紫式部日記 First updated 05/01/2004
Last updated 12/01/2008(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)

紫式部日記(黒川本)

《参考文献》

萩谷朴著『紫式部日記全注釈』(上・下 昭和46年11月・48年3月 角川書店)略号『全注釈』
山本利達校注『紫式部日記 紫式部集』(新潮日本古典集成 昭和55年2月 新潮社)略号『集成』
伊藤博校注『紫式部日記』(新日本古典文学大系 1989年11月 岩波書店)略号『新大系』
中野幸一校注・訳『紫式部日記』(新編日本古典文学全集 1994年9月 小学館)略号『新編全集』
宮崎荘平全訳注『紫式部日記』(上・下 講談社学術文庫 2002年7月・8月 講談社)略号『学術文庫』

第一部 敦成親王誕生記
《第一章 寛弘五年(一〇〇八)秋の記》
【一 土御門殿邸の初秋の様子】

【秋のけはひ入りたつままに】−寛弘五年(一〇〇八)の秋。一条天皇(二十九歳)の中宮彰子(二十一歳)は出産を控えて七月十六日から里邸(土御門第)に下がっていた。八月に入った頃の様子。
【土御門殿のありさま】−彰子の父藤原道長(四十三歳)の邸。土御門大路の南、東京極大路の西、南北二町を占める邸宅。
【風のけはひ】−底本「風の気色」。『全注釈』『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は逸文『日記切』『栄花物語』に従って「風のけはひ」と訂正する。
【御前にも】−中宮彰子、この年二十一歳。道長の長女彰子が一条天皇に入内したのは長保元年(九九九)十一月、それから九年後のこと。紫式部の中宮彰子への出仕は寛弘三年(一〇〇六)十二月二十九日(寛弘元年また二年説もある)。
【忘らるるも】−底本「わすらるにも」。格助詞および接続助詞「に」は連体形に接続する。よって「忘ら」(未然形)+自発助動詞「る」(下二型活用の終止形)は語法的に適切ではない。『全注釈』『新大系』『新編全集』『全訳注』は逸文『日記切』に従って「忘らるるも」と連体形の本文に訂正する。ただ『集成』は「わすらるるにも」と訂正する。四段動詞「忘ら」(未然形)+自発助動詞「るる」(連体形)+「も」(接続助詞)。「忘る」(四段活用)について、『小学館古語大辞典』に「上代東国には「わする」に四段活用と下二段活用とがあり、それらは意志的・能動的見地と自然的見地というような意味の区別がある事実から、更に古くは四段活用のみがあって、下二段活用はそれに受動態を表す接尾語が加わり融合したものであろうという(有坂秀世)。中央語では、四段活用が「わすらゆ」「わすらす」などの一部分の慣用形態を残して後退し、下二段活用の意味領域が広くなっている。意思を越えて記憶が消滅する状態と、記憶がなくなった状態を意志的に求める行為と、両方を区別なく表す。一方、「わすらゆ」は受動態をつくるため「わする」の下二段活用と近くなり、活用の新古とみられるに至ったのであろう。なお、両活用の関係は平安時代の事例の説明にも適用できる。」(原田芳起「わする」語誌)とあり、『明解古語辞典』では、「忘る」(四段活用)は上代語、ただし未然形「忘ら」だけは「忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」(拾遺集・恋四・右近、百人一首38)のように、助動詞「る」を伴って平安時代以後も用いられた、と説明している。

【二 五壇の御修法】

【女官】−「にょうくわん」と読む。高級「女官」を「にょくわん」といい、女嬬・采女等の下級「女官」を「にょうくわん」という。上格子・下格子の上げ外し等は、掃司の女嬬の仕事。
【蔵人】−女蔵人をいう。女蔵人は下臈女房だが、高級女官のうち。
【五壇の御修法】−天皇または国家の大事の時だけに宮中で中央及び東西南北に五つの壇を築いて、それぞれに五大明王を勧請して息災、調伏などを行う大掛かりな修法。土御門殿の東の対に設けられた。
【観音院の僧正】−勝算。中壇の不動明王を受け持つ。
【法住寺の座主】−慶円かとされる。降三世明王を受け持つ。
【浄土寺の僧都】−底本「へんちゝの僧つ」。「浄土」の草体を「遍知」と誤写した本文誤謬とされる。明教のこと。金剛夜叉明王を受け持つ。『集成』『新大系』『学術文庫』は注釈では「浄土寺」または「浄土寺か」としながら本文では「へんち寺」のままとする。『全注釈』『新編全集』は本文も「浄土寺」と改める。
【斎祇阿闍梨】−底本「さいさ阿さり」。斎祇(さいぎ)阿闍梨の誤り。大威徳明王の壇を担当。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は注釈では「斎祇」または「斎祇か」としながら本文では「さいさ」のままとする。『全注釈』は本文も「斎祇」と改める。

【三 道長との女郎花の歌の贈答】

【殿】−藤原道長。四十三歳。左大臣。
【さし覗かせたまへる】−『全注釈』「他本に終止形で文章を締め括っているのに従うここととする」として「さしのぞかせ給へり」とする。
【女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ】−紫式部の歌。『紫式部集』七六段。詞書「朝霧のをかしきほどに、御前の花ども色々に乱れたる中に、女郎花いと盛りなるを、殿御覧じて、一枝折らせさせたまひて、几帳の上より、「これただに返すな」とて、賜はせたり」。寿本『新古今和歌集』(雑上 一五六七 紫式部)に入集。
【白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染むらむ】−藤原道長の返歌。『紫式部集』七七段。詞書「と書きつけたるを、いととく」。寿本『新古今和歌集』(雑上 一五六八 法成寺入道前摂政太政大臣)に入集。

【四 殿の子息三位の君頼通の姿】

【宰相の君】−中宮付きの女房。藤原豊子。大納言道綱の娘。
【殿の三位の君】−底本「とのゝうち殿三位の君」の「うち殿(宇治殿)」は後人の傍注の本文混入。諸本「殿の三位の君」と校訂する。道長の長男頼通。十七歳。
【多かる野辺に】−「女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をや立ちなむ」(古今集秋上 小野良材)による。

【五 碁の負わざ】

【播磨守】−未詳。藤原有国説(『全注釈』)、平生昌(なりまさ)説(『新大系』『新編全集』)などがある。
【碁の負けわざ】−囲碁で負けた側が勝者側を饗応すること。
【紀伊の国の白良の浜に拾ふてふこの石こそは巌ともなれ】−「この石」は「碁の石」との掛詞。「拾ふ」「石」は「碁」の縁語。「天禄四年(九七三)五月二十一日円融院資子内親王乱碁歌合」の歌を本歌とする(『全注釈』)。新編国歌大観本『夫木和歌集』(静嘉堂文庫本)に「天禄三年五月資子内親王家歌合 読人不知 こころあてにしららのはまにひろふてふ石のいはほとならんよをしこそまて」(10209)とある。新編国歌大観本『兼盛集』(書陵部本)に「しららの浜 君が代のかずともとらん紀の国のしららのはまにつめるいさごを」(57)という歌もある。

【六 八月二十日過ぎの宿直の様子】

【橋の上対の簀子】−透渡殿の橋の上、東の対の簀子。
【宮の大夫斉信】−底本の割注に「なりのふ」とあるが、中宮大夫藤原斉信(ただのぶ)の誤読。この時、従二位権中納言中宮大夫右衛門督、四十二歳。
【左の宰相中将経房】−宰相兼左中将源経房。笙の名手。この時、従三位参議左近衛権中将近江守、四十歳。
【兵衛の督】−源憲定(のりさだ)。この時、従三位右兵衛督
【美濃の少将済政】−源済政。笛、和琴の名手。

【七 八月二十六日、弁宰相の君の昼寝姿】

【弁の宰相の君】−前出の宰相の君と同人。藤原豊子。
【絵に描きたるものの姫君】−物語絵の姫君。
【心なく】−底本「心ちなく」。諸本、意により「心なく」と校訂する。『集成』「考えずに」、『新大系』『学術文庫』「無遠慮に」、『新編全集』「思いやりもなく」と訳す。

【八 九月九日、菊の綿の歌】

【菊の綿】−菊の着せ綿。重陽の節句の行事。
【兵部のおもと】−中宮付きの女房。素姓未詳。
【殿の上】−藤原道長の正室源倫子。四十五歳。
【菊の露若ゆばかりに袖触れて花のあるじに千代は譲らむ】−『紫式部集』第一一四段。詞書「九月九日、菊の綿を上の御方より賜へるに」。『新勅撰和歌集』(賀 四七五 紫式部)に入集。

【九 九月九日の夜、御前にて】

【小少将の君】−中宮付きの上臈の女房。倫子の姪、源時通の娘。
【大納言の君】−中宮付きの上臈の女房。倫子の姪、源扶義の娘廉子。
【夜中ばかりより騒ぎたちてののしる】−中宮彰子が産気づかれた。

【一〇 九月十日、産室に移る】

【御帳】−御帳台。
【君達】−道長の子息たち。頼通十七歳、教通十三歳など。
【四位五位】−道長の家司たち。中宮権大進橘為義、甲斐守藤原惟憲、前武蔵守藤原惟風、散位藤原季随、中宮亮近江守源高雅、下野権守藤原公則、美作介藤原泰通、多米国平、平重義、丹波奉親等(『全注釈』)。
【三世の仏】−前世・現世・来世の仏。
【やむごとなき僧正、僧都】−僧正雅慶・権僧正勝算・大僧都慶円・権大僧都済信・同定澄・権少僧都院源・前権少僧都明救等(『全注釈』)。

【一一 九月十一日の暁、加持祈祷の様子】

【暁に】−底本「あか月も」。『全注釈』『集成』『新大系』『学術文庫』は「暁に」と校訂、『新編全集』は「暁も」のままとする。
【僧正】−雅慶。東寺の正法務。倫子の父源雅信の四歳年下の叔父。八十九歳。
【定澄僧都】−底本「きやうてふ」の「き」は草仮名「知」または「千」を「支」または「木」と見誤ったことから生じた本文転化。権大僧都興福寺別当。七十四歳。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は注釈では「定澄」または「定澄の誤写か」としながらも本文では「きやうてふ」のままとする。『全注釈』は本文も「定澄」と改める。
【法務僧都】−「法務」は諸大寺で庶務を総理する僧職名。済信。倫子の異母兄。
【院源僧都】−法性寺の座主。
【書き加へて】−底本「かきかへて」。諸校訂本、文意により改める。
【涙をえおし入れず】−底本「涙をゑをしいれす」。『全注釈』『集成』『新大系』は「涙をえほしあへず」(涙をかわかすひまもない)と訂正する。『新編全集』『学術文庫』は底本に従って「涙をえおし入れず」(涙を押しとどめることができず)と校訂する。
【讃岐の宰相の君】−底本「さぬきと宰相君」。諸校訂本、文意に従って改める。前出の宰相の君。道綱の娘。
【内蔵の命婦】−道長家の女房。教通の乳母。
【仁和寺の僧都の君】−済信。前出の法務僧都。
【三井寺の内供の君】−永円。彰子の母倫子の姉の子、従兄。
【一間】−底本「一さ」。「さ」は字母「万」の誤写。諸校訂本「一間」と校訂。
【宮の内侍】−中宮付きの上臈の女房。橘良芸子。
【弁の内侍】−帝付きの女房で中宮付きの女房を兼務。出自不詳。
【中務の君】−中宮付きの女房。源致時の女従三位隆子か。
【大輔の命婦】−中宮付きの女房。大江景理妻。
【大式部のおもと殿の宣旨】−「大式部のおもと」と「殿の宣旨」は同一人物。道長付きの上臈の女房。
【尚侍】−道長の次女妍子。十五歳。
【中務の乳母】−藤原惟風妻、高子。
【姫君】−道長の三女威子。十歳。
【少納言の乳母】−素姓不明。
【いと姫君】−道長の四女嬉子。二歳。
【小式部の乳母】−藤原泰通妻。
【宰相中将】−藤原兼隆。道長の甥。
【四位の少将】−源雅通。倫子の甥。
【左宰相中将】−源経房。
【宮の大夫】−中宮大夫藤原斉信。
【よろづの恥】−『全注釈』は「よろづ恥」と校訂する。

【一二 無事出産】

【小中将の君】−中宮付きの女房。
【左の頭中将】−源頼定。為平親王の次男。
【人ごと】−底本「人こと」。「こ」は字母「古」とも「悲」とも読める事態。『全注釈』『集成』は「ひ」と読む。『新大系』は「こ」と読み「人々」と改める。『新編全集』『学術文庫』は「人ごと」と読む。
【源の蔵人】−中宮付きの女蔵人。憑坐(よりまし)を差し出した女房。
【心誉阿闍梨】−藤原重輔の三男。三十八歳。源の女蔵人が差し出した憑坐を担当。
【兵衛の蔵人】−中宮付きの女蔵人。憑坐(よりまし)を差し出した女房。
【妙尊】−底本「そうそ」。『全注釈』は「そ」は「め」の誤写と見て「妙尊」とする。延暦寺の僧侶。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【右近の蔵人】−中宮付きの女蔵人。憑坐(よりまし)を差し出した女房。
【法住寺の律師】−権律師尋光。藤原為光の子、斉信の弟。
【宮の内侍の局】−中宮付きの女房。憑坐(よりまし)を差し出した女房。
【千算阿闍梨】−底本「ちそう」。『全注釈』は「そう」は「さん」からの音韻転化と見て「千算」とする。勝算の弟子。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【念覚阿闍梨】−藤原済時の子、円明寺検校。
【宰相の君】−典侍藤原豊子。憑坐(よりまし)を差し出した女房。
【をぎ人】−底本「せき人」。「せ」は「を」の誤写。『集成』『新大系』は清音「をき人」と読む。「呼 ヲク」(色葉字類抄)。
【叡効】−園城寺の僧侶。阿闍梨。

【一三 午後、安堵と男御子誕生の慶び】

【殿の上】−道長の北の方倫子。
【内には】−『全注釈』は「内裏には」とするが、他の諸本は「内には」と解釈する。
【御湯殿の儀式】−新生児に産湯をつかわせる儀式。誕生直後の産湯ではなく、公的儀礼的な沐浴の儀式。
【縫物、裳】−『全注釈』は「縫物も」とするが、他の諸本は「縫物、裳」と解釈する。

【一四 外祖父道長の満足げな様子】

【渡殿より】−紫式部の居室である渡殿の戸口の局から。
【宮の大夫】−中宮大夫藤原斉信。
【春宮の大夫】−藤原兼平。
【殿】−藤原道長。
【右の宰相中将】−藤原兼隆。
【権中納言】−藤原道隆の四男、故皇后定子や伊周の弟、隆家。三十歳。
【対の簀子】−東の対の西面の簀子。

【一五 内裏より御佩刀参る】

【御佩刀】−天皇から新皇子に賜る守り刀。御剣。
【頭中将頼定】−前出「左の頭中将」。源頼定。
【伊勢の奉幣使】−底本「いと」。諸本「伊勢」と校訂する。例年九月十一日に伊勢神宮に奉幣使が発遣される。
【立ちながら】−立ったままであれば穢れに触れないとされていた。源氏物語の夕顔巻で、源氏が夕顔の死に遭遇した後の病臥中、頭中将が見舞いに来た場面の応対を参照。
【橘の三位】−橘徳子。傍注「つな子」は「徳」の誤読。一条天皇の乳母。藤原有国の妻。
【大左衛門のおもと】−中宮付きの女房。
【備中守道時の朝臣のむすめ蔵人の弁の妻】−「大左衛門のおもと」の説明。底本「むねとき」。『全注釈』は「道時」と訂正、『集成』『新編全集』『学術文庫』は本文「むねとき」とし、頭注に「道時の誤りか」とする。『新大系』は「むねとき」のままとする。備中守橘道時朝臣の娘で、蔵人弁藤原広業の妻。広業は藤原有国の子。

【一六 御湯殿の儀式】

【緑の衣】−六・七位の官人が着る深緑・浅緑の袍。
【当色着て】−底本「たうしきて」。諸本、文意により「当色着て」と校訂する。特別な儀式・行事等に奉仕する官人に対して支給される一定の色の衣服。
【尾張守近光】−底本「をはりのかみちかみつ」。『全注釈』は当時の尾張守は藤原中清であって該当しない、「ちかみつ」の名に近いものとして織部親光がいるとして、「織部正親光」を充てる。『集成』は本文「をはりのかみちかみつ」とし、頭注に「織部正親光か」とする。『新大系』は本文「尾張の守ちかみつ」、注に「藤原知光か」とする。『新編全集』は「尾張の守知光」とし、頭注に「美作守藤原為昭の子。東宮大進。ただし尾張守任官は寛弘七年(一〇一〇)二月」とある。『学術文庫』は「尾張守近光」とする。後の官職名の混乱があったものか。
【宮の侍の長なる仲信】−底本「をくなる」は「をさなる」の誤写。中宮職の下級官人で、雑事に奉仕する侍の頭。六人部仲信。
【かきて】−底本「きて」。諸本「か」の脱字とみて、校訂する。
【もとに】−底本「ともに」。諸本、文意により語句の転換とみて、校訂する。
【清子の命婦】−中宮付きの女房。橘清子。
【播磨】−中宮付きの女房。
【大木工右馬】−大木工と右馬。いずれも中宮付きの女房。
【入る】−底本「いか」。文意によって改める。
【頭つき】−底本「かしらつな」。文意によって改める。
【御湯殿は宰相の君】−産湯を使わせる主役。宰相の君は前出。
【御迎へ湯大納言の君】−底本「御むかへ内」。文意によって「御むかへゆ」と改める。産湯を使わせる介添え役。源廉子。左大弁源扶義の娘。
【虎の頭】−剥製の虎の頭を湯に映して邪気を除くまじない。
【殿の君達二ところ】−道長の子息、頼通と教通。
【散米】−底本「うちさき」。文意によって改める。
【浄土寺の僧都】−底本「へんちし」。前出、前権少僧都明救。『集成』と『新大系』は「浄土寺の僧都明救の誤りか」と注しながら本文では「へんち寺」のままとする。
【扇】−底本「あふ事」。文意に従って改める。
【文読む博士】−読書博士。紀伝・明経道の博士が御湯殿の儀に際して漢籍のめでたい一節を読み上げる。
【蔵人弁広業】−前出、藤原広業。紀伝博士。
【史記の一巻】−司馬遷著『史記』130巻の第1巻。「五帝本紀」の黄帝の一節を読む。ただし、『御堂関白記』では『孝経』とする。
【弦打ち】−鳴弦。弓の弦を弾いて音を出す魔除けのまじない。
【夜さりの御湯殿】−御湯殿の儀は朝夕二度行われる。若宮の誕生は午の刻であったため、第一回目朝の儀が酉の刻に行われ、第二回目夕の儀は子の刻に行われた。
【伊勢守致時】−伊勢守従四位上中原致時。明経博士。
【孝経】−『孝経』天子章の一節を読む。
【挙周】−散位従五位下大江挙周。匡衡の子。母は赤染衛門。紀伝博士。
【史記文帝の巻】−『史記』巻第十「孝文本紀第十」のことか。『全注釈』は「「漢書文帝の巻」というべきところを「史記文帝の巻」と誤ったもの」と注す。
【七日のほど】−御湯殿の儀のは朝夕二回ずつ七日間行われ、読書の博士も交替でそれに奉仕する。

【一七 九月十二日、女房たちの服装】

【色聴されたる】−禁色を許された上臈の女房。

【一八 九月十三日夜、三日の中宮職主催の御産養】

【右衛門督】−『絵詞』の割注に「大夫斉信」とある。従二位権中納言中宮大夫右衛門督藤原斉信。四十二歳。
【源中納言】−『絵詞』の割注に「権大夫俊賢」とある。この時、正三位権中納言治部卿中宮権大夫、十月十六日には行幸の賞に従二位に叙される。四十九歳。源高明の三男。
【藤宰相】−『絵詞』の割注に「権亮実成」とある。この時、正四位下参議中宮権亮侍従、十月十六日には行幸の賞に従三位に叙される。三十四歳。内大臣公季の長男。
【近江守】−『絵詞』には「高雅」ナシ。『全注釈』は「高雅」を削除し「近江守」とする。従四位下中宮亮兼近江守源高雅。道長の家司。
【御屏風】−底本「御ひやうふともを」。『絵詞』は「御ひやうふ」とある。諸本「御屏風どもを」とするが、『絵詞』に従って「ともを」を削除する。

【一九 九月十五日夜、五日の道長主催の御産養】

【五日の夜は】−底本「五日夜は」。『絵詞』には「五日の夜は」とある。「の」を補って読む。
【篝火ども】−底本「かゝり火よもを」。『絵詞』は「かゝり火とも」とある。『全注釈』同様に「篝火ども」と訂正する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「篝火どもを」と校訂する。
【屯食ども立てわたす】−『全注釈』『集成』『新大系』は「あやしき」を修飾する文脈とする。
【けはひ】−底本「けはいも」。『絵詞』は「けはひ」。『全注釈』同様に「も」を削除する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「けはひも」のままとする。
【岩の隠れ】−底本「いはかくれ」。『絵詞』は「いはのかくれ」。『全注釈』同様に「の」を補入する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「岩隠れ」のままとする。
【もとに】−底本「もとことに」。『絵詞』は「もとに」。『全注釈』同様に「こと」を削除する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「もとごとに」のままとする。
【うち群れつつ】−底本「うちむれて」。『絵詞』は「うちむれつゝ」。『全注釈』同様に「つつ」と訂正する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「うち群れて」のままとする。
【光】−底本「光の」。『絵詞』は「ひかり」。『全注釈』同様に「の」を削除する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「光の」のままとする。
【および顔にぞ】−底本「およひかほにこそ」。『絵詞』は「およひかほにそ」。「『全注釈』『集成』『新大系』は「および顔にぞ」と校訂。『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【すずろに】−底本「そゝろに」。『絵詞』は「すゝろに」。「そぞろ」は「スズロの母音交替形」(岩波古語辞典)。「(「すずろ」は)「歌語としてはあまり用いられず、散文語であった。同源の語に「そぞろ」がある。源氏物語では、体言や用言を修飾し、体言と複合語をつくり、用法がかなり自由であるが、「そぞろ」は「寒し」に続く場合だけである。平家物語や徒然草、節用集や日葡辞書では「そぞろ」が多く用いられ、体言や用言の修飾、体言との複合も「そぞろ」である。室町時代は「そぞろ」が優勢である。「すずろ」と「そぞろ」の間に「すぞろ」がある。平家物語に多く、栄花物語・正法眼蔵随聞記などにも見える。平安後期、鎌倉時代に多く用いられたようである。なお、「そそろか(=背ガ高イ)」は、「そぞろ」と同源の語と考える説もあるが、意味の違いが大きいので、別語であろう」(小学館古語大辞典・語誌)。『全注釈』は「すずろ」と校訂。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【まいて】−底本「まして」。『絵詞』は「まいて」のイ音便形。『全注釈』は「まいて」と校訂。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【腰】−底本「こしも」。『絵詞』は「こし」。『全注釈』『集成』は「腰」と校訂。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【一つ色に】−『絵詞』は「ひとつのいろに」とある。『全注釈』は「の」ある『絵詞』のほうが「文章の句調がととのう」として訂正するが。「一色に」の文意であるから、底本のままとする。
【とりつづき】−底本「もてつゝき」。『絵詞』は「とりつゝき」。『全注釈』同様に「とりつづき」と訂正する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【宮の内侍】−前出、橘良芸子。中宮付きの古参の女房。
【やうだい】−底本「やうたいに」。『絵詞』は「やうたい」。『全注釈』同様に「に」を削除する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【源式部】−底本割注「かゝのかみ景ふかむすめ」。『絵詞』割注「かゝのかみしけふんか女」とある。従五位下加賀守源重文の娘。中宮付きの女房。『全注釈』『集成』は「重文が女」と訂正。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は本文「景ふがむすめ」としながら注記では「源重文の娘か」とする。
【小左衛門】−橘道時の娘。大左衛門の妹。
【小兵衛】−『絵詞』に「小兵部」とあるのは誤り。『絵詞』割注に「とそいひける」とある。『絵詞』に従って補う。源明理の娘。
【大輔】−伊勢大輔。歌人としても有名。大中臣輔親の娘。
【大馬】−藤原頼信の娘。
【小馬】−高階道順の娘。
【小兵部】−底本「なり(なり$)/なかちかゝ女」。『絵詞』割注「なるちかたたか女」。藤原庶政(ちかただ)の娘。『全注釈』『集成』は『絵詞』に従って「なる庶政が女」と校訂。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は割注を「なかちかが女」とし注記では「絵詞の「ちかたゝ」により藤原庶政の娘か」とする。
【小木工】−底本『絵詞』共に「のふよし」とあるが、「のぶよし」は「のりよし」の誤りで、平文義(のりよし)の娘か。底本割注「いひけん」。『絵詞』には「いひ侍るなる」とある。『全注釈』は「いひ侍るなる」と訂正。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【例は、御膳まゐるとて】−以下、『絵詞』は「見ものなりしか」まで脱文。
【選らみたまへりしを】−底本「ゑらみたまひしを」。『全注釈』『集成』『新大系』は道長に対する敬語法として不適切だとし流布本に従い「えらせたまへりしを」と改める。『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【戸口のかたに】−以下、『絵詞』は「まゐりすゑたり」まで脱文。
【采女、水司、御髪上げども】−『絵詞』はナシ。
【見知らぬ】−底本「しらぬ」。『絵詞』には「みしらぬ」とある。『全注釈』同様に「見知らぬ」と訂正。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【渡殿の戸口】−『絵詞』は「わた殿のくち」とある。『全注釈』は「東廊ばかりか、南の方の橋廊の入り口あたりまでも居並んでいたので、その双方をさして「廊・渡殿」という必要があったし、橋廊には妻戸はなく、従って橋廊への入り口を「戸口」とはいえない」として「渡殿のくち」と校訂するが、底本のままとする。
【大式部のおもと】−道長家の女房。陸奥守藤原済家の妻。
【宣旨よ】−底本「さむしよ」。『絵詞』には「せんしなり」とある。『全注釈』は「第十一節にも「殿の宣旨よ」とあったので、諸本のプロパー本文に従う」とする。「さむし」は「せんし」の誤写。
【大輔の命婦】−前出、中宮付きの女房。大江景理の妻。
【弁の内侍】−帝付きで中宮付き兼務の女房。
【少将のおもと】−道長家の古参の女房。藤原尹甫の娘、藤原宗相の妻。
【白銀のはくさい】−底本「しろかねのはくさい」。『全注釈』は「この難解な本文が原文に近く、他の諸本は、その難解さを避けて「さい」二字を除去して、「はく」としたものかと推定される」として、底本のまま「箔(はくさい)。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「箔(はく)」と校訂する。
【ありさま】−底本「ありさまの」。『絵詞』には「ありさま」とある。『全注釈』同様に「ありさま」と訂正。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【いと】−底本ナシ。『絵詞』には「いと」とある。『全注釈』同様に「いと」を補入。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【まだ】−底本「またゑ」。『絵詞』には「また」とある。『全注釈』同様に「ゑ」を削除し「まだ見たまはじ」(まだ御覧にならないでしょう)と読む。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま「またえ見たまはじ」(またと御覧になれないでしょう)と校訂。
【手を押しすりてぞ喜びはべりし】−『絵詞』には「手をすりてよろこひよろこひ侍し」とある。『全注釈』『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【上達部】−『絵詞』には「上達部の」とある。「の」は不要。『全注釈』『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千代もめぐらめ】−紫式部の詠歌。「さかづき」に「盃」と「栄月」、「持ち」と「望」、「さしそふ」に盃を「さしそふ」と光が「さしそふ」の両意を懸ける。「光」「さし」「もち(望)」「めぐる」は「月」の縁語。『紫式部集』第八六段。題詞「宮の御産屋、五日の夜、月の光さへことに隈なき水の上の橋に、上達部、殿よりはじめたてまつりて、酔ひ乱れののしりたまふ。盃の折にさし出づ」。『後拾遺集』(賀、四三三歌。題詞「後一条院生まれさせたまひて七夜に人びと参りあひて女房盃出せとはべりければ 紫式部」)入集。第五句に関して底本「千代を」。『絵詞』には「千代も」とある。定家本「紫式部集」は「千代を」。「後拾遺集」は「千代も」。『全注釈』『集成』『新大系』は「千代も」と校訂。『新編全集』『学術文庫』は底本のまま「千代を」とする。
【四条大納言】−藤原公任。当代きっての文化人、歌壇の重鎮的存在。当時は従二位中納言皇太后宮大夫兼左衛門督で四十三歳。道長と同年。公任が大納言に昇進するのは翌寛弘六年三月四日である。底本及び『絵詞』すべて「四条大納言」と表記されていることについて、『全注釈』は「紫式部は、単純な記憶の混同によって、このような後年の呼称を用いたのではない。なぜなら、紫式部は寛弘五年十一月一日の事実を記した第三六節において、当時の官称に忠実に、公任を「左衛門の督」と記しているからである。すなわち、紫式部は、和歌の世界における第一人者としての公任の権威に、正直に敬意を表して叙述する時には、その官称も、後年のより高いものを用い、人間的にむしろ軽んじて叙述する時には、当時のより低い官称によったのであって、公任に限らず、書道の最高権威としての行成にも同様の配慮がなされているのであるから、『紫式部日記』における各人の官称お、単なる作者の記憶違いであるとか、ある時点における機械的な統一表記であるとして説明することは危険である。」と指摘している。
【御襁褓】−底本「御むつき」。『絵詞』は「むつき」とある。「御そ御むつき」とあるべき分脈。
【袴、五位は袿一襲ね】−底本ナシ。『絵詞』に「はかま五位はうちき一かさね」とある。『絵詞』によってこの句を補う。

【二〇 九月十六日夜、若い女房たちの舟遊び】

【おもしろし】−底本「おもしろく」。『絵詞』は「おもしろし」とある。『全注釈』同様に「おもしろし」と校訂する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のままとする。
【舟に乗りて遊ぶ】−土御門殿邸の池に舟を浮かべて漕ぎめぐった。
【小大輔】−前出の伊勢大輔か、とされる。
【源式部】−前出、源重文の娘。
【宮城の侍従】−中宮付きの女房。出自未詳。
【五節の弁】−中宮付きの女房。平惟仲の養女。
【右近】−前出、右近の蔵人と同人。
【小兵衛】−前出、源明理の娘。
【小衛門】−前出、橘道時の娘。
【馬】−大馬、小馬のいずれか不明。
【やすらひ】−中宮付きの童女。
【伊勢人】−童女「やすらひ」の注記混入か、とされる。
【左宰相中将】−前出、源高明の四男、源経房。四十歳。『絵詞』によって割注「経房」を補う。
【殿の中将の君】−道長の次男教通。十三歳。『絵詞』によって割注「教通」を補う。
【右宰相中将】−前出、藤原兼隆。二十四歳。
【主上人ども】−主上付きの女房たち。
【藤三位】−主上付きの女房、藤原繁子。右大臣藤原師輔の娘。
【侍従の命婦】−主上付きの女房、出自未詳。
【藤少将の命婦】−主上付きの女房、源政職の妻藤原能子。
【馬の命婦、左近の命婦、筑前の命婦、少輔の命婦、近江の命婦】−主上付きの女房、いずれも出自不明。底本「少輔の命婦」ナシ。『絵詞』に「せうの命婦」とあるによって補う。
【聞きはべりし】−底本「きこえ侍し」。『絵詞』には「きゝ侍し」とある。『全注釈』『集成』『新大系』は「絵詞」に従って「聞きはべりし」と本文を改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【詳しく見知らぬ】−『絵詞』は「みもしらぬ」とある。底本のままとする。

【二一 九月十七日夜、朝廷主催の御産養】

【蔵人少将】−藤原伊周の長男、道雅。十六歳。
【勧学院の衆ども歩みして参れる】−勧学院は藤原氏の私学。氏の長者の慶事に際して祝意を表するために行列して参上する。それを「勧学院の歩み」といった(『江家次第』巻二十)。底本「あゆみして」が『絵詞』には「あゆみつゝ」とある。
【文】−底本「ふみとも」。『絵詞』には「ふみ」とある。『全注釈』同様に『絵詞』に従う。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のままとする。
【ののしる】−『絵詞』には「のゝしるに」とある。『全注釈』は「ののしるに」と校訂するが、『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のままとする。
【まゐらせたれば】−底本「まいりたれは」とある。『絵詞』には「まいらせたれは」とある。『絵詞』に従って改める。
【もてさわがれたまひ】−『絵詞』は「もてさはかれ給」。『全注釈』は連体形で下文にかかるとみる。『新大系』が「もてさはがれたまふ」と連体形に解する。
【灯籠】−底本「ところ」。『絵詞』は「とうろ」とあり、『絵詞』に従って訂正する。
【隈も】−『絵詞』には「くもり」とある。『全注釈』は「くもりなきに」と校訂するが、底本のままとする。
【一夜】−底本「一日」。『絵詞』には「ひと夜」とある。『全注釈』『集成』は「一夜」と校訂。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のままとする。
【頭二人】−蔵人頭、源頼定と源道方。
【朝廷の禄は】−以下「詳しくは見はべらず」まで、『絵詞』にはナシ。省略されたものだろう。
【腰差】−巻絹。「かづけ物」が肩に掛けるのに対して、これは腰に差すので、この呼称がある。

【二二 九月十九日夜、春宮権大夫頼通主催の御産養】

【春宮権大夫】−藤原頼通。中宮の同母弟。十七歳。前出「殿の三位の君」の私的呼称に対して、ここでは公的呼称で記す。
【こまのおもと】−益田勝実は采女の少(こま)高嶋とし、『全注釈』『集成』でもこの説を支持、『新大系』は前出の「小馬」か、『新編全集』『学術文庫』は采女に「おもと」の敬称を付けることに疑問を呈し、また「小馬」でもなく未詳とする。

《第二章 寛弘五年(一〇〇八)冬の記》
【一 道長、初孫を抱く】

【中務の宮わたりの御こと】−村上天皇の第七皇子具平親王(四十五歳)の娘隆姫と道長の長男頼通(十七歳)との縁談をさす。
【そなたの心寄せある人】−紫式部が具平親王家と縁故のある人。父為時がかつて家司を務めたり、夫宣孝も家司であったらしいこと。さらに親王が文人として源氏物語の理解者でもあったことなどが想像される。

【二 土御門殿邸への行幸近づく】

【繕ひ】−底本「つくり」。『絵詞』には「つくろひ」とある。『全注釈』『集成』『新大系』は「つくろひ」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【身ならましかば】−底本「事ならましかは」。『絵詞』には「身ならましかは」とある。「事」は「身」の誤写である。
【思ふかひ】−「絵詞」は「おもふかひ」とある。『全注釈』『集成』『新大系』は「思ふかひ」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【深かなり】−底本「ふかくなり」とある。『絵詞』には「ふかゝんなり」とある。『全注釈』は「深かんなり」と校訂。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「深かなり」と校訂する。「深かんなり」は「深かるなり」の「る」が撥音便化した語形。
【水鳥を水の上とやよそに見むわれも浮きたる世を過ぐしつつ】−紫式部の詠歌。「過ぐし」に関して、底本「すこし」。『絵詞』には「すくし」とある。諸校訂本は「過ぐし」と校訂する。『千載集』(巻六 四三〇)に「題しらず」「紫式部」として入集。

【三 時雨れのころ 小少将の君と文通】

【小少将の君】−源時通の娘、雅信の孫。『絵詞』には「少将のきみ」とあるが、「小」の脱字。
【おこせたまへる】−底本「おこせたる」『絵詞』は「おこせ給へる」とある。『全注釈』『集成』『新大系』は「おこせたまへる」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【心地さわぎて】−底本は「うちさはきて」『絵詞』「心ちさはきて」とある。『全注釈』と『新大系』は「心ちさわぎて」と改める。『集成』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【霞みたる】−底本「かすめたる」とある。『絵詞』には「かすみたる」とある。『全注釈』は「霞みたる」と校訂するが、『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本「かすめ」(下二段活用、「霞む」の他動詞形)のままとする。
【雲間なくながむる空もかきくらしいかにしのぶる時雨れなるらむ】−小少将の君の返歌。『紫式部集』第一一五段。題詞「時雨する日、小少将の君、里より」とある。『新勅撰集』(冬 三八〇)に題詞「里に出でて時雨しける日、紫式部に遣はしける」作者「上東門院小少将」として入集。なお『絵詞』には初句「くもりなく」とあるが、従わない。
【ことわりの時雨れの空は雲間あれどながむる袖ぞ乾く間もなき】−紫式部の返歌。『紫式部集』第一一六段。題詞『返し」とある。『新勅撰集』(冬 三八一)に題詞「返し」作者「紫式部」、第五句「乾く世もなき」として入集。

【四 十月十六日 土御門殿邸行幸の日】

【その日】−『絵詞』にナシ。
【さし寄せて】−底本「さしよせさせて」、使役助動詞「させ」が付加。『絵詞』は「さしよせて」とある。『全注釈』は「さしよせて」と校訂するが、『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本「さしよせさせ」のままとする。
【内侍の督】−中宮彰子の妹の尚侍妍子。
【少将の君】−小少将の君。
【当たれる】−底本「あれたる」とある。「ある」は「離(あ)る」の意。『栄花物語』には「あたれる」とある。『全注釈』『新編全集』『学術文庫』は「あれたる」と校訂。『集成』『新大系』は「あたれる」のままとする。
【内侍二人】−後文の左衛門内侍と弁内侍。
【左衛門の内侍】−主上付き女房で中宮付きも兼務。橘隆子。
【御佩刀】−三種の神器の一つ御剣。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。行幸の際に持参した。
【璽】−三種の神器の一つ御璽。八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)。行幸の際に持参した。
【弁の内侍】−主上付き女房で中宮付きも兼務。出自未詳。
【もごよひのだつ】−「展転(もごよひゆきめぐ)りて」(大唐西域記・長寛点)。領巾がひらひらと翻りなびくさま。諸校訂本「もこよひのだつ」と読む。
【藤中将】−『全注釈』『集成』『新編全集』『学術文庫』は「藤中将」と改める。藤原兼隆。『新大系』は底本のまま。

【五 行幸当日の女房たちの装束】

【馬の中将】−中宮付きの女房。藤原相尹の娘。
【主上の女房、宮にかけてさぶらふ五人】−主上付きの女房で、中宮付きも兼務した女房、五人。
【内侍二人】−前出の左衛門の内侍橘隆子と弁の内侍。
【命婦二人】−筑前の命婦と左京の命婦。
【御まかなひの人一人】−橘三位。
【筑前】−筑前の命婦、出自未詳。
【左京】−左京の命婦、藤原修政の妻。
【唐衣】−底本「から衣は」とある。『全注釈』は文意から「唐衣に」と校訂、『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「唐衣」と校訂する。
【主上】−一条天皇。二十九歳。
【弁宰相の君】−前出。
【御佩刀】−主上から賜ったお守刀。御湯殿の儀にも側で捧持された。
【宰相の君】−弁宰相の君。

【六 御前の管弦・舞楽の御遊】

【故院】−東三条院詮子。一条天皇の母。長保三年(一〇〇一)閏十二月二十二日崩御。
【右の大臣】−藤原顕光。六十五歳。
【左衛門督】−藤原公任。
【万歳、千秋】−底本には「万さいらく千秋楽」とあるが、『栄花物語』には「万歳千秋」とある。『和漢朗詠集』の「嘉辰令月歓無極 万歳千秋楽未央」の詩句を誦した。
【頭弁】−源道方。
【藤原ながら門分かれたるは】−『新大系』では「道長一門に属さぬ実資・顕光・公季・隆家であろう」と注す。
【立ちたまはざりけり】−『全注釈』『集成』『新大系』『新編全集』は『栄花物語』によって「立ちたまはざりけり」と改める。『学術文庫』は底本のまま。
【右衛門督、大宮の大夫よ】−右衛門督藤原斉信。「大宮の大夫」(中宮大夫)はその説明。
【宮の亮、加階したる侍従の宰相】−中宮権亮藤原実成。「加階したる侍従の宰相」はその説明。

【七 十月十七日 行幸翌日の中宮の御前】

【宮の家司、別当、おもと人など】−若宮敦成親王家の家司。その別当や侍者たち。
【年ごろ心もとなく見たてまつりたまひける御ことのうちあひて】−彰子の長保元年(九九九)入内から十年後の寛弘五年(一〇〇八)九月の若宮敦成親王誕生であった。
【殿の上も】−底本「殿うへも」。『栄花物語』には「とのゝうへも」とある。諸校訂本「殿の上も」と校訂する。

【八 宰相の君たちと月を眺める】

【宮の亮】−中宮権亮藤原実成。
【宰相】−中宮権亮藤原実成は宰相も兼ねていたのでこの呼称もある。
【いらへもせぬに】−底本「いてぬに」。『絵詞』には「いらへもせぬに」とある。『全注釈』『集成』は「いらへもせぬに」と校訂。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【大夫】−中宮大夫藤原斉信。
【聞きしのばむも】−『絵詞』には「きゝしのひんも」とある。『全注釈』は「ここは、「こらえる」「しんぼうする」の意でなく、「かくれている」「こっそりする」の意であるから、古い形の上二段活用の他動詞として、絵詞本文にしたがう」とする。
【上下臈のけぢめ】−底本「上らふのけちめ」。『絵詞』には「上下らうのけちめ」とある。『全注釈』『集成』『新大系』は『絵詞』に従って「上下臈のけぢめ」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【今日の尊とさ】−催馬楽「あな尊」の一節。

【九 十一月一日 誕生五十日の祝儀】

【参う上り集ひたる】−『絵詞』には「まうのほりあひたる」とある。底本の表現が適切である。
【東の御座】−『絵詞』には「ひむかしなるをまし」とある。『全注釈』は「東なる御座」と校訂する。
【そなたのことは】−『絵詞』には「そなたは」とある。底本の表現が適切である。
【宰相の君讃岐】−藤原豊子。「讃岐」はその補足的説明。
【取り次ぐ女房も】−『絵詞』には「も」ナシ。『全注釈』は『絵詞』に従って「も」を削除する。
【大納言の君】−前出、中宮付きの女房、源廉子。
【弁の内侍】−前出、中宮付きの古参の女房、出自未詳。
【中務の命婦】−前出、中宮付きの古参の女房、源隆子。
【小中将の君】−前出、中宮付きの女房、藤原忠孝の娘。
【東の間の廂の】−『絵詞』には「ひむかしのひさしの」とある。『全注釈』は『絵詞』に従って「間の」を削除する。
【さべいかぎりぞ】−『絵詞』には「さるへきかきりそ」とある。『全注釈』は『絵詞』に従って「さるべきかぎりぞ」と校訂する。
【取り次ぎつつ】−『絵詞』には「とりつゝ」とある。『全注釈』は『絵詞』に従って「とりつつ」と校訂する。
【少輔の乳母】−前出、主上付きの女房。大江清通の娘、橘為義の妻。
【ここしきさま】−底本「たゝしきさま」。『絵詞』には「こゝしきさま」とある。『全注釈』『集成』『新大系』は『絵詞』に従って「ここしきさま」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【たてまつり】−底本「たてまつれり」。『絵詞』には「たてまつり」と連用形である。『全注釈』『集成』は『絵詞』に従って「たてまつり」と改める。『新大系』『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【御帳の内にて】−『絵詞』には「御帳のまにて」とある。『全注釈』は「中宮の御帳台の中ではなく、几帳によって隔てられた東母屋の西側部分、すなわち御帳台のある「間」においてであろう」として「御帳の間」と改める。『集成』『新大系』『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【あはれにも】−底本は「あはれに」。『絵詞』には「あはれにも」とある。『全注釈』は「並対の句であるから、絵詞本文に従うべきである」と改める。『集成』『新大系』『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【いま二所の大臣】−左大臣の藤原道長他の右大臣藤原顕光と内大臣藤原公季をさす。
【まうち君たち】−道長家の家司の諸大夫たち。
【四位少将】−源雅通。
【取り払ひつ】−底本には「とりはらひつゝ」とある。文意によって『絵詞』の終止形に従う。『新編全集』は底本のまま。
【間を上にて、東の】−底本ナシ。『絵詞』によって補う。
【ゐわたりて】−底本「ゐわたされたり」、『絵詞』には「ゐわたりて」とある。『全注釈』と『新大系』は『絵詞』に従って改める。『集成』『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【ゐたまへるに】−底本「ゐたまへり」、『絵詞』には「ゐたまへるに」とある。『全注釈』と『新大系』は『絵詞』に従って改める。『集成』『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【引き断ち、乱れたまふ】−『絵詞』には「引たちみたり給」とある。「乱る」の四段活用形は他動詞、下二段活用形は自動詞。『全注釈』は「ひき断ちみだりたまふ」と校訂する。
【さだ過ぎたり】−右大臣藤原顕光、六十五歳。
【美濃山】−催馬楽「美濃山」。
【右大将】−藤原実資。権大納言兼右大将。五十二歳。『絵詞』には「実資」と割注がある。
【いと恥づかしげに】−底本ナシ。『絵詞』によって補う。
【おはすべかめり】−『絵詞』は「おはすめり」とある。『全注釈』は『絵詞』に従う。
【千歳万代】−神楽歌「千歳の法」の歌詞。
【左衛門督】−藤原公任。
【このわたりに】−『絵詞』は「このわたり」とあり「に」が無い。『全注釈』は『絵詞』に従う。
【若紫】−『全注釈』は「我が紫」と解する。
【似るべき人】−底本は「かかるへき人」とある。『全注釈』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は『絵詞』に従って「似るべき人」と改める。『集成』は底本のまま、「源氏の君にかかわりのありそうな方」と解す。
【三位の亮】−従三位中宮権亮藤原実成。
【侍従の宰相】−実成。従三位参議兼侍従中宮権亮であった。
【内の大臣】−内大臣藤原公季は実成の父親。
【権中納言】−藤原隆家。中関白家道隆の四男。
【兵部のおもと】−中宮付きの女房。出自未詳。

【一〇 五十日祝いの夜の酒宴】

【殿の君達】−道長の御子息頼通と教通。
【宰相中将】−右宰相中将藤原兼隆。二十四歳。
【和歌一つ】−底本「わかひとつつゝ」とある。『絵詞』『栄花物語』には「わかひとつ」とある。『全注釈』と『新大系』は『絵詞』に従って「和歌一つ」と改める。『集成』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
【いとわびしく】−底本「いとわしく」とある。『絵詞』に従って改める。
【いかにいかがかぞへやるべき八千歳のあまり久しき君が御代をば】−「いか(如何)」と「五十日」の掛詞。『紫式部集』第八八段。題詞「御五十日の夜、殿の「歌詠め」とのたまはすれば」。『続古今集』(賀 一八九五 紫式部)に「後一条院生まれさせたまひての御五十日の時、法成寺入道前摂政「歌詠め」と申しはべりければ 紫式部」として入集。
【あしたづの齢しあらば君が代の千歳の数もかぞへとりてむ】−『紫式部集』第八九段。題詞「殿の御」。『続拾遺集』(賀 七五〇 法成寺入道前摂政太政大臣)に「題しらず」として入集。

【一一 内裏還御の準備 御冊子作り】

【御冊子作り】−源氏物語の豪華浄書本の製作。
【よき継ぎ、墨】−『全注釈』は「よき継ぎ紙」と改める。『集成』『新大系』は「よきつきすみ」とし「継ぎ墨」で墨挟みかと解する。『新編全集』『学術文庫』は「よきつぎ、墨」とし「つぎ」は墨挟みかと解する。
【物語の本ども】−源氏物語の草稿本。豪華浄書本の元になった源氏物語の他に草稿本もあった。
【内侍の督の殿】−藤原妍子。道長の次女、彰子の妹。
【よろしう書きかへたりし】−豪華浄書本の元になった源氏物語。作者の手許には戻ってこなかったのだろう。

【一二 里下がりしての述懐】

【はかなき物語】−作り物語。『全注釈』と『学術文庫』は源氏物語とする。『集成』は作り物語。『新大系』は作り物語に源氏物語の一部も含むとする。
【試みに物語を取りて見れど】−作り物語。『全注釈』『新編全集』『学術文庫』は源氏物語とする。『集成』『新大系』は特に注せず。出仕先の土御門邸の局に持って行って隠し置いていた源氏物語(草稿本)が道長に持ち去られて尚侍妍子に献上されたとある。とすれば、自邸には源氏物語は無かったとなる。自邸にあったのはさらにその草稿的一部か他の作り物語類であろう。
【浮き寝せし水の上のみ恋しくて鴨の上毛にさへぞ劣らぬ】−紫式部の贈歌。「浮き寝」と「憂き音」の掛ける。『紫式部集』第一一七段。題詞「里に出でて、大納言の君、文賜へるついでに」とある。『新勅撰集』(雑一 一一〇七)に「冬のころ里に出でて、大納言三位に遣はしける 紫式部」として入集。
【うちはらふ友なきころの寝覚めにはつがひし鴛鴦ぞ夜半に恋しき】−大納言の君の返歌。『紫式部集』第一一八段。題詞「返し」とある。『新勅撰集』(雑一 一一〇八)に「返し 従三位廉子」として入集。

【一三 十一月十七日、中宮還御】

【その顔ども】−『集成』と『新大系』は「その顔とも」(格助詞「と」+係助詞「も」)と解す。
【宮の宣旨】−中宮の宣旨。上臈の女房。兼明親王の孫、源伊陟の娘、陟子。御輿に中宮彰子と同乗。
【少輔の乳母】−前出、大江清通の娘、橘為義の妻。第二車の糸毛車に道長の妻倫子と、そして若宮を抱いて同乗。
【大納言、宰相の君】−黄金造りの第三車に、大納言の君(源廉子)と宰相の君(藤原豊子)が同乗。
【小少将、宮の内侍】−第四車に、小少将の君(源時通の娘)と宮の内侍の君(橘良芸子)が同乗。
【馬の中将と乗りたる】−第五車に、馬の中将の君(藤原相尹の娘)と紫式部が同乗した。
【殿司の侍従の君、弁の内侍】−第六車に、主上付きの女房、侍従の君と弁の内侍の君の二人が同乗。
【左衛門の内侍、殿の宣旨式部】−第七車に、左衛門の内侍の君(橘隆子)と殿の宣旨式部の君(前出、大式部のおもと)とが同乗。
【侍従の宰相】−藤原実成。
【左の宰相の中将】−源経房。
【公信の中将】−藤原公信。従四位上右近衛権中将兼美作守。三十二歳。太政大臣藤原為光の六男。
【父君】−小少将の君の父右少弁源時通。永延元年(九八七)、小少将の君四歳の時に出家。

【一四 中宮還御の翌日、道長から中宮への贈物】

【侍従の中納言】−藤原行成。能書家。三蹟の一人。寛弘五年十一月当時、従二位参議左大弁皇太后宮大夫侍従播磨守。三十七歳。
【延幹】−源延幹。能書家。子に源兼行、孫に兼任がいる。三代続いた書家。
【近澄の君】−『全注釈』は「ちかすみ」は「行成の別名であったかもしれない」として「侍従の君」(行成)と改める。『集成』は「清原近澄か。諸本「ちかずみ」とあるが、「侍従」とありたいところ」と注す。『新大系』は「清原近澄か疑問。「侍従の君」の誤写か」と注す。『新編全集』は「清原近澄か」。『学術文庫』は「清原近澄か、あるいは行成の別名かともいわれるが、不明。」と注す。

【一五 十一月二十日丑の日、五節の舞姫、帳台の試み】

【侍従の宰相】−正四位下参議中宮権亮藤原実成。侍従三十四歳。舞姫を献上。
【右の宰相中将】−従三位参議右近衛藤原兼隆。中将二十四歳。道長の同母兄道兼の子。舞姫を献上。
【業遠の朝臣】−春宮権亮兼丹波守高階業遠。舞姫を献上。
【中清】−尾張守藤原中清。紫式部の母の従兄弟。舞姫を献上。
【藤宰相】−侍従の宰相藤原実成。

【一六 二十一日寅の日、五節の舞姫、御前の試み】

【春宮の亮】−春宮権亮兼丹波守高階業遠。
【尾張】−尾張守藤原中清。
【御前の試み】−天皇が清涼殿にて舞姫を御覧になる儀。一条院では中殿を清涼殿にあてている。
【小兵衛】−中宮付きの女房。源明理の娘。
【小兵部】−中宮付きの女房。藤原庶政の娘。
【尾張守のぞ】−尾張守藤原中清が献上した舞姫。

【一七 二十二日卯の日、五節の舞姫、童女御覧】

【丹波守の童女】−丹波守高階業遠が献上した舞姫付きの童女。
【藤宰相の童女】−侍従の宰相藤原実成が献上した舞姫付きの童女。
【一人は】−丹波守が献上した童女の一人。
【宰相の中将】−右の宰相中将藤原兼隆が献上した舞姫付きの童女。
【尾張】−尾張守藤原中清が献上した舞姫付きの童女。

【一八 二十三日辰の日、豊明節会】

【侍従の宰相の五節局】−侍従宰相藤原実成が差し出したの五節の部屋。
【かの女御の御かた】−弘徽殿女御義子。藤原公季の娘、実成の姉、三十五歳。
【左京の馬】−弘徽殿女御付きの女房。『全注釈』『集成』『新大系』は「左京の君」の誤りかとする。
【宰相中将】−藤原兼隆。
【かいつくろひ】−底本は「かひつくろい」とあるが、「ひ」は仮名遣いの誤りと見て改める。
【源少将】−源雅通。倫子の甥。
【大輔のおもと】−中宮付きの女房、伊勢大輔。
【おほかりし豊の宮人さしわきてしるき日蔭をあはれとぞ見し】−「さし」は「日蔭」の縁語。『紫式部集』第九九段。題詞「侍従宰相の五節の局、宮の御前いとけ近きに、弘徽殿の右京が、一夜しるきさまにてありしことなど、人びと言ひ立てて、日蔭をやる。さし紛らはすべき扇など添へて」。『後拾遺集』(雑五 一一二二)「中納言実成、宰相にて五節奉りけるに、妹の弘徽殿の女御のもとにはべりける人、かしづきに出でたりけるを、中宮の御方の人々、ほのかに聞きて、「見ならしけむももしきをかしづきにて見るらむほどもあはれに思ふらむ」と言ひて、箱の櫛に、銀の扇に蓬莱の山作りなどして、挿し櫛に日蔭の鬘を結び付けて、薫物を立文にこめて、かの女御の方にはべりける人のもとよりとおぼしくて、左京の君のもとにこと言はせて、果ての日さしおかせける 読人しらず」として入集。『学術文庫』は『紫式部集』の題詞から「紫式部自詠の歌と認定できよう。とすれば、「書きつけさす(書き付けさせる)の主語は紫式部自身となろう」と注す。
【中納言の君】−伝未詳。弘徽殿女御付きの女房。

【一九 五節過ぎの寂寥の日々】

【高松の小君達】−道長の側室明子の子息たち。頼宗十六歳。顕信十五歳。能信十四歳。
【間のみなく】−『全注釈』『集成』『新大系』は「まのもなく」(むやみやたらに、無頓着に、無遠慮に)と改める。語義不詳。
【豪家にて】−『全注釈』『新大系』は「効験にて」を宛て、『集成』は「高家にて」、『学術文庫』は「豪家にて」を宛てる。『新編全集』は「かうばかり」と改める。
【やすらひ】−中宮付きの童女。
【などや、その】−『全注釈』『集成』は「そ」は「う」の誤写とみて「などやうの」と改める。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「などや、その」のままとする。
【小兵衛】−中宮付きの女房。

【二〇 十一月二十八日下酉の日、臨時の祭】

【臨時の祭】−賀茂の臨時の祭は十一月下の酉の日に行われる。
【殿の権中将の君】−道長の第五男、教通。十三歳。
【内の大殿】−内大臣藤原公季。弘徽殿女御の父。『絵詞』は「内の大殿」以下「ことごとしくこそ」までナシ。
【使ひの君】−権中将藤原教通。
【浮き出でたる】−『全注釈』『集成』『新大系』は「打ち出でたる」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【かの大臣】−内大臣藤原公季。
【内蔵の命婦】−教通の乳母。
【兼時】−尾張宿祢兼時。神楽の人長。
【つきづきしげなりしを】−『絵詞』には「つき/\しかりしを」とある。

【二一 十二月二十九日、参内、初出仕時に思いをはせる】

【師走の二十九日に参る】−紫式部は賀茂の臨時の祭の後、しばらく里下りをしていた。
【年暮れてわが世更け行く風の音に心の中のすさまじきかな】−紫式部の独詠歌。「世」に「夜」を掛ける。

【二二 十二月三十日の夜、追儺の儀の後】

【弁の内侍】−主上付き女房で中宮付きも兼務。
【内匠の蔵人】−中宮付きの女房。女蔵人。素姓未詳。
【あてき】−中宮付きの童女。
【内侍】−弁の内侍。
【ものもおぼえず】−底本「ものおほえす」。「も」を補う。
【下におはします】−中宮の常の御座所、一条院御所の東北の対。
【靫負】−中宮付きの女房。素姓未詳。
【小兵部】−中宮付きの女房。前出、藤原庶政の娘。
【御膳宿りの刀自】−御膳を納めておく所の下級官女。
【兵部丞】−兵部丞兼蔵人、紫式部の弟。藤原惟規。
【式部丞資業】−式部丞藤原資業。有国の子。母は橘三位徳子。

《第三章 寛弘六年(一〇〇九)春の記》
【一 正月三日 若宮の御戴餅の儀】

【大納言の君】−中宮付きの上臈の女房。源廉子。倫子の姪。
【宰相の君】−中宮付きの上臈の女房。藤原豊子。道綱の娘。
【固紋の五重、袿、葡萄染めの浮紋のかたぎの紋】−「袿」について『全注釈』は「上着」と改める。『集成』『新大系』は「ここは上着の意か」と注す。
【菱の紋】−『集成』と『新大系』は「ひえの紋」のまま。
【宣旨の君】−中宮付きの上臈の女房。宮の宣旨。源陟子。
【すゑより】−『全注釈』は「裾より」と校訂する。

第二部 宮仕女房批評記
《第一章 人物批評》
【一 宰相の君、小少将の君、宮の内侍、式部のおもとの批評】

【このついでに】−以下、誰かに宛てた消息文的体裁の文章。『新大系』は「寛弘七年の執筆か」と注す。『新編全集』は「以下、誰かに語るという体裁をとって女房批評を始める。このような形態は、式部が率直な心情を吐露するために用いた方法上の虚構と考えられる」と注す。
【宰相の君】−中宮付きの上臈の女房。北野三位藤原遠度の娘。
【小少将の君】−中宮付きの上臈の女房。源時通の娘。
【宮の内侍】−中宮付きの上臈の女房。橘良芸子。
【式部のおもと】−中宮付きの女房。橘忠範の妻。宮の内侍(橘良芸子)の妹。

【二 小大輔、源式部、小兵衛、少弐、宮木の侍従、五節の弁、小馬の批評】

【小大輔】−中宮付きの女房。伊勢大輔。
【源式部】−中宮付きの女房。源重文の娘。
【小兵衛】−中宮付きの女房。源明理の娘。
【少弐】−中宮付きの女房。出自未詳。
【宮城の侍従】−中宮付きの女房。出自未詳。
【五節の弁】−中宮付きの女房。平惟仲の養女。藤原道雅の妻。
【細らず】−底本「ほめられす」。『全注釈』『集成』『新大系』『学術文庫』は「細らず」と訂正、『新編全集』は底本のまま「ほめられず」とする。
【小馬】−中宮付きの女房。高階道順の娘。
【はべりし】−底本「はへり」。他本「はへりし」。『全注釈』『集成』『新大系』『学術文庫』は「はべりし」と訂正、『新編全集』は底本のまま「はべり」とする。

【三 斎院方と中宮方の気風比較】

【斎院】−賀茂の斎院選子内親王。寛弘七年当時、四十七歳。
【中将の君】−斎院付きの女房。斎院の長官源為理の娘。紫式部の弟惟規の恋人。
【みそかに人の取りて見せはべりし】−紫式部の弟藤原惟規。
【思うたまへられしか】−底本「思へたまへられしか」は仮名遣いの誤りとみて改めた。
【きしろひたまふ女御、后おはせず、その御方、かの細殿といひならぶる御あたりもなく】−長保二年十二月に皇后定子が崩御して後、後宮には内大臣藤原公季女の弘徽殿女御義子、右大臣藤原顕光女の承香殿女御元子、藤原兼道女の尊子などがいたが、中宮彰子の競争相手ではなかった。

【四 中宮方の気風】

【今はやうやうおとなびさせたまふままに】−寛弘七年当時、中宮彰子は二十三歳。
【また、などて】−底本「人なとて」。『全注釈』は底本のまま「人などて」、『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「また、などて」と改める。
【宮の大夫】−中宮大夫藤原斉信。
【大納言】−藤原斉信。寛弘六年三月に権大納言に就任。

【五 和泉式部、赤染衛門、清少納言の批評】

【和泉式部】−中宮付きの女房。大江雅致の娘。斎院中将の君の叔母。萩谷朴は「貞元元年(九七六)ごろの出生と仮定して、寛弘七年には三十五歳、紫式部より二、三歳の年下となる」(全注釈)と注す。
【丹波守の北の方】−大江匡衡の北の方、すなわち赤染衛門。中宮付きの女房。萩谷朴は「赤染衛門は、紫式部に比べて、年齢的には十数歳の年長者であったと思われるし、道長と結婚以前の倫子に仕えていたとすれば、宮仕えの経験においても、二十余年を先んじた古参者であり、学者でありながら、すこぶる色好みの精力家でもあった匡衡をよく操縦して、長い結婚生活に破綻をきたさず、既に従五位下筑後権守となり、敦成親王の御湯殿の儀には読書博士を勤めるほどのりっぱな息子挙周を育て上げた、いわば良妻賢母の典型模範ともいうべき赤染衛門に対しては、さすがの紫式部も非のうちようがなかったのであろう」(全注釈)と注す。
【清少納言】−皇后定子付きの女房。清原元輔の娘。『枕草子』の著者。萩谷朴は「安和元年(九六六)の出生と仮定して、長保二年(一〇〇〇)には三十五歳、もし、『紫式部日記』第二部執筆の寛弘七年まで生存していたとすれば、四十五歳、赤染衛門よりは数年下、紫式部よりはほぼ八歳の年長ということになろうか」(全注釈)と注す。

《第二章 わが身と心を自省》
【一 わが心の内の披瀝】

【曹司】−自邸の部屋。
【書どもわざと置き重ねし人】−夫の藤原宣孝。
【なでふ女か】−係助詞「か」反語を表わす。「読む」連体形に係る、係り結び。

【二 わが心のありよう】

【面影を恥づと見れど】−『集成』と『新大系』は「面影をばつと見れど」とする。
【もどかれじと】−『集成』と『新大系』は「もどかれし」(過去の助動詞「き」連体形)と解する。

【三 人の心のありよう 結論】

【われ用意せらるるほども】−『全注釈』『集成』『新大系』は「われ用意せらるるほどに」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
【言ひつけ】−『全注釈』『集成』『新編全集』は「言ひつげ」と濁音で読み、『新大系』と『学術文庫』は「言ひつけ」と清音で読む。
【交はすと】−底本「かはすとも」。『全注釈』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「交はすと」と校訂、『集成』は「交はすとも」のまま。

【四 日本紀の御局と少女時代回想】

【左衛門の内侍】−主上付きの女房、中宮付きも兼ねる。橘隆子。
【内裏の上】−一条天皇。
【才がる】−底本「さえかある」。『全注釈』『集成』『新大系』『学術文庫』は「才がる」と校訂、『新編全集』は「才がある」のまま。
【式部の丞】−紫式部の弟藤原惟規。
【書に心入れたる親】−紫式部の父親藤原為時。
【をととしの夏ごろ】−寛弘五年の中宮懐妊の頃。

【五 求道への思いと逡巡】

【年もはたよきほどになりもてまかる】−紫式部の誕生を天延元年(九七三)とすれば、寛弘七年(一〇一〇)は三十八歳。出家するのに適当な年齢と自覚する。

【六 宮仕女房批評記の結び】

【耳も】−『全注釈』は底本どおり「又又も」とする。
【何せむ】−底本「なさん」。『全注釈』『新大系』は「なせん」と校訂。『集成』『新編全集』『学術文庫』は「なにせむ」と校訂する。「なせん」は「なにせん」のつづまった形。

第三部 宮仕生活備忘記
《第一章 寛弘五年五月二十二日、土御門殿邸の法華三十講》

【御堂】−土御門邸内の御堂。
【二十二日の暁】−底本は「十一日のあか月」とあるが、寛弘五年五月二十二日の記事説に従って本文を改めた。諸本、本文は底本のまま「十一日」とするが、注記の中では「二十二日」の記事として扱う。
【こちかひきしな】−『全注釈』は「うち交ひきしろふ」と校訂。『集成』は「未詳。「こちたくひきては」の誤りで、語尾をひどく引き伸ばしては、の意であろうか」と注し、『新大系』『新編全集』『学術文庫』は未詳。誤脱があろうと注す。
【宮の大夫】−中宮大夫藤原斉信。
【宰相の君】−中宮付きの女房。藤原豊子。
【大蔵卿】−藤原正光。寛弘五年当時、五十二歳。
【舟のうちにや老いをばかこつらむ】−『白氏文集』巻第三「海漫々」中の「童男丱女老舟中」のを踏まえた表現。
【徐福文成誑誕多し】−『白氏文集』巻第三「海漫々」中の「童男丱女老舟中」に続く句。
【池の浮き草】−今様の一節。未詳。

《第二章 寛弘五年土御門邸にて 道長と和歌贈答》
【一 源氏物語について】

【『源氏の物語』、御前にあるを、殿の御覧じて】−中宮彰子の御前。豪華清書本の元になった紫式部改稿本「源氏物語」であろう。萩谷朴は「本節の記事は、寛弘五年五月末乃至六月初旬のことと思われる。故に、これが『源氏物語』の製作年代を立証する最前縁の史料となる」(全注釈)と注す。『学術文庫』は「いま中宮の御前にある『源氏物語』は、あの折、書写・製本され、内裏還啓に持参された物語なのであろう」と注している。
【すきものと名にしたてれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ】−道長からの贈歌。「好き者」と「酸き物」、「折る」に枝を折ると女を手に入れるの意を掛ける。
【人にまだ折られぬものをたれかこのすきものぞとは口ならしけむ】−紫式部の返歌。

【二 渡殿に寝た夜の事】

【よもすがら水鶏よりけになくなくぞ槙の戸口にたたき侘びつる】−道長からの贈歌。「なく」に水鶏が鳴くと私が泣くの意を掛ける。『紫式部集』第七四段。題詞「夜更けて戸を叩きし人、つとめて」。『新勅撰集』(恋五 一〇二一)「夜更けて妻戸をたたきはべりけるに、開けはべらざりければ、あしたに遣はしける 法成寺入道摂政太政大臣」、第五句「たたきわびぬる」として入集。
【ただならじとばかりたたく水鶏ゆゑあけてはいかに悔しからまし】−紫式部の返歌。「とばかり」に「戸ばかり」を掛ける。『紫式部集』第七五段。題詞「返し」。『新勅撰集』(恋五 一〇二二)「返し 紫式部」として入集。

《第三章 寛弘七年正月 若宮たちの御戴餅》
【一 正月元日 敦成・敦良親王たちの御戴餅】

【宮たち】−中宮彰子所生の敦成親王三歳と敦良親王二歳(寛弘六年十一月二十五日誕生)。
【左衛門の督】−藤原頼通。権中納言兼左衛門督春宮権大夫。十九歳。
【二間の東の戸】−里内裏の枇杷殿の主上御所の一室。一条院御所は前年十月に焼亡。
【大宮】−中宮彰子。
【宰相の君】−中宮付きの女房。藤原道綱の娘豊子。
【蔵人】−命婦蔵人。
【内匠】−女蔵人。出自未詳。
【兵庫】−初出。女蔵人。出自未詳。
【文室の博士】−中宮付きの女房。文室時子。博士命婦。

【二 正月二日初子の日 臨時客】

【傅大納言】−正二位大納言春宮傅藤原道綱。五十六歳。
【右大将】−藤原実資。五十四歳。
【中宮大夫】−藤原斉信。四十四歳。
【四条大納言】−藤原公任。四十五歳。
【権中納言】−藤原隆家。三十二歳。
【侍従の中納言】−藤原行成。三十九歳。
【左衛門督】−藤原頼通。十九歳。
【有国の宰相】−藤原有国。六十八歳。
【大蔵卿】−藤原正光。五十四歳。
【左兵衛督】−藤原実成。三十六歳。
【源宰相】−源頼定。三十四歳。
【源中納言】−源俊賢。五十一歳。
【右衛門督】−藤原懐平。五十八歳。
【左右の宰相の中将】−左の源経房、四十二歳と右の藤原兼隆、二十六歳。
【若宮】−第二親王の敦成親王。三歳。
【上に】−殿の上、倫子に。四十七歳。
【いと宮】−弟宮、第三親王の敦良親王。二歳。
【上に参りたまひて】−里内裏の枇杷殿御所の清涼殿に当たる建物(寝殿)。
【殿上に出でさせたまひて】−里内裏の枇杷殿御所の殿上間に当たる部屋。中殿の又又廂の間。
【御父】−紫式部の父藤原為時。
【初子の日なり】−この年の正月二日は、寛弘七年正月二日壬子の初子の日であった。
【野辺に小松のなかりせば】−『拾遺集』春、壬生忠岑の「子の日する野辺に小松のなかりせば千代のためしに何を引かまし」(二三)の歌句。若宮たちを小松に喩えた。
【中務の乳母】−中宮付きの女房。中務命婦。源致時の娘、藤原泰通の妻、従三位隆子。敦良親王の乳母。
【命婦こそ】−底本「命婦そ」。文末は「人なれ」(已然形)とある。『全注釈』『新編全集』『学術文庫』は「命婦こそ」と改めるが、『集成』『新大系』は底本のまま。

【三 正月十五日 敦良親王御五十日の祝い】

【二の宮】−敦良親王。正しくは皇后定子所生の第一親王の敦康親王(十一歳)がいるので、第三親王。彰子所生の第二親王の意で呼称したもの。
【小少将の君】−中宮付きの女房。源時通の娘。
【なりにたるに】−底本「なりたるに」。『絵詞』に従って「に」を補う。『全注釈』は「なりにたるに」と校訂する。
【かの君】−小少将の君。
【上人ども】−主上付きの女房たち。
【いと宮】−敦良親王。
【橘三位】−橘徳子。一条天皇の乳母。
【小大輔】−中宮付きの女房。伊勢大輔。
【源式部】−中宮付きの女房。源重文の娘。
【中には】−底本「中に」。『絵詞』に従って「は」を補う。『全注釈』は「中には」と校訂する。
【小口たてまつりて】−底本「こくちたてまつり」。『絵詞』に従って「て」を補う。『全注釈』は「小口たてまつりて」と校訂する。
【柳の上白の御小袿】−『絵詞』「こうちき」とあって「柳の上白の御」ナシ。柳襲は表白、裏青なので「柳の上白」は重複するが、本文ままとする。
【中務の乳母】−中宮付きの女房。従三位隆子。敦良親王の乳母。
【宮】−敦良親王。
【そびそびしく】−底本「そい/\しく」は仮名遣いの誤りとみて改める。
【なども】−底本「なとは」。『絵詞』に従って「は」を「も」と改める。『全注釈』は「なども」と校訂する。
【織物の袿】−底本「おり物ゝこうちき」。『絵詞』従って「袿」に改める。
【西面の】−『絵詞』「西をもて」。『全注釈』は「の」を削除する。底本のままとする
【並みゐたり】−底本「なみゐたる」。『全注釈』『集成』『新大系』は『絵詞』に従って「並みゐたり」と改める。『新編全集』『学術文庫』は底本ままとする。
【三位】−橘三位徳子。
【宮の人びと】−中宮付きの女房たち。
【大納言の君】−源扶義の娘、廉子。
【小少将の君】−源時通の娘。
【たづねゆきて】−『絵詞』「たつねきて」。『全注釈』は「たづね来て」と校訂する。底本のままとする
【左、右、内の大臣殿】−左大臣藤原道長、右大臣藤原顕光、内大臣藤原公季。
【春宮傅】−藤原道綱。
【中宮の大夫】−藤原斉信。
【四条大納言】−藤原公任。
【見えはべらざりき】−底本「え見侍らさりき」。『絵詞』に従って「見え」と改める。『全注釈』は「見え」と校訂する。
【景斉朝臣】−藤原景斉。
【惟風朝臣】−藤原惟風。
【行義】−平行義。笛の名手。
【遠理】−藤原遠理。篳篥の名手。
【頭弁】−源道方。
【□□】−不明。琴の名手、源済政か、とされる。『絵詞』には「経房朝臣」とあるが、次の「左さい将の中将さうのふゑ」が「経房」のこと。他本「経孝朝臣」とあるが、不審とされる。
【左の宰相中将】−源経房。
【あな尊と】−催馬楽、呂の歌。
【席田】−催馬楽、呂の歌。
【此の殿】−催馬楽、呂の歌。
【調子などを吹く】−『絵詞』には「てうし猶ふく」とある。『全注釈』は「調子猶吹く」と校訂する。
【伊勢守】−藤原長能。