかしきほどに、くひなのなき侍りければ  上東門院小少将
あまのとの月のかよひぢささねどもいかなるかたにたたくくひなぞ」(樋口芳麻呂氏本「新勅撰集」雑一 一〇五九)
 

  【七三】
【開かず】−「開かず」と「飽かず」を掛ける。
《参考》「返し  紫式部
まきのともささでやすらふ月かげになにをあかずとたたくくひなぞ」(樋口芳麻呂氏本「新勅撰集」雑一 一〇六〇)

  【七四】
【戸を叩きし人】−藤原道長。
【夜もすがら】−この和歌は『紫式部日記』にも出ている。
《参考》*「よもすがらくひなよりけになくなくぞまきの戸ぐちにたたきわびつる」(黒川本「紫日記」一七)
*「夜ふけてつまどをたたき侍りけるに、あけ侍らざりければ、あしたにつかはしける  法成寺入道前摂政太政大臣
夜もすがらくひなよりけになくなくぞまきのとぐちにたたきわびつる」(樋口芳麻呂氏本「新勅撰集」恋五 一〇一九)

  【七五】
【戸ばかり】−「戸ばかり」と「とばかり」の掛詞。
【ゆゑ】−「ゆへ」は平安の仮名遣い。
【悔しからまし】−反実仮想の助動詞「まし」終止形。悔しい思いをしたことでしょうに、実は開けなかったのでそうはならなかった、意。
《参考》*「ただならじとばかりたたくくひなゆゑあけてはいかにくやしからまし」(黒川本「紫日記」一八)
「返し  紫式部
ただならじとばかりたたくくひなゆゑあけてはいかにくやしからまし」(樋口芳麻呂氏本「新勅撰集」恋五 一〇二〇)

  【七六】
【をかしきほどに】−実践本「おかし」は定家の仮名遣い。
【殿】−藤原道長。
【折らせ】−「おる」は定家の仮名遣い。
【見るからに】−接続助詞「からに」、--と共に、--するや否や。
【露】−道長の恩恵を暗喩する。
《参考》*「をみなへしさかりの色をみるからにつゆのわきける身こそしらるれ」(黒川本「紫日記」一)
*「法成寺入道前摂政太政大臣、女郎花ををりて、歌よむべきよし侍りければ  紫式部
をみなへしさかりの色をみるからに露のわきける身こそしらるれ」(寿本「新古今集」雑上 一五六七)

  【七七】
【白露】−自分藤原道長を暗喩する。
【置かじ】−「をく」は定家の仮名遣い。
【女郎花】−紫式部を暗喩する。
《参考》*「しら露はわきてもおかじをみなへし心からにや色のそむらむ」(黒川本「紫日記」二)
*「返し  法成寺入道前摂政太政大臣
白露はわきてもおかじをみなへし心からにや色のそむらん」(寿本「新古今集」雑上 一五六八)

  【七八】
【久しく訪れぬ人】−夫の宣孝か。実践本「をとつる」は定家の仮名遣い。
【折】−「おり」は定家の仮名遣い。
【なきぞ】−「無き」に「泣き」を掛ける。
《参考》*「題不知  紫式部
「わするるはうきよのつねとおもふにもみをやるかたのなきぞわびぬる」(陽明文庫本「千載集」恋五 九〇八)

  【七九】
【返し】−この和歌は七八番歌の返歌ではない。
《参考》*「題しらず  紫式部
誰がさとにとひもやくるとほととぎす心のかぎり待ちぞわびにし」(寿本「新古今集」夏 二〇四)

  【八〇】
【鹿蒜山】−越前国の歌枕。
【懸け路】−険しい山道。桟道。
【まし】−「猿」と「まし」(二人称)の掛詞。
【なほ】−「なを」は平安の仮名遣い。
【声】−「声」と「呼ぶ」は縁語。
【たごの呼坂】−現在地不明。
《参考》*「紫式部
ましらなくをちかた人に声かはせわれこしわぶるたごのよびさか
 此歌は、宮このかたへとて帰山をこえけるに、よびさかといふ所のいとわりなきかけぢをこしもかきわづらふ、おそろしとおもふに、さるのこのはの中よりおほくいできたればよみけると云々(静嘉堂文庫本「夫木和歌抄」雑三 坂 九二四六)

  【八一】
【伊吹の山】−「伊翠山」は近江国と美濃国との間にある歌枕。
【越の白山】−「白山」は越前国の歌枕。
【雪なれて】−「雪」と「行き」の掛詞。

  【八二】
【そとは】−「そとは」と「卒塔婆」の掛詞。

  【八三】
【人の】−藤原宣孝か。求婚頃の歌。
【誰れも心は】−お互いの心、気持ち。
【言葉隔てぬ契り】−他者を介してのやりとりではない、仲。
【ともがな】−連語「ともがな」(格助詞「と」+終助詞「もがな」)

  【八四】
【返し】−宣孝の求婚頃の歌に対する返歌。長徳四年(九九八)夏頃。
【隔てじとならひしほどに】−主語は作者紫式部。
【夏衣】−「隔て」「慣らひ」「薄き」は「夏衣」の縁語。

  【八五】
【峯寒み】−峯に雪が積もって寒いので。宣孝の返歌。
【行く末しもぞ深くなるらむ】−夫婦仲も行く行くは深くなっていくでしょう、の意。

  【八六】
【宮】−敦成親王、のちの後一条天皇の誕生。なお第一親王は定子腹の敦康親王。
【五日の夜】−寛弘五年(一〇〇八)九月十五日の夜。
【もちながら】−「望月」と「持ち」の掛詞。
《参考》*「後一条院うまれさせたまひて七夜に人人まゐりあひて、さか月いだせとはべりければ  紫式部
めづらしきひかりさしそふさか月はもちながらこそちよもめぐらめ」(書陵部本「後拾遺集」賀 四三三)
*「珍しき光指添ふ杯はもちながらこそちよをめぐらめ  紫式部」(梅沢記念館旧蔵本「新撰朗詠集」四五〇)
*「めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千世もめぐらめ」(群書類従本「後六々撰」一二一)
*「めづらしき光さしそふさか月はもちながらこそ千代もめぐらめ」(穂久邇文庫本「古来風体抄」賀 四三三)
*「珍しき光さしそふ杯はもちながらこそ千代をめぐらめ」(梅沢本「栄華物語」五八)
*「めづらしき光さしそふ杯はもちながらこそ千世は廻らめ」(「今鏡」一一)
*「めづらしき光さしそふさか月はもちながらこそ千代をめぐらめ」(黒川本「紫日記」五)
*「後一条院むまれさせ給ひて、七夜に、女房さかづきいだせと侍りければ  紫式部
めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千世もめぐらめ」(書陵部本「定家八代抄」賀 六〇三)

  【八七】
【又の夜】−寛弘五年(一〇〇八)九月十六日の夜。
【若人たち】−若い女房たち。
【をかしく】−実践本「おかし」は定家の仮名遣い。
《参考》*「後一条院うまれさせたまへりける九月、つきくまなかりける夜、大二条関白、中将に侍りける、わかき人人さそひいでて、池のふねにのせて、中じまのまつかげさしまはすほど、をかしくみえ侍りければ  紫式部
くもりなくちとせにすめる水の面にやどれる月の影ものどけし」(寿本「新古今集」賀 七二二)

  【八八】
【御五十日の夜】−寛弘五年(一〇〇八)十一月一日の夜。
【いかにいかが】−「いか」に「五十」を掛ける。
《参考》*「後一条生まれさせたまひての御五十日の時、法成寺入道前摂政、歌よめと申し侍りければ  紫式部
いかにいかがかぞへやるべきやちとせのあまりひさしききみがみよをば」(尊経閣文庫本「続古今集」賀 一八八五)
*「後一条院御いかのひよみ侍りける  入道前太政大臣
いかにいかがかぞへやるべきやちとせのあまりひさしき君が御代をば」(天理図書館本「続詞花集」賀 三三二)
*「後一条むまれさせたまひての御五十日のとき、法成寺入道前摂政歌よめとありければ  紫式部
いかにいかがかぞへやるべきやちとせのあまりひさしき君がみよをば」(竜門文庫本「万代集」賀 三七六二)
*「いかにいかが数へやるべき八千年のあまり久しき君が御代をば」(梅沢本「栄華物語」五九)
*「いかにいかがかぞへやるべきやちとせのあまり久しき君の御代をば」(黒川本「紫日記」九)

  【八九】
【殿の御】−藤原道長の歌。
《参考》*「題しらず  法成寺入道前摂政太政大臣
あしたづのよはひしあらば君が代の千年の数はかぞへとりてん」(尊経閣文庫本「続拾遺集」賀 七四九)
*「返し  法成寺入道前摂政太政大臣
あしたづのよはひしあらばきみが代のちとせのかずはかぞへとりてん」(竜門文庫本「万代集」賀 三七六三)
*「あしたづの齢しあらば君が代の千歳の数もかぞへとりてん」(梅沢本「栄華物語」六〇)
*「あしたづのよはひしあらばきみが代の千とせのかずもかぞへとりてん」(黒川本「紫日記」一〇)

  【九〇】
【たまさかに返り事したりける人】−作者自身、第三者的に表現している。古本系の陽明文庫本では「たまさかに返り事したりける後」とある。底本「けり」は「ける」の誤写とみて訂正する。
【男】−実践本「おとこ」は定家の仮名遣い。
【折々に】−「おり/\」は定家の仮名遣い。
【ささがにの】−枕詞、「い」に掛る。「ささがに」は蜘蛛のこと。「い」は蜘蛛の網、巣。「書く」に「掛く」を響かす。
《参考》*「紫式部がもとへふみつかはしける返事をたまさかにのみし侍りけるが、猶かきたえにけるにつかはしける  よみ人しらず
をりをりにかくとはみえてささがにのいかにおもへばたゆるなるらん」(尊経閣文庫本「続古今集」恋五 一三七二)

  【九一】
【ささがにの】−「い」に掛る枕詞。
【折に】−実践本「おり」は定家の仮名遣い。
《参考》*「かへし  紫式部
しもがれのあさぢにまよふささがにのいかなるをりにかくとみゆらん」(尊経閣文庫本「続古今集」恋五 一三七三)

  【九二】
【折にか】−実践本「おり」は定家の仮名遣い。
【人】−夫の宣孝であろう。
【入る方】−本妻のもとを暗喩。
【月影】−夫の宣孝を暗喩。
《参考》*「人につかはしける  紫式部
いるかたはさやかなりける月かげをうはのそらにもまちしよひかな」(寿本「新古今集」恋四 一二六二)

  【九三】
【返し】−九二番歌への返歌。
【みなかき曇り】−あなたの機嫌が悪いから、と暗喩。
《参考》*「返し  よみ人しらず
さしてゆく山の端はみなかきくもり心のそらにきえし月かげ」(寿本「新古今集」恋四 一二六三)

  【九四】
【同じ筋】−同じ心持ち。
【秋】−「飽き」を掛ける。夫の夜離れを嘆く。
【月】−他の妻妾を暗喩。
《参考》*「題しらず  紫式部
おほかたの秋のあはれをおもひやれ月に心はあくがれぬとも」(陽明文庫本「千載集」秋上 二九九)

  【九五】
【垣ほ荒れ寂しさまさる】−夫宣孝の死後をいう。
【常夏】−娘の賢子を暗喩。
【置き添はむ】−「をく」は定家の仮名遣い。
【秋までは見じ】−作者病気中の折、生きていられないでしょう、の意。

  【九六】
【露】−自分自身を喩える。

  【九七】
【貝沼の池】−陸奥国にある池。
【歌語り】−歌にまつわる話。
【貝沼】−「貝沼」と「甲斐」の掛詞。
【いけらじ】−「池」と「生け」の掛詞。
【底】−「底」と「其処」の掛詞。

  【九八】
【貝沼】−「貝沼」と「甲斐」の掛詞。
《参考》「かひぬまの池 未国 家集  紫式部
心ゆく水のけしきはけふぞ見るこやよにかへるかひ沼の池」(静嘉堂文庫本「夫木和歌抄」雑五 池 一〇七六二)

  【九九】
【侍従宰相】−宰相(参議)で侍従職を兼ねた藤原実成。「ちしう」は平安の仮名遣い。
【宮の御前】−中宮彰子。
【弘徽殿】−一条天皇の女御、内大臣藤原公季の娘、実成の姉。
【右京】−女房名。
《参考》*「中納言実成さいさうにて五節たてまつりけるにいもうとの弘徽殿女御のもとにはべりける人かしづきにいでたりけるを、中宮の御かたの人人ほのかにききてみならしけむももしきをかしづきにてみるらんほどもあはれにおもふらんといひて、はこのふたにしろがねのあふぎにほうらいの山つくりなどしてさしぐしにひかげのかづらをむすびつけてたきものをたてぶみにこめて、かの女御のかたにはべりける人のもとよりとおぼしうて左京のきみのもとにといはせてはての日さしおかせける  よみ人しらず
おほかりしとよのみや人さしわけてしるきひかげをあはれとぞみし」(書陵部本「後拾遺集」雑五 一一二一)
*「中宮の御方の人
おほかりしとよのみやびとさしおきてしるきひかげをあはれとはみし」(神宮文庫本「難後拾遺抄」九一)
*「多かりし豊の宮人さし分けてしるき日蔭をあはれとぞ見し」(梅沢本「栄華物語」六一)
*「多かりし豊の宮人さし分けてしるき日影を哀とぞみし」(「宝物集」六三)
*「おほかりしとよの宮人さしわきてしるきひかげをあはれとぞみし」(黒川本「紫日記」一三)

  【一〇〇】
【中将少将】−女房名。「中将」は素性不明、「少将」は小少将の君。
【三笠山同じ麓】−「中将」「少将」が同じ近衛府の官人であることをいう。
【さしわきて】−「さし」は「笠」の縁語。

  【一〇一】
【さし越えて】−「さし」は「笠」の縁語。
【入ることかたみ】−形容詞語幹「難」+接尾語「み」、難しいので。
【風をこそ待て】−主語はわたし作者。係助詞「こそ」、「待て」已然形の係結び。

  【一〇二】
【折りて】−実践本「おる」は定家の仮名遣い。
【参らすとて】−「まいる」は平安の仮名遣い。
【埋もれ木の】−底本「むまれ木」は、諸本によって「埋もれ木」と改める。
【香をだに散らせ】−紅梅の色艶はみすぼらしくとも、せめて香りだけは、の意。
【雲の上】−宮中を譬喩。
《参考》*「上東門院中宮と申し侍りける時、里より梅ををりてまゐらすとて  紫式部
むもれ木のしたにやつるる梅の花香をだにちらせ雲の上まで」(吉田兼右筆本「玉葉集」春上 六五)

  【一〇三】
【卯月】−寛弘四年(一〇〇七)四月のこと。
【桜がり】−桜の木のもと。
《参考》*「ゐんの中宮と申してうちにおはしまししとき、ならより、ふこうそうづといふ人のやへざくらをまゐらせたりらせたりしに、これはとしごとにさぶらふひとびとただにはすごさぬを、ことしはかへり事せよ、とおほせごとありしかば
いにしへのならのみやこのやへざくら今日ここのへににほひぬるかな
  ゐんの御かへし
ここのへににほふをみればさくらがりかさねてきたるはるかとぞ見る」(東海大学本「伊勢大輔集」一五)
*「女院の中宮と申しける時、内におはしまいしに、ならから僧都のやへざくらをまゐらせたるに、こ年のとりいれ人はいままゐりぞとて紫式部のゆづりしに、入道殿きかせたまひて、ただにはとりいれぬものをとおほせられしかば
いにしへのならのみやこのやへ桜けふ九重ににほひぬるかな
  とのの御まへ、殿上にとりいださせたまひて、かむだちめ君達ひきつれてよろこびにおはしたりしに、院の御返
ここのへににほふをみれば桜がりかさねてきたるはるかとぞ思ふ」(彰考館本「伊勢大輔集」六)
「伊勢大輔集」では中宮彰子の返歌となっているが、「紫式部集」にある歌で、また「続後拾遺集」(一五七)や「秋風集」(一四〇)では紫式部の歌となっている。この歌は紫式部が中宮彰子に代わって代作した歌である。

  【一〇四】
【祭の日】−賀茂祭(葵祭)の日、寛弘四年(一〇〇七)四月十九日の中の酉の日。
【使の少将】−藤原頼宗、中宮彰子の異母兄妹。明子の子。
【挿頭に賜ふ】−主語は中宮彰子。
【折れる】−実践本「おる」は定家の仮名遣い。
《参考》*「四月祭の日まで、花ちり残りて侍りけるとし、その花を使少将のかざしにたまふ葉に書かきつけ侍りける  紫式部
神よには有りもやしけむ桜花今けふのかざしにをれるためしは」(寿本「新古今集」雑上 一四八五)

  【一〇五】
【改めて】−「改めて」と「年が改まって」との掛詞。

  【一〇六】
【参らぬ】−「まいる」は平安の仮名遣い。
【口惜しなど】−実践本「くちおし」は定家の仮名遣い。
【弁宰相の君】−藤原道綱の女豊子、大江清通の妻。
【摺れる衣】−青摺の衣。五節の行事にたずさわる人が着た。

  【一〇七】
【返し】−弁宰相の君。藤原道綱の女豊子、大江清通の妻。
【山藍】−「山藍(やまゐ)」は「やまあゐ」の約。
【衣】−「頃」を掛ける。
【着】−「来」を掛ける。

  【一〇八】
【人】−夫の宣孝。
【おこせたる】−実践本「をこす」は定家の仮名遣い。
【ほがらかに】−はっきりと。

  【一〇九】
【返し】−夫の一〇八番歌に対する返歌。
【いつしかと】−いつのまにか、早くも。
【秋】−「飽き」を掛ける。
【世】−夫婦仲を譬喩。
《参考》*「七月一日あけぼのの空をみてよめる  紫式部
しののめの空きりわたりいつしかと秋のけしきに世はなりにけり」(吉田兼右筆本「玉葉集」秋上 四四九)

  【一一〇】
【七日】−七月七日。
《参考》*「七夕の歌の中に  紫式部
おほかたを思へばゆゆしあまの川けふの逢瀬はうらやまれけり」(細川文庫本「風雅集」秋上 四六六)

  【一一一】
【返し】−作者の一一〇番歌に対する夫宣孝の返歌。

  【一一二】
【門の前より渡るとて】−わたしの家の門の前を夫の宣孝が通りかかるので。
【なほざりの】−「なをさり」は平安の仮名遣い。
《参考》*「門の前をとほるとてうちとけたるさまをみんと人の申して侍りければ、返事にかきてつかはしける  紫式部
なほざりのたよりにとはん一言にうちとけてしもみえじとぞ思ふ」(吉田兼右筆本「玉葉集」恋三 一五五四)

  【一一三】
【横目】−他の女性に関心を寄せること。竹内『評釈』では「夜ごめ」と解す。
【ゆめ】−副詞。けっして、--しない。
【いかでかは】−疑問、どのようにして。

  【一一四】
【九月九日】−重陽の節供。
【上の御方】−殿の北の方、源倫子。
《参考》*「九月九日、従一位倫子菊のわたをたまひて、おいのごひすてよと侍りければ  紫式部
きくのつゆわかゆばかりにそでふれて花のあるじに千世はゆづらむ」(樋口芳麻呂氏本「新勅撰集」賀 四七五)
*「きくの露わかゆばかりにそでふれて花のあるじに千代はゆづらむ」(黒川本「紫日記」四)

  【一一五】
【小少将の君】−源扶義の女、道長の北の方倫子の姪。
【雲間】−底本「くまも」、諸本によって改める。
【かきくらし】−心が真っ暗になって、の意を暗喩。
【しのぶる時雨】−主語は小少将の君。「時雨」は涙を象徴。
【なるらむ】−副詞「いかに」と呼応。断定の助動詞「なる」連体形+推量の助動詞「らむ」原因推量の意。
《参考》*「さとにいでて時雨しける日、むらさき式部につかはしける  上東門院小少将
雲まなくながむるそらもかきくらしいかにしのぶるしぐれなるらむ」(樋口芳麻呂氏本「新勅撰集」冬 三八〇)
*「雲間なくながむるそらもかきくらしいかにしのぶるしぐれなるらむ」(黒川本「紫日記」七)

  【一一六】
【ことわりの】−降るのが当然の季節の意。「ことはり」は平安の仮名遣い。
《参考》*「返し  紫式部
ことわりのしぐれのそらはくもまあれどながむるそでぞかわくよもなき」(樋口芳麻呂氏本「新勅撰集」冬 三八一)
*「ことわりのしぐれの空は雲まあれどながむる袖ぞかわくよもなき」(黒川本「紫日記」八)

  【一一七】
【大納言の君】−源時通の娘の簾子、道長の北の方倫子の姪。
【浮き寝せし水の上】−宮仕え生活を暗喩。
【鴨の上毛】−寒さを被うことを象徴。
【さえ】−「冴える」意。
《参考》*「冬ころさとにいでて、大納言三位につかはしける  紫式部
うきねせし水のうへのみこひしくてかものうはげにさえぞおとらぬ」(樋口芳麻呂氏本「新勅撰集」雑一 一一〇五)
*「うきねせし水のうへのみ恋しくてかものうはげにさえぞおとらぬ」(黒川本「紫日記」一一)

  【一一八】
【返し】−一一七番歌の返歌。作者は大納言の君、源時通の娘の簾子。
【鴛鴦】−歌語「鴛鴦」。仲睦まじい鳥。相手の紫式部を暗喩。
《参考》*「返し  従三位簾子
打ちはらふ友なきころのねざめにはつがひしをしぞ夜はにこひしき」(樋口芳麻呂氏本「新勅撰集」雑一 一一〇六)
*「うちはらふともなきころのねざめにはつがひしをしぞ夜半に恋しき」(黒川本「紫日記」一二)

  【一一九】
【心尽くしに】−物思いの限りを尽くす。心を砕いて。
【暮れぬる】−涙に目が曇る。

  【一二〇】
【相撲御覧ずる日】−寛弘四年(一〇〇七)八月十八日の臨時相撲(南波浩)。
【住まひ】−「相撲(すまひ)」を響かす。「すまゐ」は平安の仮名遣い。
【雨もよに】−雨の中を。副詞「よに」を掛ける。

  【一二一】
【返し】−一二〇番歌に対する返歌。友人の女房。
【相撲憂し】−相撲が雨で中止になって残念の意。「相撲」に「住まひ」を掛ける。「すまゐ」は平安の仮名遣い。
【思ひ知るやは】−係助詞「やは」疑問の意。

  【一二二】
【人の】−同僚の女房。
【ありふる】−「経る」と「降る」の掛詞。
【初雪】−底本「はつつき」は「はつゆき」の誤写とみて改める。

  【一二三】
【返し】−一二二番歌に対する返歌。作者。
【経れば】−「降れば」を掛ける。
《参考》*「おもふこと侍りけるころ、はつゆきのふり侍りけるに  紫式部
ふればかくうさのみまさる世をしらであれたる庭につもるはつ雪」(寿本「新古今集」冬 六六一)
*「ふればかくうさのみまさるよをしらであれたる庭につもるはつゆき」(書陵部本「定家十体」五四)

  【一二四】
【小少将の君】−源扶義の女、道長の北の方倫子の姪。
【加賀少納言】−素性不明の女房。
【暮れぬ間の身】−一日の間。はかない寿命をいう。
《参考》*「うせにける人のふみの、ものの中なるをみいでて、そのゆかりなる人のもとにつかはしける  紫式部
くれぬまの身をば思はで人のよのあはれをしるぞかつははかなき」(寿本「新古今集」哀傷 八五六)

  【一二五】
【誰れか世に】−係助詞「か」、「見む」連体形に係る、係結びの法則。反語表現。今見ているこのわたしもいずれ見られなくなる気持ちの表出。
《参考》*「上東門院小少将身まかりて後、つねにうちとけてかきかはしけるふみの、ものの中に侍りけるをみいでて、加賀少納言がもとにつかはしける  紫式部
たれかよにながらへてみむかきとめし跡はきえせぬかたみなれども」(寿本「新古今集」哀傷 八一七)

  【一二六】
【返し】−一二五番歌に対する返歌。加賀少納言。
《参考》*「返し  加賀少納言
なき人をしのぶることもいつまてぞけふのあはれはあすの我が身を」(寿本「新古今集」哀傷 八一八)

  【奥書】
     本に云く
      京極黄門定家卿筆跡本を以て、一字違はず、行賦・字賦、隻紙の勢分に至るまで本の如く、今之を書写す。時に延徳二年(一四九〇)十一月十日、之を記す
              癲老比丘判
      天文廿五年(一五五六)夾鐘上澣書写之